【一章】迷惑な居候≪十七≫
§ § § § §
いつもは賑やかな知穂が静かだったからか、昼食は妙な沈黙が支配していた。
そんな中でも用意していたおにぎりもおかずもすべてきれいになくなり、空っぽの皿だけが長机に残った。
「ごちそうさま。……わたしは食器を洗ってくるね」
なんとなくいたたまれなくなり、彩名が立ち上がろうとしたところで知穂がようやく、口を開いた。
「彩名ちゃん」
彩名は腰を浮かせたまま、知穂に視線を向けた。
「ずいぶんとその男の人と仲がいいみたいだけど」
知穂はそう言うと、びしりと鴉を指さした。鴉はめんどくさそうに視線を上げただけだった。
対して、彩名は明らかに狼狽した。
「えっ? やっ、ちょっと、知穂ちゃん?」
どこをどう見たら、仲が良く見えたのだろう。
「その男、だれ?」
知穂は鴉に牙を向いている。敵対心を向けられている鴉は、興味がなさそうに食後の茶をすすっていた。
「なんなのっ? さっきも無視するし! きちんと答えなさいよっ!」
知穂は鴉に相手にされていないと分かると、さらに声を荒げた。
知穂が肩で息をしている音だけが、食堂にした。
「鴉よ」
鴉が口を開かないのを知り、秀道がフォローするように口を開いた。
「どうして名乗らぬ?」
「どうしてって……。俺の名前を聞いてるのか?」
そっぽを向いたままだったが、鴉はようやく口を開いた。
「知穂さん、この男は九重鴉と言って、少し事情があって、しばらくここに滞在してもらっておる」
鴉がしばらくここにいさせろと言ったのに! と彩名は秀道の説明に異を唱えようとしたが、目で制された。
「どういう関係……なんですか」
知穂は本当は事情というものがなにか聞きたかったのだが、聞いてはいけないような気がして、別の質問をぶつけた。
「なあに、わしの古くからの知り合いじゃよ。なあ、鴉?」
「……あん?」
秀道が目顔でうなずいておけと言っていたので、鴉は曖昧にうなずいておいた。
「用が済めば、彼はいなくなる」
そう言われ、なぜだか彩名の心は複雑な気持ちになった。
今すぐにでも出ていって欲しい気持ちが大きいのだが、少しだけいなくならないで欲しい……なんて思うところもあるのだ。
(かっ、鴉なんてっ! 手間のかかるがきんちょじゃないのっ! いない方が清々するわっ!)
彩名は自分の気持ちを否定したくて、少し乱暴に食器を重ねた。
「こら、彩名」
秀道もさすがに彩名を注意した。
「……ごめんなさい」
しょんぼりと肩を落とし、彩名は静かに食器を重ねた。
「流しに持って行けばいい?」
それまで、まるで空気のように静かだった貴之の申し出に、彩名は止めようとした。
「片づけたらオレ、帰るよ。飯、ありがとな。美味かった。秀道和尚もありがとうございました」
「毎週、すまないね」
「いえ、いい特訓になってます」
秀道と貴之は連れだって、台所へと向かっていた。
「えっ……と。知穂ちゃんはどうする?」
未だに鴉のことを睨んでいる知穂に声を掛けると、今までの表情が嘘のようににこやかになり、彩名を見た。
「あたしこそ、なんにもしてないのにお昼呼ばれて、ごめんね」
「……まったくだな」
彩名は横から突っ込みを入れてきた鴉を睨みつけ、知穂を見た。
「ばたばたしてて、ごめんね」
「ううん、いいのっ。忙しいのに押し掛けるように来たあたしが悪かっ……」
知穂の言葉に被せるように、鴉が知穂に畳み掛けた。
「忙しいと分かっているのにどうして来た?」
「かーらーすー!」
「迷惑なら迷惑とはっきり言え、彩名」
彩名は「おまえが言うか!」と内心で思いつつ、首を振った。
「知穂ちゃんは別に迷惑じゃない。よっぽど鴉のが迷惑っ!」
