西武の部屋

弊サイトも、10月14日「正式仮開業」・11月14日「暫定開業」・同19日「カウンター設置」・12月10日「正式開業」1周年を迎えます。これも、皆様のご支援の賜物だと思います。これからも、益々のご愛顧を切にお願いいたします。この機会に、記念事業?第一弾として、地元・西武の専門コーナーを新設いたします。中学時代は、写真もあまり撮らず、その技術も恐ろしく悪いので・・・「年の割りに」大した写真はありません。又「旧型は悪」というような当時の風潮から・・・貴重な車輌の記録の無さは、目を覆うほど悲惨な状態です。

10月14日といえば、「鉄道記念日」と同時に我が西武秩父線開業(1969年)の日でもあります。電車通学開始と同時にやってきた、地味な郊外電車の大変革です。これを機に、拙者は「この道」に入りました(「サイドビウ」参照)。以後、近代化への道をひたすら突き進む「地元の足」を継続的に写真で記録し始めたのは、ずっと後の1973年頃からになります。

  その1秩父線開業へ    その2文化祭を前に(NEW!)       

 西武の運転台(仮称)へ  西武の部屋開設準備室(2001「赤電復活」)へ 


序章:西武秩父線開業前夜

「デトニ」はじめての鉄道写真

1969年9月28日撮影

オリムパスペンEE−S  ネオパンSS

中学1年になった拙者も、西武電車に興味を持ちはじめた・・・ということが「或る運転士」の耳にも入った。西武秩父線開業まで2週間余りとなった日曜日に、「5000系レッドアローが、本社社員向け展示会で池袋まで顔を出すので見に来ないかと」と、回送電車の時刻を教えてくれた。小学校と中学の友人を誘って雨の降る中、親のカメラを借りて・・・初めての鉄道写真撮影となった。半日で36枚撮りハーフ72枚を撮り切ってしまう「激写」だったが・・・その腕は・・・本当に目を覆う(+_+)!ひどいモノでした。プリセット方式のピントが間違っていたばかりでなく・・・辛うじてお見せできるコマは僅かでした。


本格的なセメント輸送を前に、試運転を繰り返す注目の「F級電機」E851。そのスタイル・配色は、新型機関車花盛りの今日でも「ピカイチ」の存在だと個人的には、思っている。「客車を引かせたい」という夢は・・・皮肉なことに・・・「サヨナラ運転」で実現した。ギア比を変更した旅客用が「石打」や「軽井沢」行きのスキー&スケート列車として、国鉄機と協調して走る姿を夢見た方は多いことでしょう。

「この写真」が、正真正銘・・・デトニ1枚目です!マトモで良かった(^^)v


続いての写真は「ブレ&ボケ」(+_+)。・・・見向きもしなかったところ・・・当時、すでにたった1両だけになったクモハ311形の張り上げ屋根、前照灯埋め込みのクモハ322が写っていた!。前歴は、「国鉄モハ50084」の戦災復旧車。施工は「大野組」となっている。「西武復興社」ではない。これについては、全く調査していませんm(__)m。張り上げ屋根の塗り分けは、「801」や今日の「1159F」の元祖。下の1330と違い、ドア上にも「ヘッダー」の出っ張りが周っていることが判る。前照灯の埋め込み具合も見事です!

クモハ322とコンビを組んでいたクハ1330。こちらは、はっきり番号が読めた。前歴は、「国鉄サハ25141」です。こちらは、「所沢」で復旧された。形態は平凡だが、前に張り出した雨樋の様子がよく判る。又、ドアも「プレス」ではなく、ガラス面積、Hゴムの色も違う。

当時「羨望」の新形電車・・・101系。西武初の「純新車」への憧れ・期待・感動は計り知れないものがあった。

さて・・・この場所は「何処」でしょう??

正解は「小手指ケ原車輌基地信号所」です。1970年11月20日に、そのままの配線(開設時から駅昇格を考慮していた)で旅客駅に昇格。暫くは、飯能寄りに構内通路のある駅でした。上の写真は、ちょうどその構内通路の付近です。右の建物が信号所です。小手指区に出入りする列車は副本線を経由した。当時は、西所沢終着の列車が客扱い終了後に回送された。311系2連は、狭山線用で細々と使われていたものでしょう。客室でくつろぐ?車掌さんの姿が印象的です。

「古戦場は鉄道名所」という図式がよくあります。当時の小手指ケ原には人家もほとんど無く、雨に霞んだ彼方から戦国武将の雄叫びが聞こえてきそうな雰囲気でした。その後の変遷ぶりは、皆様ご存知の通りです。

さて、中学生のガキがなぜ「信号所」に???そして、「西武の部屋」のファイルネーム【gwmr】は何を表すのでしょう?


清瀬へ向かう西所沢行きの4連は、クモハ351+サハ1411+サハ1411+クモハ351の17m・20m車混成の固定編成!既に、グローブ形ベンチレータに更新されているようだ。ここは、東久留米です。ちょうど、島ホーム8連(構内通路)から、相対ホーム10連(跨線橋新設)への改良工事中だった。構内通路の踏切や右の用地が島ホーム時代の名残を残す。左の雑然とした場所は、旧中島飛行機工場への専用線(池袋方にスイッチバック)用の小さなヤードがあったところ。この専用線の名残は、今でも地図で確認できる。一度、行きたいと思っています。「トヨエース」も懐かしいですね!

「ストラップ」が写り込むミス・・・一度ならず・・・やっていませんか?

そこに・・・忽然と現れたクハ5502ほかの「レッドアロー」臨時電車!

あの「オリンパスペン」で考えられないくらいの「興奮の激写」!見事な???シャッターチャンスだ(~_~;)

「今」じゃ・・・撮れないな〜

あっという間に通り過ぎていった。ホームの乗客は・・・目の前の光景・・・が良く理解できていない(?_?)

それにしても、屋根の無い駅が多かったです。

今も、余り変わらない石神井公園の中線で暫く停車。ここで、漸く乗客の視線を一手に集める。ピカピカの原形スカートや1本ワイパーが初々しい。クハ5501ほか・・・日立笠戸工場の製造です。右の101系は「105F」です。

池袋の貨物線に到着した。外装工事前の西武本社(当時)が懐かしい。貨車が1両もいないのが珍しい。何人かの「鉄」がいたようだ。中央奥の建物が「荷扱い所」だった。私鉄の都心側ターミナルとしては、余裕のある用地です。貨物廃止後は、留置線として活用されている。

池袋6番ホーム端から写す。ピントが完全に「前」です(ーー;)。この辺りからの眺めは、余り変わっていない。停車中の電車は保谷行きでしょう。これ又、貴重なクモハ311形(通常形)先頭の6連です。優等列車といえば、日中は20分おきに出る「準急」だけというのんびりとした駅でした。右端の2番ホーム(1番線)は、豊島園行き専用の感がありました。

社内展示会のために「階段」を準備する。その横を「荷電」(クモニ3か4)が・・・。

社員は、堂々線路を横断して見学に望んだ。

このときの「パンフレット」・・・たしか「或る運転士」より入手したのですが・・・。


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