西武の部屋

その2・文化祭を前に:@(練馬界隈)

「秩父線開業」の後、1970年の“万博旅行”を除いて(これすらも、父に委託撮影という超軟弱中学生(;_;)メ)丸2年近くの間「写真」は撮りませんでした。中学3年の夏休み前に、友人二人で私鉄同好会≠ネるものを発足させました。夏休みには、11月の文化祭発表の為の写真を撮り始めました。「お題」は、地元「西武」に加え「京王」「小田急」三社のレポートでした。当時の「私鉄ガイドブック」そのものの“超お手軽企画”でした^_^;  こんな状況では、ロクな写真が撮れるわけがなく・・・とても、「中学三年生」とは思えぬヒドイ写真ばかりでした。それでも、30年以上経てスキャンしてみると・・・新しい発見がありました♪


 間もなく、地下鉄8号線乗り入れと高架複々線化工事が始まる練馬駅全景

・・・と、文化祭展示写真の説明に書いた気がします^_^;

厳密にいうと31年後の今(2002年夏)でも、一部が未完成・・・という大工事≠ノなりました!

でも〜・・・この付近の「変わり様」は、正に“隔世の感”があります。中村橋寄りの豊島園通り踏切付近から、ほぼ全景を捉えたものです。ゆったりとした構内と貨車、それに特徴あるカマボコ屋根の橋上駅舎が懐かしいです。貨車の右方には「日通」の営業所もありました。停車中の旧型車・・・拡大したら、パンタがありました!既に、風前の灯だったクモハ311形(313〜315)ですね♪どうして近付いてきたところでもう1枚、撮らなかったのか。。。

ここで「自己突っ込み」をひとつ・・・コレが↓・・・「311」に見えるか〜?


練馬駅を通過する501系西武秩父行きの準急。「幻のカネボウ工場」が写っていました!!煉瓦造りの工場の姿を記録した、唯一の写真です。この時点で、操業していたかどうか??取り壊し後しばらくは、荒涼とした空き地が広がっていました。今では、北口駅前広場の最終整備工事が行われています。奥の「練馬文化センター」は、ひと足早く、完成しました。

あの・・・「中村陸橋」付近を行く101系。僅かな区間並行する目白通り(都道放射7号線)には、懐かしいクルマが沢山!当時の西武では少ない“都会的雰囲気”の写真が撮りたかったのだと思いますが・・・尻切れ≠フ・・・ど〜も情けない素人写真です(-_-メ)

上の位置から池袋方面を望む付近から、下り列車を撮りました。これ又、アタマ1両≠フ典型的な「小学校低学年写真」ですね。。。でも〜・・・写っているクルマは、貴重なものでした。クハ1411形の中でも、人気の高い狭窓≠ナす。前面車体裾が、直線でない奇数車→1433・35・37・39のいずれかが該当しますが・・・スキャン原画の側面拡大で「1433」であることが、ほぼ判明しました♪

これは、“下手”というか“意味不明”の写真です(?_?)  池袋線と豊島線の分岐点です。やはり狭窓≠ナすが・・・↑とは前面雨樋端の形状をはじめ、若干顔つき≠ェ異なります。このような“絶好のお宝”を、しっかり記録していなかったことが悔やまれます。

豊島線を行く、クモハ551形。現在はちょうど、高架から地上に降りる付近でしょうか?

上の編成の後尾を狙った、これも意味不明≠フ写真ですが・・・30年以上の時を経て「お宝」になりました。番号もしっかり「クモハ379」!元国鉄クモハ11407といわれています。足元を見れば、軸受が“コロ軸受化”されていないことが判りました!後方の相棒、クハ1311形の台車と比べれば、一目瞭然!

ちょっと足を伸ばして、富士見台〜石神井公園の駅間で撮りました。休日運転の上り特急でしょうか?高架複々線化に新駅(練馬高野台)設置でここも、様子が一変したところです。バックには、光が丘団地がそびえています。石神井川の位置だけは変わらないでしょう。。。

1971−8−15

ペトリV6 ペトリ55ミリF1.8 ネオパンSS


続く

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