『消滅の楔』


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【一章】迷惑な居候≪十八≫


     § § § § §

 貴之から伸びているはずの赤い糸が、鴉には視えなかった。
 そこには確かに存在しているはずなのに、なぜかしら視えない赤い糸。

(どうなってるんだ?)

 自分の目がおかしくなったのかと鴉は慌てて自分の左手小指を視るのだが、そこには忌々しい赤い糸がきちんと存在していた。

(こいつには赤い糸がない……のか?)

 そう思って秀道の左手小指も視たのだが、やはり赤い糸は存在していなかった。

(待てよ。俺、元々、他人の赤い糸って視えていたのか?)

 赤い糸なんて興味がなくて、気にしたことがなかった。だから元から視えていなかったのか、急に視えなくなったのか、判断出来なかった。

「秀道和尚でも、そんなロマンチックなことを言うんですね」

 貴之の声に、鴉は現実に戻ってきた。

「ほう。貴之くんにとって、赤い糸の話はロマンチックなこと、なのかな」
「はい。もしも本当にそういったものが存在しているのなら、俺は彩名と結ばれていると信じています」

(けっ。なーにが『彩名と結ばれていると信じている』だ。残念ながら彩名の赤い糸は、俺に繋がってるんだ)

 どうしてか、鴉はそこで貴之に『勝った』と思っている。

「ほう。それはなにを根拠にそう思っておる?」

 鴉からすれば意地の悪い質問にも、貴之は真っ直ぐに答える。

「運命を、感じたんです」

 鴉は大声で笑いたくなったのだが、ぐっと我慢した。

「なるほど。……では、その運命が本当ならば、彩名との結婚も許すし、この寺を継いでくれるというのなら、喜んでこちらからお願いしたい」
「ほっ、本当ですか!」

 貴之は身を乗り出し、秀道に迫った。

「だが。そこまでの道は険しいぞ」
「……と申しますと?」
「進路について相談と言ってきたということは、仏教系の大学を進学先に決めているとみたのだが」
「はい」
「まずはそこに受からなければ、話にならないのではないのか?」
「……そう、ですね」

 貴之は秀道から許可が出たことですっかり舞い上がっていたが、そこはかなり重要なことであった。

「おっしゃる通り、大学に受からなければ話にならないと思います」
「うむ」
「ですからオレ、大学に合格したら彩名に告白しようと思っています」
「そうだな。それがよい」

 秀道は貴之の言葉に力強くうなずいていた。

(じーさん、どういうつもりだ? これは早いところ俺と彩名を繋いでいる赤い糸を断ち切れと言っているのか?)

「お忙しいところ、オレのためにお時間を割いていただき、ありがとうございます!」

 貴之は再び深くお辞儀をしていた。

「来週からも、今まで以上に寺の掃除を頑張らせていただきます!」
「それはありがたいのだが、勉強は大丈夫か?」
「勉強も大切ですが、寺も大切ですから」

 貴之の言葉に秀道は少し苦笑しつつ、よろしく頼むよと口にして、庫裏から出て行こうとした。

「あのっ、このことは、彩名にはその……」
「ああ、言わないでおくよ」

 貴之はその言葉にほっとしたようだ。秀道の後に続いて、貴之も庫裏から出て行った。
 鴉は深く息を吐き、台所へと足を踏み入れた。

(じいさん、俺と彩名の赤い糸を断ち切った後、あの野郎と繋げって意味で俺にやりとりを見せたのか?)

 秀道は鴉がこの寺に滞在する条件としてそんなことを言っていた。

(気にくわねーんだよな、あのクソガキ)

 赤い糸を断ち切った後、どうなるのか鴉は知らない。
 そもそもが赤い糸で結ばれていた二人のうち、片方が亡くなった場合、残った者はどうなっているのだ?

(赤い糸を断ち切った後に結び直すなんて面倒なことをしなくても、その辺りになにか手がかりがありそうなんだが……)

 鴉としては、彩名との赤い糸は断ち切りたい。しかし、その後に貴之と繋ぐのはものすごく癪に思っている。

(あー! どうすりゃいいんだよっ!)

 むしゃくしゃして、頭をかきむしっていると彩名と知穂が話ながら入ってきた。

「……そこでなにしてるのよ」

 予想以上に低い声の彩名に、鴉は首をすくめた。

「え……いや」

 ここでまさか、秀道と貴之のやりとりを盗み聞きしていましたなんて言えなくて、鴉はじりじりと後退して、台所からそそくさと逃げ出した。

(あの様子だと、夕食抜き……かな)

 人間であっても、一食抜いたくらいですぐには死なない。ましてや、食べなくても済んでいる邪刻である鴉は、食べなかったところでなんともない。そのはずなのに、どうしてか彩名の作る料理に固執してしまっている。

(これ以上、彩名を怒らせないために、俺もなんか手伝いをするかな……)

 そんな殊勝なことを考えてしまうほど、鴉は彩名にはまっていた。

     § § § § §

 午後の坐禅講座も滞りなく終了した。
 鴉はというと、午後は本堂に出向かなかった。そのことが後になり、後悔の元となるのだが……。
 夕食の席では彩名は普段と変わりなかった。鴉の分もきっちり用意してくれているのを見て、鴉は思わず彩名を拝みたくなった。

(ってちょっと違うか)

 ちらりと彩名を見ると、少し不機嫌そうに見えたが、あまり普段と変わらないようだった。

「あのさ」

 食事が終わったのを見計らって、鴉は口を開いた。

「俺も寺のこと、なにか手伝う」

 今日、一日の様子を見ていて気がついたことがある。手伝いに来ていた貴之に対して、彩名はとても優しかったのだ。

(あれはあいつが勘違いしても仕方がない接し方だった)

 ご飯のお代わりに、飲み物の補充、おかずもいろいろとすすめていたし、どうやら貴之の好物ばかりを用意していたようなのだ。
 あれが彩名流の感謝の表し方なのならば、鴉もほんの少しでいいから、あやかりたいと思ったほどだ。
 それに、いつまでも『ただ飯食い』と言われるのも嫌だったのだ。
 鴉の言葉に、彩名は大きな目をさらに見開き、今にも目がこぼれそうだった。

「……鴉、なんか変なものでも食べた? 駄目よ、お腹空いたからって拾い食いなんてしたら」
「なっ、なんだよ、その言いぐさ! 俺だってだな」

 さらに鴉がいいわけじみたことを続けようとしたところ、秀道が口を開いた。

「ほう。よい心がけじゃ」

 そして楽しそうに笑い声を上げた。

「仕事なら、いくらでもある。まず、わしの補佐をするがよい」

 補佐と言われ、鴉の背筋は自然と伸びた。

「補佐なら得意だぞ」
「ほう。なら、少し打ち合わせをするか。本堂に行くぞ」

 秀道は茶を飲み干すと、立ち上がった。

「おっ、おうっ」

 ここで話せばいいのにと思いつつ、鴉は秀道に付き添って、本堂へと向かった。



 日が沈むのが遅くなってきたとはいえ、すでに辺りは薄闇に包まれていた。
 本堂の裏口から入り、秀道は暗い中を本尊前へと移動すると、ろうそくに明かりを点けた。それから秀道は合掌をすると、鴉に向き合った。

「おまえがなにを思って手伝うなんて申し出たのかは知らぬが」

 秀道は鋭い視線を鴉に向けた。

「本当に手伝う気があるのなら、いくらでもある」

 鴉は秀道の視線を受け、目を細めた。

「具体的にはなんだよ」
「そうだのぉ……」

 秀道は堂内に視線をさまよわせた。鴉はそれを追うように視て、気がついてしまった。




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