【一章】迷惑な居候≪四≫
§ § § § §
鴉の爆弾発言に、彩名は顔を引きつらせた。
「昼頃だったと思う。庫裏に来たら、じじいがいた。で、昼を食べようと誘われたんだ。俺は食わないでいいと断ったんだが」
鴉はそう言うと、ぐっと握り拳を作り、彩名に迫った。
「そう言わずに食えと玉子焼きを口に突っ込まれて……」
鴉は身体を前屈みにして、彩名に目線を合わせた。
「それがすごく美味しかったんだよ!」
「…………」
彩名は毎朝、自分のお弁当と秀道の昼を用意してから学校へ行く。今日のお弁当用にと玉子焼きを作って入れていた。
「まさか……」
彩名は鴉をにらみつけた。
「じじいの手から箸を奪い、お皿の上の料理を全部平らげてやった! 美味かったぞ」
得意げにいう鴉を、彩名はますますにらみつけた。鴉は得意満面で彩名を見ている。
「あんた……おじいちゃんのお昼、取っちゃったの?」
「……あん?」
「それ、おじいちゃん用に用意していたのに!」
「知らねーよ、んなこと」
彩名もまったく鴉のことを考慮にいれず、いつも通りに自分の弁当と秀道のお昼しか用意していなかったのも悪かった。しかし、本来なら食べる必要がないのに横取りしてまで食べるとは……。
「俺は彩名が作る料理に惚れた! だからほら、早く作れ」
鴉は彩名の腕をつかむと、ぐいっと庫裏の中へと引き入れた。
「ちょっと! わたしに触らないでよ!」
「んなこと、どーでもいいから! 早く作れ! じじいも腹を空かせて待ってるぞ」
「……もうっ」
デリカシーのない鴉に彩名は怒りたかったが、しかし、秀道が気になる。
たぶん秀道はお昼を取られたから、なにか代わりに食べているとは思う。しかし、もしかしたらお昼を抜いている可能性もあって……。
「着替えてくる」
彩名は鴉にむっとしつつ、着替えるために方丈へと向かった。
部屋に向かいながら、彩名は思い出した。
「あ……」
会ったら一番に昨日のお礼を言おうと思ったのに、出鼻をくじかれたばかりか、とんでもないことを言ってくれたため、すっかり忘れていた。
彩名が作った料理が美味しいと言ってくれたのは嬉しいが、それにしてもだ。
お礼を言う気が削がれ、結局、言わなくてもいいやとなってしまった。
§ § § § §
彩名は部屋に戻って制服から私服へと着替えた。
動きやすいジーンズに、長袖のTシャツ。肩より少し長めの髪の毛は一つに結んだまま。
彩名は袖を捲りながら部屋を出て、庫裏へ。
そこに置いているエプロンをつけて、冷蔵庫の中身を確認する。
今日が消費期限の豚肉のパックが一つ、チルドに入っていた。それに豆腐もある。他には野菜室に何種類かの野菜。
よく驚かれるのだが、秀道は普通に肉も魚も食べている。
別に秀道が生臭坊主という訳ではなく、昔はともかく、今は食べても問題ないそうだ。
むしろ、出された物を残す方がもったいないと彩名は幼い頃、秀道によく怒られていた。肉や魚、野菜から命をいただいているのだからと秀道は言う。
それに、今は成長期の彩名を思えば、バランスよく食べなければならないからと、肉と魚は普通に食卓に出される。
今日のメニューはなににしようかなと悩みつつ、彩名はご飯をとぎ、炊飯器にセットした。その間にお味噌汁用の出汁を取る。
祖母が亡くなってからこちら、秀道と二人で協力して、食事を作ってきた。だから新米主婦より彩名は手際が良い。
その様子を、鴉は台所の片隅でじっと見つめていた。
「ちょっと、見てないでなにか手伝いなさいよ」
「なんでだよ」
「なんでって……。あんた、ただ飯食いのつもり?」
「ただ飯って……人聞き悪いな」
ぶつぶつと文句を言いながら、鴉は彩名に近づいた。
「で、なにをすればいいんだ?」
「うーんと……」
手伝えとは言ったものの、具体的になにか考えていた訳ではない。
「あんた」
「鴉だよ、鴉」
「……なんで名前で呼ばないといけないのよ!」
「おまえな……。おまえは俺に名前で呼ぶように強要しておいて、そっちは俺のこと、あんた呼ばわりか?」
「…………」
改めてそう言われると、彩名はなんだか急に照れくさくなった。
「かっ、鴉、はっ!」
意識しすぎてしまっているせいか、鴉の名前を呼ぶ声がうわずってしまっている。それに気がつきながらも、鴉はからかうことなく、返事をした。
「なんだ」
「嫌いな食べ物ってあるの?」
まさかわざわざ聞いてくれるとは思わず、鴉は目を見開いた。
彩名は恥ずかしいのか、鴉から視線を外し、野菜を切っている。
「いや、特にないな。なんでも食べる」
「そう……」
言葉が途切れ、しんと静まり返る。
換気扇が回る音と、ガスの音、彩名が野菜を切っている音だけになった。
(えーっと、や、やっぱりお礼、言わなきゃダメかな? 言うなら、今?)
言わなくてもいいやと思ったものの、なんだか静かになったのが気まずくて、なにか会話をと思ったのだが、タイミングが悪い。それでも今を逃すと言い辛くなるのは確かだったので、意を決して口を開いた。
「あっ、あのねっ」
彩名は顔を上げ、鴉を見た。
「なんだ?」
鴉は気がつけば彩名の横に立ち、今、切ったばかりのキュウリの輪切りに手を伸ばしていた。
「ちょっと!」
ぺちりと手を叩くと、鴉は慌てて手を引っ込めた。
「つまみ食いは禁止! もうっ! どんだけ食い意地が張ってるのよ!」
その様子はなんだかたまに手伝いに来る貴之のようで、思わずため息が洩れた。
「ちょっとくらい、いいだろう?」
「いいわけないでしょ! もうっ! 手伝う気がないのなら、台所から出て行ってよ!」
彩名は結局、またもやお礼を言うばかりか鴉に対して怒ってしまった。
「分かった」
鴉はしょぼくれて、台所から出て行った。
彩名は後ろ姿を見送りながら、どうにも素直になれない自分を自覚した。
§ § § § §
彩名と鴉が庫裏でそんなやりとりをしていた頃。
恵利は私服に着替えた後、自室のベッドに横になっていた。
(な……んだろ、この気持ちが悪いの)
胃の中でなにかがぐるぐると渦巻いているかのような感触がずっと続いている。
(うう……気持ちが悪い……)
学校から帰ってきて、冷たい水を飲んだりしてみたのだが、気持ち悪さは治まらない。
配顔で言ってきた。
(わ……かんないけ、ど。あ……、なんか、世界が、回ってる──)
恵利の世界が急に回り、そのまま気を失ってしまった。