帰国。乗り継ぎを時間を利用した3時間のイスタンブール観光

4月7日(金):イスタンブール
Yahoo! Weather :イスタンブール。lonely planet:トルコの地図。イスタンブールの物価:住友商事の「世界の物価レポート」。大卒初任給/年収は206万円)


ついに帰国。
帰りのスケジュールは

4月7日(金):アテネ10:30発、イスタンブール11:45着。関空行き17:00発。
4月8日(土):関空9:45着(JAL14:45 発、羽田16:00着)。

今回の旅はどこに行くにもイスタンブール経由(おかげで2時間以上の乗り継ぎが7回もあった)。飛行機には10回も乗ったので、飛行機はもううんざり。
アテネで関空までチェックインできたので、イスタンブールの乗り継ぎ時間をフルに利用して観光!短時間とは言えついでにイスタンブールに行けるなんてラッキーだ。

乗り継ぎ時間が5時間あると言っても、入出国の手続きの時間を考えると自由に動けるのは正味3時間。
入国手続きを終えて、まずは両替。トルコリラはインフレの影響なのかお札の桁がやたら多くて、60USドルを両替したら3,583万TRL/トルコリラ。なんじゃこれ?いきなり大金をもらったような気がしてしまい、感覚が狂ってしまった。

トルコリラは10万TRLで17.50円。1万円を両替すると5,712万TRLにもなってしまい、しかもお札の数字の表示が「5000000」(画像下=800円)、「1000000」となっていて千の桁にカンマ「,」が書いてないのでわかりずらい。「えーっとこのお札は、一、十、百、千、万、十万、百万....」といちいち桁を確認しないといけなかった。コインまで桁が多かったが10万リラコイン(17.5円)は「100.000」と表示されているのでわかりやすい。

空港ロビーを歩いているとスカーフをしたイスラム女性軍団を発見、「うわっ!また帰って来ちゃったよ」と思わず佐治に言った。もう頭の中はエジプトモード。
最初の目的地はブルーモスクだったが、タクシーに乗る時身構えてしまった。
ガイドブックに書いてあった相場を言って料金を確認しようとしたら、運転手に「メーターTAXI」と冷静に言われ、拍子ぬけしてしまった。
イスタンブールについて村上春樹は「雨天炎天」の中で
「ここは例外とみなして、トルコ領のうちには入れないでおいた方がいいだろう。多くの大都市がそうであるように、ここは特殊な場所なのだ。イスタンブールに近づくにつれて、道路沿いの風景は退屈から醜悪へと変化していく。イスタンブールに通勤する新中産階級用のぞっとするような集合住宅や建て売り住宅がところ狭しち建ち並んでいるからだ。(中略)それから車はやがて街に入る。ここは郊外とは逆で、汚く、古く、猥雑で、手前勝手に出鱈目である。うるさくて、空気が悪くて、ツーリスティックである。」と酷評している。
ところが、僕の目にはクリーンに見えた。
空港からの高速道路から見える「醜悪」な風景はまるでアメリカの田舎の高速道路沿いの風景に見え、「新中産階級用のぞっとするような集合住宅」は単に香港やシンガポールのような高層アパートに見えた。比較しているのがカイロだから良く見えるのだろうか?(そうに違いない^_^)

ブルーモスク(スルタンアフメット・ジャミィ)前に着いたのは12時半頃(25分位乗って690万トルコリラ=1,210円)。街にいられるの3時がタイムリミットだ。
さあ着いたと思ったら、ドアを開けてくれる人がいて
「ウェルカム!」と言い
さらに「アイム ノット ガイド」と言った。

またかよ、嘘つくんじゃねえ!!と思ったが、歩きはじめたら
「きょうは金曜日です。金曜日は我々ムスリム(イスラム教徒)にとっては特別の日です。キリスト教が日曜日に教会に行くようにお祈りをする日なのです。今ブルー・モスクではお祈りをやっているので入れません」などと言うので、本当かどうか確かめに行った。
そうしたら本当だった。
入り口の守衛さんは「今は入れません」と言っていて、午後1時を過ぎたら入れるような事を言っていた。
ブルー・モスクを見ないイスタンブール観光なんて有り得ないと思ったが、まあ、ついでに来たのだからとあきらめて、窓越しに内部を「どこがブルーなんだ?」と思いながらちょっとだけ見て、あっさりとあきらめた。我々には時間が無いのだ。

