『消滅の楔』


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【一章】迷惑な居候≪六≫


     § § § § §

 彩名は部屋に戻ると準備をして、風呂場へと向かった。

(もー、信じらんない!)

 彩名もなにに対して怒っているのか、よく分かっていなかった。
 鴉を見ていると、どうにも落ち着かない。それになぜだか、常に心臓がどきどきするのだ。
 幼い頃から寺で育ったので、作務衣を着ている人はよく見かけていた。だから取り立てて珍しいものではないはずなのに、どうしてだろう、鴉が着ていると……。

(ふ……不覚にも『かっこいい!』なんて思っちゃったじゃないのっ!)

 彩名はそう思ってしまった自分に怒りを覚え、思わず扱いが乱暴になってしまう。
「あー、もうっ!」
 普段なら問題なく開く風呂へ続く引き戸も、今は怒りのあまり上手く動かない。そのことに余計に苛立ちを覚えてしまう。
 彩名ががたがたと引き戸と格闘していると、夕食を食べ終わった鴉が歩いて近寄ってきているのが視界の端に見えた。

(よっ、よりによって!)

 そのまま通り過ぎてくれるといいのにと思ったのだが、鴉は声を掛けてきた。

「お? なにしてるんだ?」
「みっ、見てわかんないのっ? 開かなくて苦戦してるのよ!」

 彩名は引き戸を上に持ち上げ、下のレールに引っかかっている戸を上げて横に動くようにしているのだが、やはり開かない。早く開けて中に入って閉めたいのに……と思えば思うほど、まったく動く気配がない。

「あーっ!」

 彩名は絶叫して、引き戸から手を離した。

「大変だな」
「大変だな、じゃないでしょう! 女の子が困っていたら、手伝いなさいよ!」
「そういうもんなのか?」
「そういうものなの! 気が利かないわねっ」

 鴉はさっきから彩名に怒られてばかりだ。
 しかし、手伝えと言われたからにはと、鴉は彩名に変わり、引き戸を開けることにした。

「よっと、って。なんだ、すぐに開くじゃないか」
「あっ、あのね! わたしだっていつもは開けられるのよ!」
「じゃあ、どうして今は開けられなかったんだ?」

 鴉のことを考えていたから、なんて言えなくて、彩名は真っ赤になって睨むことしか出来なかった。

「そんなこと、どうでもいいじゃないのっ」

 やっぱり素直になれなくて、彩名はまた、動揺してしまう。
 それでも、と彩名はお礼を言わなくてはいけないことを思い出し、口にした。

「とっ、とりあえず、開けてくれて、ありがと。お風呂上がったら呼びに行くから、次、すぐに入りなさいよ」
「え……あ、分かった」

 まさか彩名からお礼を言われるとは思っていなかった鴉は、唖然と彩名を見た。
 彩名は真っ赤になった顔を見られたくなくて、すぐに顔を背けると中に入った。

「鴉、覗かないでよ!」

 さっきはあれほど開かなかった引き戸が、今度は力強くバタンと音を立て、閉まった。

「頼まれたって覗くか!」

 扉の向こうの彩名に向け、鴉は大声でそう返していた。

 どうにも彩名といると、調子が狂ってしまう。
 なんだか妙に大人しい自分に、鴉は自分で笑ってしまう。
 本来の自分は、もっと傍若無人で傲岸不遜なはずだ。
 それなのに、どうしてだろう。
 彩名と会ってから、調子が狂いっぱなしだ。

 十四年前、胸騒ぎを覚えて向かった先は、酷い交通事故の後だった。
 ここには邪刻が好む不幸が渦巻いているというのに、そのときの鴉はそんなことよりも胸騒ぎの原因を探すことを先決させた。
 そして見つけたのは……。
 あまりにも衝撃的すぎて、鴉は思い出したくなくて、首を振った。
 そうして、鴉は視てしまったのだ。
 自分の指から伸びる赤い糸が、彩名と繋がっていることに。

 どこかに繋がっているらしいというのは鴉は知っていた。
 だけど、興味を持てなかった。
 それに、自分は元人間とは言え、今は邪刻だ。
 人間が持っている運命の赤い糸を自分が持っているわけない、なにかの間違いだとずっと思っていたのだ。
 それなのに、なんの因果か、幼い女の子の小指に自分の赤い糸が繋がっていたのだ。

 冗談じゃない。
 鴉はそう思い、思いっきり赤い糸を引っ張った。だがそれは切れることなく、伸びただけだった。
 手を離すと、糸は元の長さへと戻った。
 引っ張り続ければ切れるかと思ったのだが、切れるどころか伸びるだけ。
 どうなっているのかさっぱり分からなかった。

 赤い糸をどうすることも出来ないと気がつき、鴉は諦めた。
 そして、交通事故に遭ったと聞いて現場に駆けつけた秀道に、腕に抱えていた彩名を押しつけて、鴉はその場を去った。

(彩名はあの時のことを覚えていないようだった。……それでいいんだ)

 鴉はあの時、どうしてあんなことをしてしまったのか、未だに自分の行動が分からないでいた。だから彩名が覚えていたら困っていただろうが、交通事故のことも含め、幼い頃の記憶はないようで、助かった。

 そして、昨日。
 やはりなんだか胸騒ぎを覚えて探していると、そこに彩名がいて……。

(なあ、運命の赤い糸ってなんだ? 俺と彩名が出会うのは、必然だったのか?)

 鴉は左手小指の先から伸びた赤い糸を天井にかざしてみた。
 こんな糸一本で人生が決まるなんて、ふざけている。
 やっぱり、この赤い糸を断ち切る手段を探し出して、切ってしまおう。
 切ったことで彩名が不幸になろうが、死んでしまおうが、後はもう、鴉には関係ない。
 とにもかくにも、この理不尽な赤い糸から一刻も早く、解放されたい。
 きっと彩名の作る料理が美味しいと思うのも、かなりの年下で興味を感じられない年齢であるにも関わらず、たまにかわいいと思えたり、愛おしいと感じてしまうのは、全部全部、この憎らしい赤い糸のせいに決まっている。
 そうでなければ邪刻である自分があんな小娘一人に調子を狂わされたり、変に悩まされたり、ましてやもっと知りたい……だなんて思うわけ、ないのだ。
 このくそったれな赤い糸のせいで……!

「もっと側にいたい、だなんて……この俺が思うなんて!」

 鴉は自分の気持ちが分からなくなっていた。
 この気持ちは、自分が彩名のことを好きでこう感じているのか、赤い糸で繋がっているからそう思わされているのか。
 もしも赤い糸が視えなかったら。
 この気持ちを素直に受け入れていただろうか。
 まったく自分の好みからかけ離れているというのに、今と同じ気持ちを彩名に対して抱いただろうか。

「あー、もうっ! わっかんねー!」

 考えることが得意ではない鴉は、考えることを投げ出した。
 なるようになる、だし、運命は変えられるのだ。
 転がっていた布団から身体を起こした途端、戸が叩かれた。

「なんだ?」
「お風呂から上がったから、次、どうぞ。使い方、分かる?」

 扉の向こうには風呂上がりの彩名がいる。そう思っただけで鴉はなんだか落ち着かなくなった。本当は使い方なんて分からなかったのだが、鴉は強がってみた。

「適当に使う」
「そう。じゃあ、ごゆっくり」

 すぐに彩名の気配は去って行った。
 分からないと言ったら、教えてくれたんだろうか。
 もっと側にいたい。
 そう思ってしまう自分が信じられなくて、鴉は否定するように強く首を振り、風呂場へと向かった。





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