電化開業以来の日立製電車2400

昭和26年電化時に導入された自社発注の新車。Mc2両(2401/2)Tc2両(2401/2)が日立笠戸工場(電車製造では珍しいが西武レッドアローの一次車や「オリエントエキスプレスジャパン」の改造もたしかここだった)で製造され、後に「連番」にするため「1」を新車3400にゆずり、それぞれ2403/2405と2402/2404に改番された。雨どいは露出しているが張り上げ屋根、ノーシルノーヘッダーのまとまったスタイルで後に新造される3401/4406と共に小私鉄の新車としてピカイチの出来といえる。同時期の日立製電車といえば、未開業に終わった「蔵王高速電鉄」の注文流れの電動車3両が岡山の「備南電鉄⇒玉野市営」に納入され、後に琴電で余生を送ったことは有名であるが、クハ2両も注文流れになっていた。「蔵王」の車とこの2400は「血筋」こそ同じものを感じるが、設計は異なっている。しかし、モハ2両を追加し設計変更して十和田に売り込んだという説があるそうです。制御器も自動進段の「CS5A」を装備しており、当時のローカル私鉄には「過分」な装備であった。残念ながら、1986年頃までに全車廃車になった。

三沢駅を発車するモハ2405+クハ2404 東北に多い「両運Tc」の様子がよく判る バックは小牧温泉

そういえば、関東にも「日立の兄弟」がいた事を思い出した。すっかり忘れていました。2001−4−7分岐線設置。


十和田市東方の用水路沿いを走るクハ2404+モハ2405


柳沢にて2405+2404

床下機器の防護カバーは、富士急の踏切事故で空制機器が破損し急勾配を暴走した事故で多くの中小私鉄で取り付けられた。最近は、別系統の「保安ブレーキ」が普及した。おデコに輝くナンバーをはじめ、車体表記の字体はなかなか近代的。

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