しょうがないので自称「自分はガイドじゃないと言うガイドさん」にボスポラス海峡にかかる「ガラタ橋」への行き方を聞くと「アバウト テン ミニッツ」と言うので、それなら歩こうと思ったら、こいつが正体を表した。
「自分はセラミックス=陶器の店をやっているので、ちょっとだけでも見に行きませんか?」ときた。

人は悪そうでは無かったので、店だけは見てやろうと思ったが、店はブルーモスクのすぐ近くのお土産屋が並んでいる通りにあって、普通の陶器の店だった。
ショーウインドーに飾られた
トルコ陶器(キャタフヤ陶器)の皿や壷は、アンティーク好きの私の目から見ても悪くなかった。色使いは青色(藍色)が基調で、赤色や緑色が使われていてアクセントになっている。なかなか良い陶器だった。
でも、店に入る訳が無い。我々はとっとと立ち去った。
佐治の感想は「よくしゃべる奴、なれなれしい奴は怪しいっ ていう自論が正しいということがまた証明できた」。

やれやれと言うことで、道の真ん中をトラムが走る道(アヤ・ソフィア/東ローマ帝国時代の聖ソフィア聖堂沿いの道)をボスポラス海峡に向けて下った。
歩いて思ったのは、街がクリーン(後で知ったがトルコはEU加盟を目指していて街の美化には気を使っているらしい)。ほこりもないし、気候もギリシャに近くてさわやか。
道を歩いている人もヨーロッパ的な顔立ちをしている人が多く、身なりもきれいだった。ブルーモスクのすぐ近くなのに声をかけて来る人もいない(イスタンブールの市場「グランド・バザール」ではカイロと同じように激しく日本語でかけ声がかかるらしい)。
同じムスリムの国でもこうも違うものかとつくづく感心した。佐治の感想も「きれい!」。
トルコの言語はアラビア語ではなくトルコ語なので、読めるのでこれも安心(スルタンアフメット・ジャミィはSultanahmet Camii)。

ブルーモスクからボスポラス海峡までは、歩いて15分位。
ずっと下り坂だったので楽だった。

そして、ボスポラス海峡を発見!
ヨーロッパとアジアの境界だ。

我々はヨーロッパ側から、西暦300年から1453年まで1153年間もローマ帝国、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都だったコンスタンチノープルを眺めた(それ以後はオスマン・トルコ帝国の首都)。
高層ビルが無いので、視界が広く、目立つ建物は対岸のアジア側(新市街)の「ガラタ塔」(左の写真の中央にある塔。左端に少し見えるのがガラタ橋。この橋と黒海側のアタチュルク橋の間が金角湾/ハリッチと呼ばれている)と、ヨーロッパ側(旧市街)にある、モスクとその回りに建つ「ミナレット」(光塔)だけ。
海峡の桟橋沿いには屋台がポツポツあって、「ピクルスの漬け汁屋」さん(ピクルスの漬け汁をジュースとして売っている。キュウリだけじゃなくて、にんじんもあって他にも何種類もあった)、ムール貝屋さん(ミディエ・ドルマ。ムール貝の中に貝と一緒にピラフが入っていて、貝を開けて一方の貝でピラフと貝の肉をすくって食べる。食べる時にレモンを一つ一つにギュッと絞ってくれて、まあまあおいしかった)、それに焼き栗屋さんがあった。桟橋には小さな船が3〜4隻左右に転覆しそうな程揺られながら停泊していた。
良く見ると、その船の中には丸い大きな鉄板と網があって、民族衣装を着た人が振られながら何かを焼いていた。煙がもうもうと立っていて、なんだろうと思って横を通り過ぎた時、焼いているものがわかった。「鯖/サバ」だ。

これがガラタ橋名物「サバサンド」屋さん。
売っている人も僕が近づくと「サバサンド!!」と声をかけた。
結構楽しみにしていたので、1つだけ買って試食タイム(50万トルコリラ=90円)。
半分つづにして食べてみたらサバの他にトマトと玉ねぎが入っていて、サバの味はまさに焼きサバで醤油が欲しかった。僕はパンがうまいしサバとの相性も良いので結構気に入った(桟橋沿いにレモン汁と塩が置いてあってお好みでかけられる)。
佐治は「うまいけど、サバがあんまり入ってないっすよ。田中さ〜ん、半分にする時は公平にして下さい。でも、1個食べたら飽きそう・・・」と言っていた。


