『消滅の楔』


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【一章】迷惑な居候≪二≫


     § § § § §

 貴之は知穂が完全に見えなくなったのを確認して、口を開いた。

「で、彩名。今度の土曜日なんだけど」
「え、あ、うん。知穂ちゃんからもお誘いがあったんだけど、ごめんね、おじいちゃんのお手伝いをしないといけないから」
「なにっ? あいつ、誘ってきたのか?」
「うん」
「くっそー。あいつ、手が早いな!」
「貴之……それ、使い方、間違ってるから」

 彩名はくすくすと笑い、貴之の間違いを指摘した。

「間違ってない!」

 むーっといううめき声を上げ、貴之は彩名を見た。
 彩名はというと、小首を傾げ、貴之を見上げている。
 彩名のくりっとした目がかわいいなあ……なんて貴之が思っていると、彩名は数回、瞬きをした。

「あっれー。貴之って」
「……ん?」
「こんなに背、高かった?」

 ついこの間まで、貴之は彩名とあまり背の高さが変わらなかったような気がするのだが、今は見上げないと顔を見ることが出来ない。

「あのな、オレだって成長期なの」
「えー。ずるいなあ。わたしももっと、背が高くなりたい」
「彩名はそれくらいでちょうどいいの!」

 貴之はそういうと、彩名のおでこをつんとつついた。
 いつもだったら彩名はそこで軽くおでこを押さえ、少し恨めしそうな表情で貴之を見るのだが、今日はそれがなかった。

「彩名?」
「……え? な、なに?」

 彩名の心はここにあらず、といった感じで、なんだか妙だ。

「彩名、昨日、なんかあったのか?」

 貴之の何気ない質問に、彩名はあからさまにびくりと身体を震わせた。

「なっ、なんにも、ない、よ?」
「……本当か?」
「うん。ないないっ!」

 いかにも「なにかありました」と言わんばかりの力強い否定に、貴之は食い下がる。

「放課後、オレがバスケやってる間、知穂となんかやらかしたんだろ?」

 あまりの図星に、彩名は固まった。
 貴之からすれば、どうやらビンゴらしいのだが……。

(さて、問題はなにをやらかしたのかだけど)

 さらに追求をしようとしたところで、予備鈴が鳴り始めた。

「っと。仕方がない、じゃ、また後で」

 貴之はそれだけ言うと、素早く教室から出て行った。
 彩名は予備鈴が鳴り始めたことにほっとした。

(だけど……)

 彩名は席に着きながら、考える。

(わたし……貴之とあいつを、比べてた……?)

 貴之は幼なじみのの気安さもあって仲良くしているが、異性だ。だから無意識のうちに鴉と比べていたようだ。
 彩名が気がつかないうちに貴之の背が伸びていたのは驚きだったが、鴉の方がそれよりもさらに身長が高いことに気がついた。そんなことに気がついて、彩名はまた、どきどきしてしまうことが腹立たしい。

 昨日、彩名はどうにか理由を付けて鴉を寺から追い出そうとしたが、秀道はあっさりと受け入れてしまった。
 これまでも何度か、寺で修行がしたい、道に迷ったから泊めて欲しいなどと言って、見知らぬ男がやってきては寝泊まりしていったことがある。そのとき、彩名は特に抵抗なく受け入れてきたし、青い糸が伸びていたらこっそりと切ったりして、危険を回避してきた。
 それと変わらないはずなのに、彩名は鴉を受け入れることに対して、反対した。
 そもそも、こんな大男が自分の運命の相手だなんて、あり得ない。
 彩名に具体的な理想の男性像があったわけではないが、鴉ではないのは間違いない。
 彩名も年頃の娘なりに好きなアイドルはいたが、追っかけをするほどはまっていた訳ではない。なんとなく、『あ、この人、かっこいいかも』といった程度だ。それに、イケメン好きという訳でもない。
 貴之はクラブでバスケットボールをしているからなのか、それなりにファンが付いているらしく、もてる部類に入るようだが、好みのタイプかと言われたら、それは違うと言えた。
 特に具体的な理想があったわけでも、イケメンが好きでもなく、なんとなくぼんやりと自分の小指から伸びた赤い糸の先にいる人と結婚するんだろうな、くらいにしか思っていなかった。
 赤い糸の先の相手が、自分の好きな人なんだ……という、本末転倒な考えを彩名は持っていた。
 ところが、である。
 突然、現れた彩名の『運命の相手』が……まさか、人外の、しかも規格から外れた相手だったなんて。
 彩名は思わず、天井を仰いだ。

     § § § § §

 知穂は一時間目が始まる少し前に教室に戻ってきたが、その手には、冷却枕が握られていた。

「知穂ちゃん、大丈夫?」

 彩名はこそこそと知穂に声を掛けた。

「ん、大丈夫。冷やしたら少し楽になってきたから」

 知穂はそう言うと、冷却枕を痛むと言っていた後頭部に当て、冷やしていた。
 それを彩名は後ろから見て、小さく手を合わせて謝った。

(知穂ちゃん、危ない目に遭わせて、ごめんね)

 昨日、鴉が現れなかったらたんこぶ一つで済まなかったかもしれないと思うとぞっとする。
 そういえば、助けてもらってぞんざいにしかお礼を言ってなかった。
 あんなヤツだけど、やっぱり助けてもらったお礼はきちんと伝えておいた方がいいのかもしれない。
 彩名は鴉のことを思い出すと、なぜかしら心臓がどきどきして落ち着かない。

(もー、ほんっと、最低!)

 落ち着かない気持ちが彩名に苛立ちを覚えさせた。

「授業を始めるぞ」

 一時間目の教師が入ってきたことにより、彩名は頭を振り、気持ちを強制的に切り替えることにした。

     § § § § §

 放課後になった。
 貞木恵利は、気分が優れないと言って、華道部に出ることなく家に帰ることにした。
 実際、なんだか昨日の夕方から、胃の辺りがむかむかして仕方がなかったのだ。朝ごはんも食べられなかったし、母が作ってくれたお弁当も半分以上を残してしまった。

(なんだろ……これ)

 恵利はよろよろとした足取りで、一階の靴箱へと向かった。
 もしもここに彩名がいたなら、驚いていただろう。恵利の指先からは無数の青い糸が伸びていて、彼女がどこかに触れる度にそれらが張り付いていたのだから。しかしその糸はしばらくするとなにもなかったかのように消えていった。
 恵利は胃の辺りを押さえながら、靴箱へ。
 そして自分の靴箱を開けて履き替え、頼りない足取りで家路へと着く。
 恵利の靴箱の扉には、気持ちが悪いほどびっしりと青い糸がこびりついていたのだが、それは徐々に数を減らしていった。

(そういえば)

 恵利はふらふらしながら、通学路を歩いていた。

(あの男の人と仲良くする方法を教えてくれるって綺麗なお姉さんに言われたけど……なんだった?)

 不思議なことに今の今までそのことをすっかり忘れていたのだが、恵利は見慣れた通学路を歩いていて、急にそのことを思い出した。

(お姉さんと話をしていたら急に目の前が眩んで……。うーん、思い出せない)

 恵利は眉間にしわを寄せて悩んだのだが、肝心なところが思い出せないでいた。
 なんだったかと悩んでいるうちに、恵利は家に帰り着いた。

(ま、いっか)

 かっこいい男の人だったけど、別にお近づきになりたい訳ではないし! なんて恵利は強がり、玄関の扉を開けた。





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