『消滅の楔』


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【一章】迷惑な居候≪一≫



 貞木恵利さだき えりは、どこにでもいるようなごくごく普通の少女だ。
 黒い髪に茶色の瞳、少し丸い鼻はコンプレックスだが、気にしているのは本人くらいだ。眼鏡を掛けた顔は少し地味目だが、恵利は自分の両親や親戚を見て、仕方がないのかなと今では諦めている。
 恵利は今年の春に高校に入学した。形ばかりとはいえ、受験をして入った学校。そこに新しいなにかが待っていると心を躍らせていたのだが、それも二・三日のことだった。
 高校に進学したと言っても、結局は周りにいる人たちは中学の時と変わらない。代わり映えのしない顔ぶれと、中学校の延長線上にしかなかった高校に、恵利はすぐにがっかりした。
 中学の時の友だちもそのまま恵利と同じ高校に進学したし、先輩たちも知っている人ばかり。
 恵利が抱いていた高校生活への憧憬あこがれは、すぐに潰えてしまった。
 とは言っても、その気持ちも入学して一週間もすれば、日常生活に埋もれ、次第に忘れていった。

 恵利は友だちに誘われて華道部に入ったのだが、やる気にならない。友だちは華道部にいる先輩で目当てで入ったのだが、恵利にはそんな目的はなかったので、なんとなく出て、なんとなく花と戯れ、なんとなく終わるといった日々を送っていた。
 そしてその日も、なんとなくで華道部に出ての帰宅途中だった。一緒に入部した友だちとは少し前に別れた。
 恵利の家は、公園目の前の建て売り住宅の一つ。少し歩けばスーパーと、古くからあるという、なんと読むのか分からない東青寺という名前の寺があった。
 薄闇に包まれ始めた通学路をとぼとぼと歩いていた恵利は、目の前に妙に背丈の高い男性の背中を見つけた。

(……この辺りにあんな人、いた?)

 遠山町は寂れた町だ。どちらかというと人が減っていく一方。高校に進学するときも数人が別の町へと引っ越していったほどだ。
 しかも特に観光名所もないこの町には、見知った顔しかいない。だからよそ者がいると、すぐに分かる。
 恵利は興味を持って、少し足早に男性を追いかけた。
 男性は恵利が近寄っていることに気がついたのか、足を止めた。そして振り返り、恵利を見下ろした。恵利が思っていた以上に男性の背は高かったようだ。

「このあたりに寺はないか」

 突然、尋ねられ、恵利は驚いた。
 しかもこの男性、よくよく見ると薄汚れていて、なんだか危険な感じがする。薄闇に紛れてこれほど近寄らないとそのことに気がつかなかったのだ。
 しまった、と思ったのは後の祭り。
 走って逃げても追いかけられたらすぐにつかまってしまいそうだし、どうしようと悩んでいると、

「おい、俺はおまえに聞いてるんだが」

 なかなか返事が返ってこないことに男性は苛立ったのか、少し乱暴な口調になった。
 恵利は恐ろしくなったが、しかし、下手に刺激したらなにをされるか分からないので、震える腕を伸ばし、寺がある方向を指し示した。

「……あん? あっちか? そうか、ありがとな」

 それまで恐ろしい気配を漂わせていたのに、そうお礼の言葉を口にして、男性はにっこりと笑みを浮かべたのだ。

(え……)

 その表情の変化に、恵利は驚いた。
 男性は恵利に背を向けると、指さした方向へ歩き出した。

(なっ……なに、今の! むっちゃかっこいいんだけどっ!)

 薄汚れていたし、髪の毛もぼさぼさで決していい身なりはしていなかった。話しかけられた時も少し険しい表情をしていた。それなのに、笑った途端に恐ろしい気配が消えた。
 しかも、顔もよく見ると、すごくいい男、だった。

(うっそー)

 恵利は遅れて、自分の顔が熱くなるのを感じた。

(寺のことを聞いてきたけど、用があるのかな。住職さんの知り合いなのかな? だれだろう)

 恵利は立ち止まり、遠ざかっていく男性の背中をじっと見守っていた。

 どれくらいそうして立っていたのだろう。
 はっと気がつくと、先ほどより辺りが暗くなっている。

(まずい! 帰らないと)

 恵利は気がつき、歩き出そうとしたのだが。

「ねえ、そこの子」

 後ろから女性らしき声に恵利は引き止められた。

「さっきの男に興味を持った?」

 驚き、振り返ると、こちらもまったく見たことのない顔だった。
 豊かな黒髪は腰の辺りまで伸びていて、暗いにもかかわらず、光って見えるほど艶があった。そして小振りの顔にびっくりするくらい豊かなまつげ。瞳は黒く澄んでいて、すっと通った鼻の下には赤く艶やかな小さめの唇があった。

