特集3

1978年7月31日 十和田観光電鉄訪問記

共通データ:白黒写真;アサヒペンタックスSPF フィルムPX/カラー写真;同SPU フィルムKR

レンズ:SMCタクマー35ミリF3.5,55ミリF1.8,85ミリF1.8,120ミリF2.8

  

左:三沢駅 右:十和田市駅(本社併設で鉄道起点はこちら) 現在は、三沢寄に移転

三沢駅時刻表・・・21往復で現在と運転本数は殆ど同じ 東北本線接続優先


◆概略

このページは、1978年夏の東北私鉄巡りの1日の記録です。開通当時私鉄(日本鉄道)であった東北本線は、当時既存の交通機関(といっても近代的なものは何もない)を脅かすとして「嫌われ者」であった。又、鉄道側も「急勾配を避ける」という名目があった。そんな理由で、通過都市では殆どが当時の町外れに駅が設置された。東北本線の駅を起点とする小私鉄の殆どが、これら「町外れ」と「町」とを結ぶ目的で敷設されたものが多い。ここ十和田観光も同じような理由で1922年に軌間762ミリの蒸気運転で三本木(現十和田市)〜古間木(現三沢)間が開通した(十和田鉄道)。1951年に1067ミリへの改軌、電化が相次いで完成しほぼ現在の姿となった。この際に、現在の十和田「観光」電鉄に改められた。これは、奥入瀬渓谷入り口の焼山への延長計画があったからだと思われるが、反対の八戸延長とともに実現せずに終わっている。八戸はともかく、焼山延長と南部縦貫鉄道の十和田市延長が実現していれば両鉄道の運命もかなり違っていたのではないだろうか?

◆車両

他の東北地方の私鉄にも見られるが、形式が異なっても末尾の番号を通しで揃える方式が現在も続いている。両数が少ないからこそ出来ることだが「1号」「5号」ですべて通じてしまうのでなかなか便利な方式である。

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北海道的景観の柳沢駅周辺