名物も食べたし、ここで昼ご飯にすることにした。
清潔でそこそこ人が入っている店を見つけて入った(トルコでは大衆食堂は「ロカンタ/LOKANTA」と言う)。ここではアダナ・ケバブ(ケバブは「焼く」という意味。アダナ・ケバブは唐辛子を使ったピリ辛の羊肉の挽肉の串焼き。下の画像の左。肉はパンの下に隠れてます)とサラダを食べた。ケバブは程良く辛く、サラダ(下の画像の右)に乗っていた皮をむいたキュウリもおいしかった。
ケバブに添えてあった赤い炊き込みライスはトルコでは「ピラウ」と呼び「ピラフ」の元祖。実は「ピラフ」はトルコ料理なのです(この時食べたのはケチャップライスみたいな”ピラウ”だったが、日本のピラフみたいな白っぽいのが主流らしい)。トルコ料理といえばヨーグルト(トルコ語で”発酵する”は”ヨールト”ヨーグルトはトルコ語が語源なのです)を良く使うそうですが、この時はヨーグルトを使った料理は頼みませんでした。

 

我々が黙々と食べていると、佐治が「さっきからの田中さんの横のテーブルの人から激しく見られてる」と言うので横目で見てみると、確かに激しく我々は見られていた。
しかも見方が普通じゃなく、向こうも食事をしているのに3〜4秒毎に1回は視線がこっちのテーブルに来て、それがずーっと続いていた。
なんだろうと思っていると、しばらくして2人連れの若い方の兄ちゃんが
「アーユーコリアン?」と話かけてきた。
「ノー ジャパニーズ」と答えると、
「日本人ですか!私はてっきり韓国人だと思ってた。"地球の歩き方"を持っていないし」と、ここに書いた通りの奇麗な日本語で答えた。
あまりにも日本語がうまいので驚いて
「日本語うまいですねー」と言うと
「年に2,3回は日本に行くんです、行った時は恵比寿に泊ります。フィアンセは日本人なんですよ。私の名前はウミット。海に人と書いてウミットです」と、ここに書いた通りに日本語で答えた。
「この店はおいしくて評判がいいんです、偶然入ったなんてラッキーです」と言われて悪い気はしなかった。イスタンブールの感想を聞かれ、カイロよりクリーンだと答えると、
「カイロと比べるのは良くないよ」と言っていた^_^

この海人君、本当に日本語がうまくて「そうですよね?」の代わりに「でしょ?」なんて言葉まで使っていて、単にうまいを通り越したレベルだった。やはり外国語はその国の女性と恋に落ちるのが一番てっとり早いようだ。
海人君も実は陶器屋で、「日本には陶器のビジネスで行っている」と言っていた、「うちに来ませんか?歓迎しますよ、屋上からの景色もいいですよ」というお誘いもあったが、ちょっと警戒モードが残っていたし、時間もないので断った(「遠慮なんかしないでー」と言われた)。

僕は最後に「チャイ」を飲んだ。
これは紅茶。いかにもトルコらしい出し方で、熱い紅茶がガラスのコップに入って出ているので、熱くて持てない点を除けば特に変わった特徴は無く、味は当たり前の紅茶の味だった。

食事の後(この店のレシートは無くしてしまった..)、もう一回ボスポラス海峡が見たくて桟橋を歩き、ガラタ橋を途中まで渡ってみた。
橋の上から金角湾側やイエニ・ジャーミーのドーム(画像下)をぼーっと眺めていると、佐治に「田中さん、”橋の上の娘”って映画知ってます?」と聞かれ、知らないと答えるとストーリーを教えてくれた。

主演は、最近ジョニー・デップとの間に子供が産まれたバネッサ・パラディ(結婚はしてないですけど)。結構、ハリウッドでは時の人。一言で言うとストーリーは、

「人生についてない男と女が、パリの橋の上で偶然出会い2人でいることによって、つきまくるようになる。
女の軽い性格のせいで、離れてしまうが、それ以来、元のついてない人生に逆戻りしてしまい、お互い、あの人じゃないとだめだと思うようになる。
お互い、探し合うが見つからず、どうしようもなくなった男がボスポラス海峡にかかる橋から飛び降りて自殺しようとしているところを、偶然、今度は女が助けて・・・お終い。
というストーリーです(舞台は、パリ、モナコ、サンレモ、アテネ、イスタンブール)。
ナイフ投げとその的という役割ですが、ナイフを投げることによって、お互い、エクスタシーを感じていくというシーンは、その辺の絡みのシーンよりも、めっちゃエッチです」。
という映画だそうだ。