彩名ははっきりとそう言った後、慌てて口を押さえた。
「……分かった」
鴉はなにも反論せず、静かに食堂から出ていった。
(言い過ぎちゃった……かな)
鴉が相手になると、いつも思っている以上のことを口にしてしまう。
二人のやりとりを横で見ていた知穂は目を丸くした。
「……彩名ちゃんでも、あんなにはっきり言うことがあるんだ」
「え……あ」
取り繕うのもすでに遅く、彩名はひきつった笑みを浮かべることしか出来なかった。
§ § § § §
彩名にはっきりと迷惑だと言われた鴉は、静かに食堂を出た。
(あいつ……言いたいことをずばずば言いやがって)
とは言っても、さすがの鴉も彩名に迷惑がられていることは気がついていた。
(……やっぱり、一刻も早く赤い糸を断ち切る方法を手に入れなければ)
彩名から言われた言葉は、なぜか鴉の心に深く突き刺さった。
(彩名にとって、俺は迷惑以外のなにものでもないってことだよな)
最初から彩名に好かれていないのは分かっていたし、好きになって欲しいとも……。
(いや……好きになって欲しいと心のどこかで思っているのかもしれないな。そう思っていなければ、迷惑の一言で痛みを覚えるわけがない)
左手小指に自然と視線が向く。
(こいつの……せいか)
想像以上に厄介な存在に、鴉は思わずため息を吐きそうになったのだが。
「秀道和尚、少しお時間をいただいてもいいですか」
改まった貴之の声に、鴉は思わず気配を殺した。
「どうした、改まって」
「あの……進路について相談が」
「進路? それは学校の先生に相談した方が」
「いえっ!」
妙に切羽詰まった声に、秀道は黙って貴之を見た。
「あのっ……オレっ、将来、この寺を継ぎたく……!」
(どういうことだ?)
貴之の声に鴉は少し身を乗り出した。
台所内には、奥側に秀道、手前に貴之の背面が見えるが、今は頭を下げているようで、上半身は見えない。
秀道から鴉の姿が見えたようで、ぴくりとこめかみが動いたが、それだけだった。
盗み聞きというか、のぞき見というか、そんな状態になっていることは分かった。しかし今更、出て行くのはおかしいし、貴之がなにを言うつもりでいるのかというのに興味があった。まあ、大体は予想出来ていたが。
「それは要するに、彩名と結婚をしたい……と言うことか?」
貴之の遠回しの言葉に対し、秀道はずばりと言い切った。
「そ……そう……いう、ことに」
勢いよく言ったものの、ずばりと下心を指摘された貴之は、しどろもどろながらも肯定の返事を返した。
「彩名は?」
「……まだ、言っていません」
「ほう。では、どうしてわしに先に言った?」
貴之はなんと答えようと悩んでいるようで、頭を下げたまま、微動だにしない。
「息子の広明は、当てにならない。彩名はそのうち、嫁に行くだろう。そうなると、この寺を継ぐ者が誰もいなくなる。しかし、このままここを廃寺にするのはかなり惜しいとわしは思っておる。だから、継いでくれるという言葉は嬉しいのだが……」
そして秀道はちらりと鴉を見た。
「貴之くんは、赤い糸というものを信じておるか?」
「赤い糸……ですか?」
思いも寄らない単語を秀道から聞き、貴之は驚いて頭を上げた。
「運命の人と結ばれているという、赤い糸だ」
そういえば、貴之の赤い糸は誰に繋がっているのかと思ったのを思い出した鴉は、貴之の左手小指に視線を向けた。
(……視えない?)
そんな馬鹿なと思い、鴉は目をこすったのだが、やはり貴之から伸びているはずの赤い糸は視えなかった。
(どう……いうこと、だ?)
鴉は自分の目が信じられなくて、きつく目を閉じ、頭を軽く振った。