【二十二章】罪
朝食を摂り、再度、部屋に戻る。
「ねぇ、サンク」
キリエはサンクに向き合い、少し不安そうに見上げる。
「昨日、ここに戻る途中にやりたいことがあると言っていたことってなに?」
サンクはキリエに『やりたいことがある』と言われたことを思い出した。それを受けて、ミルエラに昨日、あんなことを言ったのだ。
「キリエは今、街に流れている噂を知っているか?」
ぼんやりとだが、不穏なうわさが流れているのを知っている。
「あれは……事実だ」
「なんでサンク、そんな」
そこまで口にして、キリエは思い出す。サンクはグラデュアル国の国王の命令で魔王を倒しに行ったのだ。
「今から話すことはオレの独り言だ」
サンクはベッドに腰掛け、壁を見詰めたままつぶやくように口を開く。
「王に魔王を倒してくるように命令され、旅の仲間たちと洞窟へ行った。そこで魔王を倒し……オレは仲間をも切りつけ、怖くなって逃げた」
広間の入口で出会った時のことを思い出し、キリエは目を伏せる。
血まみれのサンク。その後ろに血の海が広がり……。あの悲惨な光景を作り上げたのは、目の前にいるサンク。
「それからはキリエが知っている通りさ」
父と母が殺され、血の海に二人仲良く沈んでいる姿が目の前をちらちらと浮かんでくる。キリエは自分の手首をぎゅっと握りしめる。
父と母が殺された、という事実しか知らなかった。なにも知らなかったあの頃に戻れたら……。
目の前にいるサンクがその両親を殺したなんて。言われても未だに信じられずにいる。
「本当に……サンクが父と母を殺したの?」
否定の言葉がほしくて、キリエはサンクに問う。しかし、返ってきた答えは肯定のそれだった。
「残念ながら、事実は覆らない。魔王に傷を付けることができるのは、勇者の血を引く者だけだ」
サンクのまっすぐな視線にキリエは思わず目をそらす。
「キリエ」
サンクは立ち上がり、キリエの前に立つ。
「まだオレが二人を殺した、ということ、信じられない?」
キリエの中では、信じられない、のではなく信じたくないのだということに気がついていた。
「サンクが殺したなんて、信じたくないの」
サンクは懐からナイフを取り出し、キリエの手を取り、その指先に刃先を乗せる。ぷつり……と指先が傷つき、赤い血がぷっくりと顔を出す。
「ほら」
サンクはキリエに見えるようにその指を高く掲げ、指先を見せる。キリエは眉をひそめて指先を見つめる。
サンクが二人を殺したと知ったとき、ナイフを自分に突き立てても傷さえ付かなかった。なのにサンクはいとも簡単に自分を傷つけ、こうして血を見せた。サンクが勇者の血を引くのは間違いない。
これを見せられて信じられない、信じたくないと言えなくて、キリエは目を伏せる。
サンクはキリエの血の出た指を口に含む。
「サンク……!」
キリエはあわてて指を引っ込めようとするが、サンクは目を細めてキリエの指を口にしている。
キリエの血を口にしたサンクは妙な興奮を覚えていた。口に含んだキリエの血は、鉄臭さはなく、むしろ甘く感じた。
サンクはキリエの指を口から離し、そこから血が出てこないことを確認して手を離す。
キリエの指先は心臓になったかのようにサンクに触れられていた部分がどきどきとしている。
「キリエ、謝って許されることではないのは分かっている。オレはキリエの両親を殺した。その事実は変わらない」
どこまでもまっすぐな視線。キリエはなぜか居心地が悪くなる。
「憎まれても仕方がないことをオレはキリエにした」
キリエの中でサンクを責めそうな言葉しか浮かんでこない。それと同時に、好きという言葉も混在していて……複雑な気分になる。
「分からないの。サンクはわたしの大切な両親を殺した。憎いと思う。だけど、好きという気持ちもあって……心が引き裂かれそうになるの」
憎むことだけ出来れば楽だったのに。好き、という気持ちを自覚したら苦しくて息が出来なくなりそうになる。
「ミルエラは好きなら好きでいいじゃないと言ってくれた。だけど……サンクのこと、憎くもあったの」
キリエは目の前に立つサンクの腕をつかんで見上げる。
「ここにいて、いろいろな話を聞いた。人々は魔王におびえている。その脅威を取り除いたサンクは……正しかったんだって」
自分の父の悪行を知り、キリエはさらに心を痛めた。また暴れ始めるかもしれない『世界の脅威』を放置しておけない。
「サンクは、正しかったんだよ」
キリエの泣きそうな声にサンクは視線を落とした。
「サンクは……正しかった」
キリエは自分の言葉を確認してかみしめるように再度、口にする。
「父のやったことは本当にひどかった。あれから二十年以上経つのに、人々の心からあの恐怖は去っていない。殺すことが正しかったかどうかは分からないけど」
キリエはそこまで口にして、見上げる。
「サンク、恨み言を言っても……いい?」
懇願するような瞳。確認の言葉。サンクは少し悲しい瞳でキリエを見つめ、うなずく。
「母さんまで殺してほしくなかった」
キリエの言葉にサンクは目を見開く。キリエのピンクホワイトの髪がミサと重なる。
