【一章】迷惑な居候≪五≫
§ § § § §
台所から追い出された鴉は、その足で本堂へと向かった。
裏口から中を覗くと、ちょうど夕方のおつとめが終わったところだったようだ。
「どうした、鴉。入ってこないのか?」
その声に、鴉は素直に本堂へと足を踏み入れた。
「そんな顔をして、彩名となにかあったのか?」
「ああ、怒られた」
「怒れた?」
秀道はいぶかしげな表情をして、鴉を見上げた。
鴉は困惑した表情で、秀道を見ている。
「台所で彩名がご飯を作っているところを見ていたら、手伝えと怒られた。だからなにかを手伝おうとしたんだが、なにをすればいいのか分からなくて、輪切りのキュウリが美味しそうだから手を伸ばしたら、叩かれて、また、怒られた」
鴉と彩名のやりとりを知り、秀道はおかしそうに肩をふるわせて笑い始めた。
「なにがおかしいんだ。俺は手伝おうとしたのに」
「彩名のことだから、『ただ飯食い』とでも言われたか?」
「……なんで分かるんだ」
鴉のむすっとした言い方に、秀道はますます笑い声を上げた。
「はっはっは……。ああ、ご本尊さまの前でこんな大声で笑ってしまうなんて。これは失礼」
秀道はそういいながら、合掌をした。
「あの子が言いそうなことだからだよ」
「そう……なのか?」
「わしがそう、育てたからな」
「じいさんのせいかよ……」
はあと息を吐き、鴉はどかっとその場にあぐらをかいた。
「鴉よ」
「……なんだよ」
「おまえ、なにか仕事をしておるのか?」
「仕事? んなもん、あるわけないだろう」
「それならば、本当にただ飯食い、だな」
鴉は居心地が悪いのか、ボリボリとぼさぼさ頭を掻いた。
「ここに来るまで、どうしていた?」
「どう、というのは?」
「住まいは?」
「そんなの、適当だよ、適当」
「ふむ。飯は?」
「俺は基本、食わなくても大丈夫なんだよ」
「ほう。ならば、わしの昼飯を奪うようにして食べた?」
「……美味しかったんだよ! なんだよ、悪いかっ? あれ、彩名が作ったもんなんだろう?」
「ああ、そうじゃな」
そこで秀道は目を細め、鴉を見た。
「どうした、あれで彩名に惚れたのか?」
「惚れた……。そうだな、彩名の作る料理に、だな」
「また、強がりを。男というのは美味しい料理を作る
秀道はそのことを思い出したのか、目を細め、宙を見つめた。
「男を振り向かせるには、胃袋を掴めとはよく言ったものだ。まあ、彩名はそのつもりはまったくなかったみたいだがな」
ほっほっほ、と秀道はおかしそうに笑った。それを聞き、鴉は目をすがめた。
「つーってもよぉ。じいさんは人間ではない俺に、大切な孫娘を取られて、いいのかよ?」
戸惑ったような鴉の声に、秀道はさらに目を細めた。
「まあ……いいか、良くないかで言えば、良くないが……。こんな言葉がある。『人の恋路を邪魔する者は、馬に蹴られて~』というからな」
「じいさん……そういう問題なのか?」
「わしがここでダメだと言ったとしても、運命の赤い糸でおまえたちは結ばれているのだろう? 凡人であるわしがいくら抗ったところで、覆せるものではない」
あまりにも理解が良すぎて、いや、むしろ推奨しているような言い方に、鴉はどうにも納得がいかない。
「そもそも、彩名が赤い糸が視えるというのを信じているのか?」
「疑ったところで、それが嘘だという証明はわしには出来ない。それに、彩名が嘘をつくような子だと思えない」
秀道はどうやらずいぶんと孫娘を信頼しているようだ。
「彩名のことを疑うってことは……?」
「疑って、どうする? 今では彩名にとって、わしは唯一の肉親だ。……まあ、父方の血縁者はまだ存命みたいだが、交流がまったくない。わしが彩名を疑ったら、心のよりどころはどこになる?」
鴉はふっと昏い笑みをたたえた。
「……いい関係を築いているんだな」
「そうだな。すべては御仏さまのなすがままに」
秀道はまた合掌すると、立ち上がった。
「さて、そろそろ夕飯が出来る頃だ。手伝ってやらんと、彩名がへそを曲げるぞ」
鴉も秀道に促され、立ち上がった。
「おお、そうじゃ。その作務衣はどうだ?」
「ああ、悪くない」
秀道は鴉を上から下へと眺め、うなずいた。
「そうだの。まだ奥を探せばあったと思うから、明日また、探してこよう」
昨日まで着ていた汚れてすり切れていたジーンズとシャツでうろうろされると困ると思った秀道は、方丈の奥にしまい込んでいた作務衣を出して、鴉に渡していた。
鴉は受け取ると、すぐに着替えてくれたようだ。
秀道には息子がいたが、鴉は上背もあるし、幅もあるので残していた服は合わなかったのだ。
「おい、じいさん」
「なんだ」
「彩名にただ飯食いと言われたから……俺、自分の作務衣くらい、自分で探す」
彩名に『ただ飯食い』と言われたことが相当効いているのか、鴉がそんな殊勝なことを言ってきたので、秀道は笑った。
鴉は秀道が笑ったのを見て、つまらなそうに顔を歪めた。
§ § § § §
鴉が食卓に加わっただけで、彩名はどうにも落ち着かなかった。
普段なら、夕食を食べながら、秀道に学校での出来事を話すのだが、今日は鴉がいるというだけでなんとなく彩名は口を開けずにいた。
いつもは秀道と向かい合わせで食事を摂っているのだが、その横に鴉が座って黙々と食べている。
とそこで、彩名は鴉が昨日と違う服を着ていることに、ここで気がついた。
「あれ? それって作務衣?」
昨日の浮浪者のような服の時は思わなかったが、こうして作務衣を着ていると、少しはまともに見えるから不思議だ。
「ああ、あんまりにも着ていた服が汚かったからな」
鴉はそういいながら、豆腐の味噌汁をすすった。
「お、美味いな、これっ」
がつがつという音が聞こえそうなくらいにかき込んでいて、彩名は呆れた。
「なんだか鴉って、子どもみたい」
「あん?」
鴉は傾けていたみそ汁茶碗から口を離し、彩名を見た。
「つまみ食いしようとするし、がっついて食べてるし! 昨日、わたしのこと乳臭いって言ったけど、あんただって充分、ガキですからっ!」
彩名は残っていたご飯を口に放り込むと、
「ごちそうさま!」
と叫んで空になった食器をかき集めると、流しに置いた。
「後で片付ける! 先にお風呂!」
彩名はそう言い捨てると、庫裏から出て行った。
「……なんだ、あれ?」
唖然とするのは、鴉だ。
「さあなあ」
秀道は面白そうに、彩名が去って行ったところを目を細めて見つめていた。