『消滅の楔』


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【一章】迷惑な居候≪十九≫


     § § § § §

「おい……ちょっと待て」

 鴉はここで視えるはずのないものを見つけ、足音も荒く、近寄った。

「どうした?」

 鴉の様子に秀道は追いかけた。

「ここに……青い糸がある」
「青い糸?」

 鴉は手の平を広げ、本堂の間に建つ柱に絡みついた青い糸をなぎ払った。

「こんなもの、午前中はなかった」

 秀道が掃除をしたり、準備をしているとき、鴉は堂内を隅から隅まで視て歩いた。その時はなかったし、午前中の参加者の中にそういった能力を持っている人間はいなかったと思う。
 といっても、途中からつまらなくなってこっそりと退場した立場なのであまり自信はない。

「午前中に遅れて参加したヤツは?」
「おらん」

 秀道の返事に、鴉を腕を組んでじっと青い糸が絡みついていた柱を視た。青い糸は鴉がなぎ払ったと同時になくなった。
 これまで、町中にばらまかれていた青い糸がいつからそこに存在して、どれくらいで消えるのかははっきりしていない。
 しかし、鴉が堂内からいなくなった後から青い糸が現れたのだけははっきりしている。

「……ということは、午後の参加者の中にいたのか」

 鴉は舌打ちをすると、薄暗い本堂内をぐるりと回って確認した。

「じーさん。午後の参加者は何人だ」

 鴉の質問に、秀道はすぐに答えた。

「十人だ」
 十人は多いのか、少ないのか。

「普段は?」
「一人か二人かのぉ。五人くれば多い状態で、今日は多すぎてさばききれないほどだった」

 そこでふと、鴉は疑問に感じたことを口にした。

「どうして今日はそんなに人数が多かったんだ?」

 一人か二人が平常のはずで、五人もくれば多くて大変なのに、その倍の人数が来ているのにはなにか理由があるのだろうか。
 鴉の質問に、秀道は目を細めて笑った。

「気がついていないのか」

 秀道はてっきり気がついていて、相手をするのが面倒で姿をくらましたと思っていたのだが、どうやら違っていたようだ。

「気がつくってなにがだ?」
「今日の講座にやってきたのは女性ばかりだった」
「ふぅん」

 鴉は興味がなさそうに『だからなんだ?』と言わんばかりの答えを返した。

「おぬしはここのところ、この町に流れている噂は知らんのか」
「……知らないね」
「それなら、無理もないな。鴉、今日の講座の参加者の目的は、坐禅の話を聞き、組むことではない」

 それ以外になんの目的があるのか、鴉にはさっぱり分からなかった。

「おぬしじゃよ、鴉」
「……は? 俺?」
「そう。わしも意図的におぬしのことをこの町に噂を流した」
「どうして?」
「彩名とおぬしが逢ったから、だ」

 秀道の言っている意味が分からなくて、鴉は首を傾げた。

「わしはな、鴉。彩名とおぬしが再び逢うとは思っていなかった」
「……俺と彩名は赤い糸で結ばれているんだろう?」
「らしいな。……思っていなかったというより、そうあって欲しいという、わしの願望……だろうな」
「…………」
「おぬしと再会したら、彩名の人生は波乱に満ちたものになるだろう。そういう予感がわしにはあった。両親を早くに亡くしたという試練の上に、さらに穏やかな人生が送れないのは、とても不憫に思えてな……」

 彩名の人生が波乱に満ちたものになるのは、まるで鴉のせいと言われているようで、反論のために口を開こうとした。が、裏口から足音が聞こえ、鴉は口を閉ざした。

「おじいちゃん、お話中、ごめんなさい。おじいちゃん宛てに電話が掛かってきてるんだけど」
「おお、そうか。……ということで鴉よ。明日から、よろしく頼むぞ」

 秀道はそれだけ言うと、すたすたと本堂から出て、彩名とともに消えた。

「え……あ、おいっ」

 具体的な話を前にして、青い糸に気を取られてなにを手伝うか肝心なことは聞いていない。

「ったく……」

(前から食えないじじいと思っていたが、言いたいことだけ言って、さっさと行ってしまうあたり……)

「あれだけでどうやって判断しろって言うんだよ」

 思わず、愚痴が口からこぼれてしまった。
 鴉はもう一度、本堂内を隅から隅まで視てから、外へと出た。

「……気にくわねーな」

 彩名が首を突っ込もうが突っ込むまいが、今の鴉にはどうでも良かった。
 鴉の隙をついてきているような状況に苛立ちを覚えたのだ。

「売られたけんか、買ってやろーじゃねーか」

 ふんっと拳で鼻をこすり、地面を蹴った。鴉の身体は軽やかに宙に舞い、本堂の屋根の上にあった。

「いーだろう。今から一人、作戦会議と行くぜ」

 鴉は不敵に笑った。八重歯がきらりと光ったが、見ている者はだれもいなかった。

     § § § § §

 彩名が本堂に秀道を呼びに行っている間に、どうやら電話は切れてしまっていたようだ。

「うー、子機を持って行けば良かったかなあ」

 と言っても、親機からあまり離れすぎると子機も役目を果たさないため、結果は同じだったような気がする。

「それで、どういった用件だと?」
「……うん、それがね。分からないの。わたしも色々と聞いてみたんだけど、おじいちゃんにだけ伝えたいって言うから、慌てて呼びに行ったんだけど……」

 ざわめきが聞こえていたから、外からだったようだ。

「番号を非通知で掛けてきてるから、折り返しも出来ないし……」

 はー、と彩名はため息を吐いた。

「おじいちゃん、ごめんなさい……」

 電話の番さえろくに出来ないと彩名は落ち込んでいたのだが、秀道はそんな彩名の頭をぽんっと軽く撫で、笑みを浮かべた。

「まあ、問題ない。また縁があれば、どこかで繋がる」

 祖父のいつもの言葉に、彩名は顔をしかめた。

「おじいちゃんはそういうけどっ!」
「人と人との繋がりとは、そういうものだ」

 そういって、秀道は彩名の左手小指を指し示した。秀道には見えないが、彩名と鴉とを結ぶ赤い糸がある場所。

「わしには見えぬが、その赤い糸のように、人と人とを結ぶ糸があるはずなんじゃ」
「…………」

 彩名は複雑な気分で、左手小指を視ている。

「ドラマなどで、よく人物相関図みたいなものが設定としてあるだろう」
「……おじいちゃんの口からドラマなんて言葉が出てくるとは思わなかった」
「そうか? 最近、檀家さんが出演しているというから、観させてもらっているんだが、それの冒頭で必ず出てくるのだよ」
「へー」

 彩名は秀道がたまに夜にひっそりとテレビを観ているのは知っていたのだが、そういう理由だったと初めて知った。

「相関図と同じように、縁のある人間は、糸のようなもので結ばれているとわしは思っている」

 彩名は両手を広げ、天井にかざして視た。
 左手小指の赤い糸以外は視えないが、秀道とも、知穂や貴之とも繋がっているから出会ったのかもしれない……そう考えると、なんだか変な感じだった。

「縁がなかったら、糸は繋がってないのかな」
「そんなことはないだろう。糸はきっと、結ばれたり切れたり、忙しいのではないかな」
「…………」

 彩名が意図的に青い糸を切るように、人間も無意識のうちにそういう『縁の糸』を切ったり繋げたりしているのかもしれない。
 そう思うと、なんだか彩名の肩の荷が下りたような気がした。




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