【一章】迷惑な居候≪七≫
§ § § § §
彩名は朝から不機嫌だった。原因は言うまでもなく、鴉である。
「もうっ! 使い方が分からないんだったら、素直に分からないって言いなさいよ!」
彩名に怒られ、鴉は申し訳なさそうにうなだれている。
「返事はっ?」
「……はい」
その様子を、秀道は横で目を細めて見ていた。
彩名が朝から怒っているのは、風呂のことでだった。
彩名に風呂に入るように言われた鴉は使えもしないのに風呂は使えると強がり、そして案の定、壊してしまったのだ。
「修理代、いくらすると思ってるわけっ?」
「……すみません」
殊勝に謝っている鴉を見て、秀道は助け船を出してくれた。
「まあ、彩名もそれくらいにしておけ」
「……はい」
使えると言っても、それでも一応、説明はするべきだったのだ。
どうにも鴉と一緒にいたくなくて、彩名は説明をするのを省いてしまったのも悪かったのだ。
「なにかあったら声を掛けてくださいとおっしゃってくれている檀家さんもいるから、頼ってみることにするよ」
「でもっ」
「なあに、心配ない。わしが留守している間、鴉がここにいてくれているだろう?」
「はあ? 俺なんか信用していいのか?」
「御仏さまは、いつだって見ていらっしゃる」
「…………」
鴉が唖然としているのを見て、彩名はにやりと笑った。
「お子ちゃまな鴉に、お留守番なんて、出来るの?」
彩名の挑発するような言葉に、鴉はかちんときたようだ。
「おう、やってやろうじゃないか!」
その言葉を聞き、秀道はにっこりと笑みを浮かべた。
「そうか。それなら鴉、小一時間ほど、よろしく頼むよ」
鴉は「あ……」という表情をしたが、後の祭り。秀道はしてやったりという表情を鴉に向けてきた。
彩名は不安に思いつつも、学校へと出掛けていった。
「それではすぐ近所だから、なにかあれば走って知らせてくれ」
「おいっ、行き先は!」
「なあに、鴉。おまえなら分かるだろう?」
と無茶なことを言うと、秀道は修理のお願いをするためにとっとと山門をくぐって出て行ってしまった。
一人残されたのは、鴉。
東青寺に来て、二日目。
ここでの日常がどうなのか、鴉は分からない。しかも鴉は客人のはずだ。
(なんかおかしくないか?)
そうだ。
鴉はこの寺に修行に来たわけではない。
彩名と繋がっている忌々しい赤い糸を断ち切るためには、赤い糸が視える上に、触れて、治したりといった赤い糸に対してなにか施せる彩名の近くにいるのがいいと思ったから、来たのだ。
(だったら、真面目に寺の番なんてしなくても……)
と思うのだが、彩名に馬鹿にされた手前、頼まれたことを放棄するのもなんだか癪だ。
(あああ、なんなんだよ!)
鴉はぼさぼさに乱れた髪の毛をかきむしり、頭を抱えた。
(なんで俺、あんな小娘に振り回されているんだよ!)
負けず嫌いで意地っ張りである鴉は結局、彩名にまた馬鹿にされるのが嫌で、大人しく寺の番をすることにしたのだが……。
(といったって、なにすりゃいいんだ?)
結局、やることが分からなくて、ただ境内をぶらぶらと歩き回るだけだった。
それから一時間もしないうちに、秀道は何人かの人たちを連れ立って、帰ってきた。
「おお、鴉。留守番、お疲れさま」
「おう、これくらい、簡単だぜ!」
境内をうろうろしていた際、墓場の垣根を少し壊してしまったが、それは黙っておくことにした。たぶんまた、彩名に知られたらこっぴどく叱られそうだが、ばれなければ問題ないのだ。
結局この垣根の件もすぐにばれて予想通りこっぴどく叱られてしまうのだが、このときの鴉はそのことを知らない……。
秀道の連れて来た職人たちは風呂場を見て、すぐに直して行ってくれたようだ。
どうやら彩名が怒り狂っていた割りには、そんなに大したことはなかったらしい。
それでも、壊してしまったのは確かなので、鴉は夕方に彩名が帰ってきたらもう一度、謝ろうと思ったのだ。
§ § § § §
そして一方。
学校へ行っていた彩名だが……。
(鴉、きちんと一人で留守番、出来てるかしら? またなにか、壊してない?)
