螺旋の鎮魂歌


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【二十三章】旅立ち




 リベラ大陸の平和は『魔王』の存在によって保たれていた。
 平和が崩れるとき、『魔王』が世界を破壊する──そんな伝説がこの世界にはあった。

 グラデュアル国は「魔王を隠し、かばった」という罪状の元、コンフュタティスへ攻め入る準備をしていた。魔王が住んでいたという洞窟は、コンフュタティスの背後にそびえるように存在するコミュニオ山脈にあった。リベラ大陸の生命の源を供給するホスティア川の水源地に魔王の洞窟はあり、それはこの地域のすべての生物の命を握られているようなものでもあった。グラデュアル国国王はそのことを昔から憂慮していた。魔王がここにいてはいつ、いかなる時にそれを盾になにか言ってくるのではないか、と。
 しかしそれは単に言い訳であり、理由をつけてはこの水源地を牛耳りたい、と思っていた。そのためには魔王の存在は邪魔であった。
 しかし、サンクがその魔王を倒した。恐れるものはなくなった。
 国王はコンフュタティスに罪をなすりつけ、それを口実に攻め入ることにした。魔王がいなくなった、ということを知るのは一部の人間のみ。世界はまだ、魔王がいると思っている。
 世界は『魔王』の恐怖の上に成り立った見せかけの平和にある。『魔王』を倒し、自分がこの大陸すべてを制して真の平和をもたらす。そんな世迷い言を国王は口にして、戦を仕掛けようとしていた。
 魔王を倒すために『勇者』と旅をした者たちには両手にあまるほどの褒美を与え、位も授けた。彼らは命を懸け、巨額の栄誉と富を得た。国王の褒美に満足している彼らが自分の不利になるようなことはしないだろう。
 しかし、問題はサンクであった。

「あの男は……。余の命令を無視するとは、許さん!」

 側近たちはここのところ毎日、いらいらとしている王に困りきっていた。原因は分かっているので王の機嫌をよくするために周りは必死になっていたが、手に余るのか、てこずっているようだった。

「まだ捕まえられないのか!」

 今日も報告を聞き、怒鳴り散らす国王に首をすくめる。
 サンクが捕まれば必然的に戦争への準備はもっと急がされることになる。側近たちはどう見ても負けるという道しかないこの戦争に対して疑問を持っていた。だが、意見をすればたちまち王の怒りを買い、自分だけではなく家族、果ては親類縁者にまで被害をこうむることになる。国の平和も大切だが、自分の身の平和はもっと大切である。側近たちはだれ一人として、進言することが出来ないでいた。
 側近たちはお互い暗黙の了解の元、本気になってサンクを追いかけていなかった。未だに捕まえてこない「できない」追っ手たちに安堵していた。



 これらはもちろん、秘密裏に行われていたことだが、人と物が不必要に動いている上、あちこちから聞こえてくるうわさ話は無視できない時点まできていた。サンクがオフェムで流したうわさ話に、グラデュアル国が傭兵を募っているという話。さらには魔王が殺された、という話。最初はうわさはうわさでしかない、と様子見をしていたのだが「火のないところには煙が立たぬ」という言葉もあるし、なによりも様々な方面から入ってくるその情報たちは妙に信憑性が高く、隣国のトラクタスとセキュエンティア、そして攻め入られそうになっているコンフュタティスも警戒し始めていた。
 コンフュタティスはいつ攻められてもいいように準備をはじめ、さらにはトラクタスとセキュエンティアに援助の要請も打診していた。
 グラデュアル国はトラクタスとセキュエンティアにとって邪魔な存在であった。
 セキュエンティアはコミュニオ山脈から領地の三分の一ほど森林におおわれていた。その先は草原ではなく、海辺までいきなり砂漠と化していた。グラデュアル国との国境を越えると、そこは急に緑豊かな土地で、セキュエンティアとしてはその領土が喉から手が出るほどほしいと思っていた。
 トラクタスは領土の大半が渇いた痩せた土地で、植物も育ちにくい。海があるために漁業は盛んではあった。作物はグラデュアル国からの輸入にほぼ頼り切っていたので、この国の領土を奪い取れればもっと豊かになれる、と思っていた。
 コンフュタティスもグラデュアル国を狙っていたが、ホスティア川に阻まれ、コミュニオ山脈から吹き下ろす冷たい風のせいで作物の育たない荒れ果てた大地しかなく、領土の割には貧しい国であるため、戦争をすると負けるのは目に見えていたため、攻め入ることは諦めていた。
 トラクタスとセキュエンティアにとってはグラデュアル国は邪魔な存在であった。
 もともと、現在グラデュアル国がある場所はベネディス川を境にそれぞれの領土の土地だった。それが遥か昔、いきなり現れた一人の男が土地を次々に奪い取り、ひとつの国家を作り上げた。もちろん、セキュエンティアとトラクタスは抵抗したのだが……一番美味しくてよい土地をあっという間にグラデュアル国に奪い取られ、グラデュアル国は国力をつけ、セキュエンティアとトラクタスは衰退していった。
 それから数百年、魔王の脅威もあり、世界は均衡しているように見えた。それを崩したのは、『勇者』の血を引くサンク。
 『勇者』と『魔王』なんておとぎ話の中だけの話かと思われていたが、二十数年前、世界には本当に『魔王』は存在して、世界は破壊つくされた。
 『魔王』が世界を破壊する原因を作ったのは実はグラデュアル国王その人であり、『魔王』の破壊行動を起こさせる原因を作ったのは彼だった。『魔王』を倒せる血を引く『勇者』の存在を知ったグラデュアル国王は『勇者』の血を引く彼に魔王討伐を命じた。
 結果は、失敗だった。
 『勇者』はいとも簡単に『魔王』に殺され──世界は滅びる一歩手前まで行ってしまった。
 グラデュアル国王はしかし、懲りていなかった。世界が平和になり、再び『勇者』の血を引く者を見つけ、討伐を命じた。
 そして今回は、成功してしまった。
 二十一年もの月日がかかったが、悲願を果たす一歩だと思えばそれほど待ったとは思わなかった。

