螺旋の鎮魂歌


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【二十四章】追跡者




 キリエとサンクは固く手を繋ぎ、トラクタスからグラデュアル国へと向かった。国境を越える時、やはり別の追っ手に囲まれたが、キリエが瞬く間に倒した。サンクは自分の出番のないことに苦笑する。

「ねえ、サンク」

 サンクは相変わらず手を繋いだまま表の街道を歩いている。前より少しだけ早足かもしれない。

「わたしたち、追われているの?」

 サンクはなにを今さら、といった視線でキリエを見る。

「どうして?」

 あまりにも自覚のないキリエにサンクは少し、頭痛を覚えた。

「どうして、と改めて聞かれるとは思わなかった」

 歩む速度を落とさず、サンクは口を開く。

「オレは王を裏切った。キリエは『魔王の娘』として身元が割れている」

 だから追われている、とサンク。

「キリエ、離れ離れになったら……オレのことはかまわずおまえは逃げろ」
「そんなこと……できないよ!」
「オレは大丈夫だから。オレを殺せるのはキリエだけだから」

 だからオレを殺したくないのなら逃げろ、とサンクは言うが……。

「嫌だ。独りで逃げるなんて、できない! またわたしを独りきりにするの?」

 瞳には大粒の涙が浮かんでいる。サンクは足を止め、唇でその涙を吸いとる。キリエの頬に朱がさす。

「独りにはしない。なにがなんでもキリエのところに帰るから」
「……約束してくれる?」

 うかがうような上目遣いにサンクは心臓をわしづかみにされた気分になる。
 このまま二人でどこかへ逃げてしまいたい。キリエを閉じ込めて自分だけが見つめていたい。
 不可能な願いなのは分かっているが、思わずそう思ってしまう。
 なにも知らない無垢な心に傷をつけたくない。
 ──そこまで考えて、自分はキリエの大切な両親を殺して傷つけたじゃないか、とあざける。これ以上のひどい仕打ちがあるだろうか。
 今、自分がキリエのことが嫌いと言えば、キリエはどれだけ傷ついた顔をするだろう。
 そう考え、キリエを傷つけたいわけではないのにそんな考えしか浮かんでこない自分に嫌気がさす。自己嫌悪に陥る。

「サンク?」

 キリエが隣にいて一緒に歩いてくれていることを確認したくて、サンクは握った手を強める。
 だれよりもキリエのことを幸せにしたい。そう願っているのに、自分の考えることはその逆。
 どうすれば幸せになれるのか、サンクには分からない。キリエにはたくさんの安らぎをもらった。キリエの側にいると、心が休まる。これがたぶん、幸せという気持ちなのだろう。それでは、自分はどうすればキリエに幸せを与えられるのだろう。サンクは悩む。
 安堵と幸せが別物だということをサンクは知らない。
 サンクは今までそのどちらとも無縁な人生を送ってきたので分からなくても仕方がないかもしれない。
 キリエの望むとおり、キリエには側にいてほしい。ラクリモサを置いてきたのだって、キリエがいればいいと思ったからだ。

「わたし、サンクがいれば幸せだから」

 キリエは花がほころぶようなあの笑顔を見せて、サンクに笑いかける。
 こんなにもひどいことを思っている自分が側にいるだけでいいのだろうか。サンクは思い悩む。

「オレは……ひどいヤツだよ?」

 前にも同じセリフを言ったような気がしたが、サンクはもう一度言う。

「うん、そうだね」

 キリエはくすくす笑いながらサンクの言葉に返事をする。前は違うよ、と言ったのに今回は肯定の返事だ。

「サンクはひどいよ。だってこんなにもわたしを好きにさせたんだもん」

 サンクはキリエを抱きしめたい衝動にかられた。どうしてこうもキリエは自分にとってうれしい言葉ばかりくれるのだろう。それなのに、自分はなにひとつキリエに与えることができていない。

 キリエからすれば、自分こそサンクになにもしてあげられていない、と思っていた。サンクは確かにとても憎い。だけど──それでも心惹かれ、側にいるだけで幸せを感じることができる。サンクが両親を殺さなければもっと素直になれたのに。どうして父はあんな馬鹿なことをしたのだろうか。この世にすでにいない父に向かって恨み事を心の中でつぶやく。