そう考えると、彩名はどうにも身が入らない。
それにしても、鴉がなにかを壊しているかもしれないと読む辺り、彩名もなかなか鋭い。
「家持ー、家持彩名、いるか?」
朝礼で出欠を取っているところ、彩名は名前を呼ばれているのに心ここにあらずといった感じで、教師の声が聞こえていなかった。
「家持彩名は欠席……と」
「あー! 先生! 彩名ちゃんなら来てます!」
知穂が慌ててフォローに入ってくれたのだが、それでも彩名はまだ、気がつかない。
「彩名ちゃん!」
知穂の呼ぶ声にも彩名は反応しない。呼びかけても反応しない彩名に苛立った知穂は席から立ち上がり、肩を叩いた。
「彩名ちゃん! 出欠確認中だよ!」
「え……? あ、はい! す、すみません、来てますっ!」
知穂に肩を叩かれて、彩名はようやく気がついた。
慌てて立ち上がり、手を上げる。
「家持……は出席、と」
教師のその声に、彩名と知穂はほっと息を吐き、席に着いた。
そして今日の彩名は、ずっとこの調子だった。
「ねえ、彩名ちゃん。なにか悩み事?」
さすがに気になって、知穂はお昼時間に彩名に問いかけた。
途端、彩名の態度が明らかにおかしくなったのだ。
「や……えっと? な、なんでも、ないよ?」
弁当の包みを開けようとしていた彩名は手を止め、顔の前で両手を振って思いっきり否定をした。それが余計に知穂の疑惑を深めた。
「なんでもないって、本当に?」
知穂がさらに追求をしたところ、二人の会話に割り込んできた人間がいた。
「よお、彩名。どうしたんだ、真っ赤な顔して? もしかしておまえ、熱でもあるんじゃないのか?」
とお弁当を片手に現れたのは、三組の貴之だ。
「ちょっと! なんであんた、お弁当を持ってきてるのよっ!」
「なんでって、いいだろ、別に。一緒に食おーぜ」
と言って、貴之は空いている椅子をたぐり寄せ、彩名の横に座った。それを見て、知穂は怒り始めた。
「なんなのよ! 彩名ちゃんと楽しくお弁当を食べようとしていたところに割り込んできて!」
「なんでだよ。去年までオレたち同じクラスで、こうやって三人で食ってたじゃないか」
「あれは同じクラスだったから仕方がなくで……!」
「オレは彩名と弁当が食べたいの! 知穂、おまえは別の友だちと一緒に食えば?」
「ちょ……! あんたっ! あたしの彩名ちゃんを横取りしようとしてるのね? それに、どーして同じクラスの人たちと食べないのよっ! あー、分かった! あんた、ハブられてるんでしょっ?」
「違うわっ! 昨日まではクラスの人たちと交流を深めていたんだ!」
「ほんとにぃ?」
知穂は疑いの目で貴之を見ている。貴之はふんっと鼻で笑い、知穂ににやけた表情を向けていた。
去年まで毎日見ていた光景が再び復活して、彩名は苦笑いを浮かべるしかなかった。
(色々いいながらこの二人、仲がいいわよね。それはそうか。赤い糸で結ばれてるんだもんね。二人とも照れ屋さんだから、わたしをダシにして、話をしてるのよね)
と知穂と貴之の二人からすれば、彩名を取り合いしているのだが、彩名は勝手にそう解釈している。
彩名は苦笑をしつつ、にこにこと笑みを浮かべるというなんとも器用な表情で、二人のやりとりを見守っていたのだった。