(う……わあ。すっごい美人)

 細い身体の割りに、豊かな胸。身体の線を強調するような黒のぴったりとしたドレスを身にまとっていた。

(だれだろう)

 今日は珍しく、見知らぬ人によく出会うな、くらいにしか恵利は思っていなかった。

「今の男と仲良くなりたいって思わなかった?」
「え……?」
「アタシがあの男と仲良くする方法、教えてあげましょうか」

 見知らぬ綺麗な女性の申し出。
 恵利はここで疑うべきだったのだ。
 しかし、なぜか恵利は女性の雰囲気に飲み込まれ、無意識のうちにうなずいていたのだった。

     § § § § §

 彩名は教室に着くなり、ぐったりと机につっぷした。

「彩名ちゃん、おはよう」

 登校してきた彩名に声を掛けてきたのは、知穂だった。

「あ、知穂ちゃん、おはよう」

 あの後、無事に帰り着けたようで良かった、とほっとしたものの。

「ねえ、彩名ちゃん。なんかさあ……あたし、昨日、なにかやったのかな?」

 知穂にそう聞かれ、彩名はどきりと心臓が跳ねた。

「な、なにか……って?」
「うーん、覚えがないんだけど、後頭部がものすごく痛いのよ」
「えっ? だ、大丈夫っ?」

 昨日、鴉は知穂のことは問題ないと言っていたが、やはり昏倒するほど頭を殴られたのだ。なにか問題が起きているのかもしれない。
 知穂は彩名の反応があまりにも激しくて、逆に申し訳なさそうに小さくなった。

「や……そ、そんな、たいそうなものじゃないんだけど……」
「病院は? だって、頭が痛いんでしょう?」
「そこまで大げさにしなくても、大丈夫だよ。頭が痛いって言っても、大きなたんこぶが出来ているくらいだし」
「たっ、たんこぶ?」
「う……うん。ごめんね、なんか大事になってるみたいな言い方をして」
「ううん。たんこぶ以外は? 大丈夫?」
「うん、それ以外は問題ないみたいなんだけど……。だけど、なにをどうやったらこんなところにたんこぶが出来ちゃうんだろう」

 見知らぬ女性に盆で殴られたからだ、とは間違っても言えない彩名は、申し訳ないと思いつつも曖昧な笑みにとどめることしか出来なかった。

「あまりにも痛くて、髪の毛洗うのも大変だったし、寝るときも仰向けで眠れないのよ」
「あう……た、大変そう……」
「ほんとにねぇ」

 はーっと知穂はため息を吐き、気になるのか、後頭部に手を持っていき……。

「あいたたたっ」
「知穂ちゃんっ?」
「ちょっと気になって、やっぱり触っちゃうなあ」

 しかめっ面をして、知穂は情けない笑い声を上げた。

「冷やした方が良くないかな」
「そっかなあ」
「あんまりにも痛いのなら、保健室の先生に相談してみたら?」

 彩名の提案に、知穂はぽんっと手を打った。

「それだ! 彩名ちゃん、いいこと言った! あたし、今から保健室に行ってくる! あ、委員長! ちょっと頭が痛いから、保健室に行って来ます!」

 不調を訴えている割りには元気な声に、クラスメイトは何事かと知穂を見た。

「鬼の霍乱、か」

 彩名と知穂の二人から少し離れたところから、声が掛かった。彩名は振り返り、声を掛けた。

「あ、貴之。おはよ」

 そこには、彩名の幼なじみの佐屋野貴之(さやの たかゆき)が立っていた。
 去年までは三人は同じクラスだったのだが、三年になって別々になってしまった。彩名と知穂は一組で、貴之は三組だ。貴之は毎朝、わざわざ一組まで足を運んで二人に……というより、彩名を目当てに訪れていた。

「来たな、天敵! あんたの顔見たら、余計に頭が痛くなってきた」
「知穂ちゃん、大丈夫? ついていこうか?」

 彩名の天然の返しに、知穂は貴之にだけ分かるように不敵な笑みを浮かべた。
 貴之はそれを見て、顔を引きつらせた。

「ううん、大丈夫。じゃ、行ってくる」

 少し得意げな知穂の表情を見て、貴之はチッと舌打ちをした。

「うん、気をつけてね」

 彩名は眉尻を下げた表情で知穂が保健室に行くのを見送った。





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