 二人はぽつぽつと言葉を交わしながら歩いていた。途中、追っ手に次から次へと襲われたが、二人は物ともしなかった。
 しかし。
 日が暮れ、さすがに休まなくてはならない、となった段階で……サンクは困った。宿をとろうにも、どこに行っても拒否されるのだ。

「指名手配書でも出回っているのか?」

 サンクのつぶやきにキリエは首をかしげ、見上げる。
 サンクはともかくとして、キリエに野宿させるのはと思うが、今までも旅の途中、何度か野宿をしたことを思い出す。

「野宿でもかまわないか?」
「大丈夫だよ」

 キリエは久しぶりの野宿に少し心が弾む。
 たき火の横で背中を合わせて背後にサンクの気配を感じながら眠るのがキリエは好きだった。
 サンクは道をそれ、川沿いの休めそうな場所を探す。だが、一向に休めそうな場所を見つけることができなかった。見つけたと思っても、間髪いれずに追っ手がやってくる。

「…………」

 困ったことになった、とサンクはため息を吐く。アッシュグレイの髪をつかみ、暗くなった空を見つめる。
 さすがにここまで歩き通しで疲れてきた。宿も泊まれず、野宿もできない。いつも通りの無計画すぎた自分に、少しだけ困った。

 そうやって歩いていると、ずいぶんと暗くなってしまったが、とても小さな村を発見した。森の中にひっそりと存在する、村。駄目元でその村へと入る。ほとんどの家が明かりが消え、寝静まっているようだ。その中でも明かりがまだついた建物に近づく。そこは、いわゆるいかがわしい宿。きちんとした宿には指名手配書が回っていたようだが、ここなら大丈夫だろう。
 予想通り、問題なく宿に泊まれることとなった。
 部屋に入り、サンクは深呼吸をした。キリエは疲れた表情をしていたが、ようやく泊まれたことにほっとしているようだった。キリエは部屋に入るなり、すぐにお風呂場へと向かう。前ならば部屋の内装を見てはしゃいだりしそうなのに、それだけ疲れていた、ということか?
 サンクは荷を床に置き、ベッドに腰を掛け、そのまま上半身をベッドに倒す。がたり、とお風呂場で音がした。サンクはいぶかしく思い、身体を起こす。

「!」

 お風呂場から、羽交い絞めされ、口をふさがれたキリエが出てきた。
 サンクはベッドに投げかけた剣を素早く取ろうとして、腕になにかがぶつかる。サンクはあわてて手を引っ込める。

「この女の命が惜しければ、手を挙げろ」

 キリエを見ると、首を振っている。サンクも同じように首を振る。まさか待ちかまえられているとは思わず、油断した。
 サンクは両手を上げる。入口から追っ手が何人も入ってきて、サンクも拘束される。

「歩け!」

 後ろ手に縛られ、サンクは追っ手に蹴られる。一日歩き通しで疲れた身体に鞭打ち、サンクは歩きはじめた。

「あの女、本当に魔王の娘なのかよ? 見た目、普通の人間と変わらないな」
「このあたりの女よりよほどきれいだ」
「あそこの具合はどうなんだろうな? なあ、兄さん?」

 追っ手の一人はそれまでの憂さを晴らすかのようにサンクを後ろから蹴る。サンクは眉をひそめるだけで反応しない。

「おい、なにか答えろよっ! あんないい女を前にしてなにもしていないわけ、ないだろう?」

 先ほどより強く蹴られる。サンクはさすがにバランスを崩し、前に倒れる。腕を縛られているため、正面からもろに地面へとぶつかった。

「おいおい、国王さまに献上するんだろう? 丁寧に扱えよ」
「ああ、すまない。こんな裏切り者、いい思いしやがってと思うと、つい」

 追っ手たちはやめろ、と言いながらも倒れたサンクを足蹴にした。サンクは足を曲げ、身体をできるだけ守るように丸める。

「やっちまおうぜ」
「おい、やめろよ」
「だって、あんな美少女を独り占めだぜ? 手なんか繋いで!」

 追っ手たちは嫉妬心をむき出しにしてサンクを蹴る。縛られていなければこんな奴らに負けないのに。サンクは悔しさに血がにじむほど唇をかみしめた。


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