「それなのに……あいつは余の邪魔をするというのか!」

 国王は玉座の上で大粒の宝石が埋め込まれた指輪をしたこぶしを肘あてに思い切りたたきつける。ひじ掛けに指輪がぶつかり、宝石がはじけ飛ぶ。それが頬にあたり、国王は余計に激高する。

「早く! 余の前にサンクを連れてこい!」

 なにかあるとすぐに猛り狂う国王に手を焼いていたところ、サンクが捕まった。

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「ミルエラ、行ってくるね」

 キリエは名残惜しそうにミルエラに別れを告げる。

「別に今生の別れじゃないんだから……!」

 と言いつつもミルエラは涙をためてキリエを見ている。
 キリエとサンクの二人は数日、舞台をこなした。しかし、街に流れるうわさはますますきな臭くなり、一刻を争う状況になっていることに気がついた。

「すぐに終わらせて帰ってくるから!」

 キリエとサンクは必要最低限の荷物だけを持ち、旅へと出た。サンクはあれほど肌身離さず持っていたラクリモサをキリエの部屋へ置いてきた。ミルエラの元へ戻る、という決意の元、ミルエラに預けたのだ。

「お願いね」

 ミルエラに託し、キリエとサンクはインジェの門をくぐった。

「!」

 門を出た途端、二人は取り囲まれた。

「サンクと……『魔王の娘』か」

 サンクは腰に下げた剣をいつでも抜けるように構え、キリエを背中にかばおうとした。しかし、キリエは懐に手を滑らせ、ナイフを取り出した。ふと一陣の風が舞い、気がついたら二人を囲っていた追っ手たちは地面に伏せていた。

「キリエ……?」

 戸惑いを隠せないサンクはキリエを見る。そこには、今まで見たことのないほど鋭い視線のキリエがいた。プラム色の瞳が、魔王の瞳と重なる。それを見て、サンクは本当にキリエが魔王の娘なのだ、と確信した。
 あの洞窟で魔王と戦った時、今まで出会ったことのあるだれよりも強いと思ったが、今のキリエはそれよりも強い。サンクは妙な冷や汗をかいた。

「サンク」

 先ほどはあれほど鋭い視線で追っ手たちを見ていたのに、今はもう、普段通りのキリエだ。サンクは戸惑いを覚えた。
 儚い容貌に似合わない強い太刀筋。今、自分がキリエと剣を結べば、確実に負ける。ぞくり、と全身に震えが走る。
 それは魔王の洞窟に到着した時のあの気持ちと同じだった。強い相手に出会えて、心が震えている。
 自分はあの時、恐怖に震えていたと思っていた。しかし、今思い出すと、喜びに打ち震えていただけだったようだ。
 どこが『勇者』なのだろう。『魔王』よりたちの悪い存在じゃないか。サンクは自嘲気味に笑う。

「サンク?」

 キリエはサンクを不思議そうに見上げる。

「ああ、行こうか」

 サンクは周りに倒れている人間に目を向けず、キリエに手を差し伸べる。キリエは少し戸惑いながらもその手を取る。
 サンクの握られた手は、少し緊張しているのかしっとりしていた。だけどそれは不快に思わず、キリエはその甲を頬に当てる。

「サンク、ありがとう」

 自分を守ってくれようとしたサンクにキリエは感謝の意を告げる。
 両親の仇だけど、やっぱり大切な人。魔王の娘、と分かっても、守ろうとしてくれた。
 サンクの暖かな手に、キリエは安堵する。キリエはサンクを再び信頼し始めた。
 憎いと思いつつも離れられない。激しく惹かれてしまう。その力にあらがおうと思えば思うほど、引き寄せられる。

「サンク」

 キリエは少し潤んだ瞳でサンクを見上げる。サンクはその瞳にとらわれ、往来で立ち止まり、腰を引き寄せる。キリエの頭を後ろから抱え、プラム色の瞳をのぞき込む。

「ねえ、サンク。わたし……あなたの楽器になりたいの」

 いつか自分の妄想の中でキリエを楽器に見立て、鳴かせたことを思い出す。まさかそんなことを言っているわけないと思いつつも、意味するところが分からず、サンクはキリエに問う。

「どういう……」
「わたし、ラクリモサの代わりに……なれないかな」

 キリエの瞳の奥にほんのり嫉妬の色を見て、サンクの心臓はどきりと高鳴る。
 肌身離さずずっと背負っていたラクリモサ。キリエはラクリモサのように側に置いてほしいとそう言っているのだろうか。

「キリエ……だけど」
「両親をあなたに殺された。だけど、わたしにはあなたしかいないの」

 潤んだ瞳にサンクの理性は音を立てて崩れる。こんな状況で場所が外でなければきっと、自分は押し倒していたに違いない。それができないことに心の中で舌打ちをし、しかし唇を重ね、舌を絡ませる。

「……サンク」

 頬を赤く染め、キリエはサンクを見つめる。

「キリエが側にいてくれるのなら──いつまでも隣にいてほしい」

 キリエはその言葉に、サンクの腰に手を回して抱きついた。


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