『消滅の楔』


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【一章】迷惑な居候≪三≫


     § § § § §

 知穂はその後、冷却枕がぬるくなる度に保健室へ行き、交換してもらっていた。
 そして放課後。

「知穂ちゃん、大丈夫?」
「うん、もう大丈夫。彩名ちゃんのアドバイスのおかげで、ずいぶんと痛みが引いてきたよ。ありがとう」

 知穂のいつもの笑みを見て、彩名はほっと胸をなで下ろした。

「んじゃ、帰ろっか」
「うんっ」

 彩名と知穂の二人はいつものように連れだって教室を出て、他愛のない話をしながら靴箱へと向かった。

「……れ?」

 彩名は三年生なので、靴箱は階段を降りて一番奥、つまりは昇降口に近い場所にある。階段側は一年生の靴箱なので、彩名はそこを通り過ぎようとして、視界の隅に嫌な色を視たような気がしたのだ。思わず、足を止める。

「彩名ちゃん?」

 彩名は首を左に向け、色が視えたと思った方をじっと視たのだが……。

(……気のせい?)

 そこには、なにもなかった。

「彩名ちゃん、どーしたの?」

 知穂に再度、問いかけられ、彩名は慌てて繕った。

「あ、うん。なんでもないっ」

 彩名と知穂の付き合いは高校に入ってからだが、知穂もいきなり立ち止まったりする彩名の扱いに慣れているようで、「そう」と一言。
 しっかりしているようで、少しふわふわしている彩名のことが放っておけなくて、つい、知穂は彩名を構ってしまう。
 実はそれだけの理由ではないのだが、知穂はまだ自覚していない。
 彩名はなんとなく目の端に視えた「青い糸」のことが気になったのだが、知穂の一言ですっかり吹っ飛んだ。

「ねえ、彩名ちゃん」

 上履きを脱ぎ、外履きと交換しながら知穂は口を開いた。

「今度の土曜日、お寺に行ってもいい?」
「え……」

 彩名は手に持っていた上履きを思わずぼろりと取り落としてしまった。

「昨日、お母さんに言われたのよ。彩名ちゃんと遊びたいのなら、お寺に行って、一緒にお手伝いしたらどうって」

 知穂が東青寺に来たら、必然的にあの鴉と出会ってしまう。鴉は知穂を一度、見ている。昨日の出来事は知穂には言わないだろうが……。
 彩名にはなんだか嫌な予感しかしない。
 鴉がいない時にそう申し出してくれれば彩名は大喜びをして、知穂の提案を受け入れていただろう。
 しかし、今は……。

「だっ、ダメっ!」

 彩名は知穂に来て欲しくなくて、強い口調で拒否していた。

「そうだよね、やっぱり、なんの知識も経験もないあたしが行ったら、迷惑だよね。ごめんね、彩名ちゃん」
「えっ……、う、ううん。ご、ごめんね」

 ダメと言った後、知穂がだだをこねたらどうしようと思っていたのだが、あっさりと引いたことにほっとした。
 しかし、知穂がこのまま引き下がるわけもなく……。

(なーんか彩名ちゃん、様子がおかしいな。まあ、いいや。土曜日にお寺に押しかけたもんが勝ちってものよっ)

 なんて、知穂が考えているとは彩名は思ってもいないようだ。
 知穂に対して強く拒否をすれば裏目に出る、ということを彩名は未だに学習出来ていないようだ。
 帰り道は、二人はどうでもいいことを話ながら家へ帰った。

     § § § § §

 彩名は知穂と別れた途端、どっと足取りが重くなった。

(うー。帰りたくないなあ)

 いつもだったら、さっさと帰って手伝いをしなくてはと急ぎ足になるのだが、寺に鴉がいるかと思うと、気が重くて仕方がない。

(だけど、わたしが学校に行っている間、いなくなってるなんてことっ)

