西武の部屋

その1・秩父線開業

1969年10月26日撮影

待ちに待った、西武秩父線開業は何と「鉄道記念日」の10月14日!当時の私には、深い意味が判らなかった。今から思うと「諸先輩方」には、田舎私鉄の末端路線の開通にこの日を選んだことが、気に入らない方も多かったように思う。

ともかく、開通後2度目の日曜に友人二人を誘って「新線」と「レッドアロー」の初乗りとなった。当時の「レッドアロー」は平日は朝夕それぞれ1往復だけ。ただし、土曜(池袋13時台発)と日曜(同、14:05発)は1往復の増発列車があった。『日曜日は朝寝坊』という、軟弱な中学1年生・・・乗ったのは14:05発でした。「池袋展示会」のときは激写したが・・・このときは、池袋から西武秩父に着くまで1枚も撮っていなかった。そもそも、列車の車内で写真を撮るという感覚が無かったのでしょうか?弊掲示板でも何度か書き込みましたが・・・この列車、東飯能(14:50過ぎでしょうか?)では八高線のD51重連、下り貨物と並び、車内に「煙」の香りが入ってきたこと、外では何人かがこのシーンを撮影されていた記憶は残っています。

ともあれ、西武秩父に到着。ホームや駅前で何枚か撮り、帰りは芦ヶ久保駅に途中下車して「休日急行」(吾野止まりだった頃は、飯能以遠も通過する列車があったが、西武秩父延長で飯能以遠各駅停車になった)を乗り継いで帰ったと思います。


西武秩父に到着した5000系にカメラの砲列?が集中する。晴れている写真はこれだけでした。開通記念の横断幕が見えます。脇には、701系一次車が待機します。勿論クハの台車は、大正浪漫?の「TR11」!アレッ!秩父線って101系と5000系しか乗り入れないんじゃない???この写真だけは、やけにシャープです^^;。

車内販売のお姉さまが・・・ヤケに気になって・・・「オイ!お前撮れよ」・・・と。確かに・・・今見ても「充分通用する」水準?だと思います(^_-)v!


「デトニ初の西武以外の写真」!・・・はこれでした。

西武秩父駅ホームのすぐ脇を通る秩父鉄道デハ100形です。

同じく、秩父鉄道の新性能車500系3連が通過する。我が方は、「この水準」に達しているクルマは「101&5000だけ」という情けない状態でした。現在は、秩父鉄道への連絡線が開通している。西武の方は、写真奥で左カーブし、当時は「全線で唯一」の高架区間へとつながる。

折り返しで、池袋に向けて発車してゆく5000系。開業直後は2編成だったでしょうか?番号の記録はありません。武甲山の山容はどのように変わっているでしょうか?新線区間とはいえ「PCマクラギ」の類は一切、使われていません。時代の差を感じます。そのかわり、板バネを使った弾性締結装置はかなり前から普及していました。

秩父鉄道 お花畑駅への連絡道路から夕方の上り特急に備え待機中の5000系レッドアローを見物する人々。左の701系は「741」であることが判明した。地味な?秩父鉄道の電車を見慣れた方々には、5000系の派手なスタイルは鮮烈な印象を与えたようです。しかし、新線には「101&5000」しか乗り入れない・・・という期待は・・・最初から裏切られた。自動空気ブレーキだけの峠道は結構、大変だったでしょう。現在は・・・回生車は乗り入れてないんでしたっけ?


記念の「タワー」?が建つ、未舗装の駅前広場!現在では考えられぬのどかな風景です。フローリアン、スバル360、二代目クラウン・・・懐かしい!新設された長瀞行きバス停が見えます。

「山小屋風」の西武秩父駅舎。これも、西武としては画期的です。右のお土産屋で買ったのは・・・「こんにゃく」だったか?現在のような各種「グッズ」のようなものは・・・無かったと思います。


帰りは芦ヶ久保で下車。同行の2人・・・ひとりは「前回」と同じだが・・・もうひとりが判らない(?_?)。ホームの敷石(これも懐かしい一品)も中央部は省略されている。

黄昏の芦ヶ久保築堤をゆく、101系8連ヘッドマーク付きの急行池袋行。「狙い」は結構良かった。ネガを見るとほとんど何が写っているのか判らなかったが、スキャナーと画像処理ソフトにより、見事に蘇った!山あいの静かな村も、池袋への直通電車が走るようになった。確か、カメラのシャッター速度は1/30秒と1/250秒のプログラムEE。レンズはF2.8です。何も判らず、ただシャッターを押したが・・・これも32年を経て貴重な記録になりました。

オリムパスペンEE−S  ネオパンSS


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