佐治はここが舞台かーと橋の上から遠くを見ていた(実際は隣のアタチュルク橋だろうと言っていた)。

イスタンブールは遺跡が多く、特にオスマン・トルコ帝国のスルタンの宮殿「トプカプ宮殿」を見てみたかったが、時間が無いのであきらめてタクシー(帰りは600万トルコリラ=1,050円)で空港にもどった。

トルコ航空の機内に入って置いてあった2日前の日付(4/5)の日経新聞を見たら、1面トップが「森政権発足」と書いてあってびっくり、総理大臣が代わったのをトルコで知った、それも2日も経って。こんな事はもう一生無いだろう^o^。

イスタンブールからの帰りのこの旅の9回目のフライトは、行きの12時間55分とは違いジェット気流に乗るので10時間半だったので、楽ではないが耐えられた。
機内映画はジョディ・フォスターの「アンナと王様」、吹き替え無しのグウィネス・パルトロウとマット・ディモンの最新作「THE TRENTED MR.RIPLEY」(アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」のリメイク)の2本。
佐治も「行きはグロッキーだったけど、帰りはそれほどでも。”アンナと王様”もいい暇つぶしになったし。”リプリー”が英語のみってのが、残念だったけど」と言っていた。

関西空港には朝9:40に到着。
羽田行きは14:45発なのでここでも5時間の乗り継ぎ。
帰国後、我々が早速食べたものは「そば」。
「梅暦そば」というメニューを「うめれきそば」と言って注文したら、「田中さんーん、うめごよみそばでしょー、マジっすか?」と言われてちょっと悔しかった^_^。

待ち時間は佐治は漫画、スポーツ新聞を熟読。
僕はひたすらモバイルギアで日記を書いていた。

東京に着いたら、もう散っていると思っていた桜が満開だった。


あとがき
今回の旅は、変化がある旅でした。

カイロ、アテネ、ミコノス島、イスタンブール。
どこも個性的で歴史があり、それぞれ違っているので刺激的でした。
僕にとって海外旅行の魅力は「開放感」と「刺激」だと思っているので、「刺激」という意味ではかなり満足できました(エジプトは刺激的すぎて疲れましたけどね)。
エジプトは気が抜けないという点では、今まで行った国の中では一番。客引きの連中のうるささは予想をはるかに上回るもので「うざい」(うっとうしい)という表現がまさにぴったりでした。
しかし、いくらうざくても魅力的な国なのです。
正確に言うと国が魅力的と言うより、古代エジプトの文明が魅力的で、僕は「うざい連中」に皮肉で「ピラミッドがあって君たちは幸せだ」と言ってやりましたが(反応は無かった)、今のエジプトは単なるほこりっぽいイスラムの国で、ピラミッドがなければ私は決して行くことは無い国です。

紀元前25世紀に建てられたものが、今も目の前にそびえ立っている風景は素晴らしいものです。
次回行ったら、カイロから飛行機でないと行けないアブシンベル神殿やルクソールの王家の谷にもぜひ行ってみたいです。

エジプトについて、佐治は「ただで行かせてやると言われても考える」と言っていましたが、私はきっとまた行きます。カイロで快適に過ごすためには、なかなかテクニックが必要なので、奥が深い分追求したくなりました。

ギリシャの印象は「きれーな国」。
アテネは他のヨーロッパの都市のような街並みの美しさはありませんが、なんと言っても「西欧文明の発祥の地」。魅力的でした。
アクロポリスやスニオン岬のポセイドン神殿は、清楚な感じがしました。
ミコノスは「きれーな島」。あまりにもイメージ通りなのでまるで「テーマパーク」のような島でした。
トップシーズンに行ってみたいものです。
イスタンブールはあまりにも滞在時間が短くて語れませんが、「ついで」に行けて本当に良かったと思っています。
今回は夢だったエジプトに行ってしまったので、気持ちとしては行きたい所が一巡してしまった感じがします。次回はまだ行った事がないローマ、ナポリ、イタリア南部かもう一度ロンドン&パリに行ってみたいです(どんどん気が変わるのであてになりませんけどね)。

それにしても、この旅は3/31〜4/8まで12回も飛行機に乗り、帰って来た翌週に九州に出張で行ったので、2週間で14回も飛行機に乗り、もううんざりでした。佐治もミコノスから帰って来た時「これで10回目のフライトが無事終わった....」とカウントダウンしていて、うんざりした様子でした。やっぱり飛行機は気持ちの良いものではないですね^_^(メカとしての飛行機は中学校の頃から好きなんですけどね)。

みなさん、長い日記を読んでいあただきありがとうございました!



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