 あるわけないよなあ、と思いつつ、気が重いまま、彩名は実家である東青寺へと向かった。
 山門をくぐると夕方ということもあり、犬の散歩や普通に散歩をしている人が境内にいたりする。
 顔なじみに声を掛け、彩名は昨日は遅かったこともあって省略した本堂に奉っている本尊へ一日の無事を報告に向かった。中からは夕方のおつとめをしている秀道の読経の声が聞こえてきた。
 手を合わせて報告をしてから右にそれ、裏手へと回る。
 立て付けの悪い引き戸をがたがたと音を立てて開けようとしたら、中からすっと開けられた。しかし、引き戸は開いたはずなのに、なぜか目の前には壁がそびえ立っていた。

「お、帰ったのか」

 声でそれが壁ではなく、だれかが立っているのが分かった。

(う……やっぱりいた)

 彩名は一縷の望みが絶たれたことを知り、思わず深いため息を吐きそうになった。しかし、それは鴉の一言で言葉となって吐き出された。

「おい、早く飯を作れよ」
「……はっ?」
「俺、腹減ってんだよ」

 彩名は顔を上げ、鴉をまじまじと見た。

「邪刻って、あの黒い蛇を食べるんじゃないの?」

 昨日の夕飯も、今日の朝食も、いつもと変わらず秀道と二人きりだったため、彩名はてっきり鴉は人間の食事は食べないと思いこんでいたのだ。

「あのな。あんな不味いの、だれが好き好んで食うんだよ」
「だって昨日……」
「昨日は特別! あのままにしてたらまた、あの蛇は別の誰かに取り付くだけだろ」

 鴉の意外な言葉に、彩名は目を見張った。

「不味いだとか、人の不幸は蜜の味だとか……」

 そんなことを言っていたような気がする。

「下等な邪刻は不味い! それに、人の不幸が甘美なのは否定しない」
「……さいってー」
「仕方がないだろ。俺だって好き好んでこんなになったわけではない」

 鴉の拗ねたような声音に、彩名は思わずその顔をまじまじと見た。

「なに? 俺に惚れた? やめとけ、やめとけ。俺に触れると火傷するぜ」

 得意満面といった表情の鴉に、彩名は呆れた。

「……さいてー」

 お礼を言わなきゃと思っていた気持ちは鴉の態度ですっかり霧散してしまった。

「まあ、彩名が言うように、邪刻は基本、食事はとらない」

 鴉が言うように、邪刻は食物から食事をとらない。
 彼らの食べ物は人間の不幸で、絶望が強ければ強いほど、ご馳走となる。
 そのため、邪刻は様々な手段を取って、人間を不幸にしようとする。
 一番てっとり早いのは、人混みに紛れて人の発する不幸を取り込むことだ。しかしこれは食事と言うよりおやつ感覚なので、あまりお腹は膨れない。
 次によく取られる手段は、特定の人間に取り憑き、不幸を作り出して摂取することである。
 力のある者は黒い糸を結びつけてじわじわと不幸を吸収するのだが、昨日の蛇のような下等な邪刻だと自身が黒い糸となり、取り憑く。後者の場合、なにも処置をしなければ、取り憑かれた双方に死が訪れるという最悪な結末が待っている。
 後は、上位の邪刻が下位の邪刻を喰う。
 しかし、他の邪刻に出会うこと自体が少ないし、これはある意味、非常事態であったりする。
 よって、基本は人間の不幸が糧となる。
 だが、人間と違い、食べないと死んでしまうということはないので、なんとなくで人を不幸に陥れるという、どうにもタチの悪い連中である。

「じゃあ、要らないじゃない」

 普段通り、彩名と秀道の二人分でいいのかと思い、メニューを考えようとしたところ。

「だけどさ……」

 鴉は急に恥ずかしそうにもじもじとした態度に変わった。

「なんというか、その……」
「なによ。言いたいことがあるのなら、はっきり言いなさいよ」

 大男がもじもじと花を恥じらう乙女のような態度をとるのがどうにも気持ちが悪くて、彩名の口調はキツくなってしまった。
 鴉は彩名の態度に気圧され、ほんのりと頬を染めて、思い切って口を開いた。

「おまえの作った飯に惚れたんだっ!」
「はあ?」

 半ば叫ぶように言われ、彩名は唖然と鴉を見た。





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