悲しそうなセピア色の瞳を思い出す。ミサと別れたとき、目が見えてなかった。だからあのとき、ミサはサンクがだれか分からなかっただろう。いや、見えていたとしても、あれから二十年経っていた。サンクが一方的に想っていただけで、ミサは元々サンクのことを知らない。
あの丘まで逃げ、別れたのが唯一かわした会話。あの時、背負って逃げた人間だとミサが認識していたかどうか。
「キリエに指摘された通り、オレは……キリエを通して、ミサを見ていた」
サンクの口から母の名前が出て、キリエは驚く。
「母さんのこと、知っていたの?」
「ああ。……好きだった。初恋の人──だった」
サンクはそう口にして、後悔の念にかられた。言っていいことと悪いことがある。今の話はキリエに聞かせていい物ではなかった。
「すまない。今のは聞かなかったことに──」
キリエを見ると、ひどく傷ついた瞳をしてサンクを見ていた。
「わたしは、母さんの身代わりだったの?」
消え入りそうな小さな声。
「違う!」
サンクは間髪入れずに否定する。
しかし、キリエは知っていた。ずっと自分を通してだれかを見ていたことを。
「やっぱりわたし、サンクのことを好きになってはいけなかったんだね。好きになって、ごめんね。わたしなんかが好きになって……ごめんね」
サンクの心に痛みが走る。
確かに最初の頃、ミサと同じ髪の色だから重ねて見ていた。思わず目が追いかけていた。昔、遠くからそうやってミサを見ていたように。しかし、キリエはミサと違う。一緒にいて、それは痛いほどよく分かった。
「キリエ……オレはキリエのことが好きなんだ」
「嘘よ。わたしは母さんの代わりなのよ」
「キリエ。もしオレがミサと結ばれていたら、キリエは産まれていなかったし、こうして逢うことはできなった」
サンクはキリエをじっと見る。
「オレはキリエから両親を奪ってしまった。だけど……これから、キリエとともに新しい家族を作ることはできると思うのだが、どうだろうか」
「新しい……家族?」
「そう」
サンクの優しい笑みにキリエは心臓が高鳴るのに気がつく。
「だからキリエ。その前にオレはやらなければならないことがある。一緒にやってくれるよね?」
「やらないといけないことって、なに?」
キリエの質問にサンクは耳元で答える。
「そんな──そんなこと、可能なの?」
「不可能か可能か、やってみないと分からない。だけど、これはオレなりの世界への償い。そして、キリエへの謝罪だ」
キリエは首を振る。
「なんでわたしへの謝罪になるの?」
「オレが魔王を倒さなければ、こんなことにならなかった。キリエは魔王の悪行ばかりを聞いてきただろう。確かにひどかった。でも、そんなひどい世の中だったから生きてこられた人間というのも実はいるんだ」
サンクは一度、言葉を切る。
「オレは生きるために盗みもした。人も平気で殺してきた。だけど、それが悪いことと思っていない。それをしないと、オレは生きていけなかったから。今の平和な世の中でそれをすると、すぐに捕まる。魔王が世界を破壊していた頃は、自分たちが生きていくのが精一杯で、そんなモラルだとかどうでもよかった。だからこそ、ここまで生きてこられたんだ」
サンクはつぶやく。オレはむしろ、魔王に感謝していた、と。
「そんな相手をオレはミサと一緒に殺した。恩を仇で返す、とはまさしくこのことを言うんだよな。そのあげく『世界の脅威』を取り除き、世界の均衡を崩した。オレは『勇者』ではなく、罪人なんだ。その罪を──償わなければならない」
それには……。
「グラデュアル国王に進言して戦争をやめさせる」
先ほど、キリエの耳元でささやいた言葉を改めて口にする。
「サンク、殺されちゃうよ?」
「大丈夫。オレを傷つけることができるのはキリエだけだから」
サンクの柔らかな笑みにキリエは見上げる。
「キリエ、一緒に行こう」
サンクはキリエに手をさしのべる。キリエはその手を見つめていた。
「オレのこと、嫌い?」
サンクは自分で聞きながらずいぶんと意地悪だな、と思う。
「好き」と聞くのではなく、「嫌い」かどうか聞くなんて、卑怯だ。
「嫌いじゃないよ」
「じゃあ、好きなんだろう? 一緒に来てくれないのなら、オレは今からキリエの身体に言い聞かせなくてはならなくなる」
意味は分からなかったが、サンクの妙に甘い表情にキリエはとっさに身の危険を感じる。サンクがこんな表情をした後は開けてはいけない禁断の扉を開けそうになる。
「や……だ、サンク」
妙に頬に熱を感じる。サンクは頬を赤く染めているキリエを抱き寄せる。
「オレを殺したいほど憎いのなら、キリエがオレのことを監視していればいい。オレのせいで世界の均衡が崩れてしまった。なら、元に戻すのがつとめだろう? でも、だれかが見張っておかないと、オレ、また悪いことをするかもしれない。だから、キリエが見ていて」
キリエはそれがサンクの「言い訳」に聞こえた。自分をここから連れ出すための、「言い訳」。耳元で囁くサンクの吐息に身体が熱くなる。早く解放してほしくて、キリエはうなずいていた。
キリエの返事に満足したサンクは、キリエの望み通り、腕を緩めた。キリエはほっと息を吐く。
「ねえ、サンク。今日の舞台の練習、しよう?」
キリエは話題を変えたくてそう話を振った。サンクは大きく伸びをして、承諾した。