イロ最終日 2度目のピラミッドとほこりの街

4月3日(月)最高気温36度前後、最低気温20度弱。この日も快晴。
(Yahoo! Weather :カイロ


この日は深夜2時15分にカイロ発のイスタンブール行き(イスタンブールで乗り継いでアテネに朝の9時40分着)の飛行機に乗るので、迎えの車が夜23時30分に来る事になっていた。
我々は早めにホテルに帰って少しでも寝ようと思っていたので、午前中はもう一回3大ピラミッドを見て、午後はカイロ市街を見下ろす丘の上にあるムハンマド・アリ・モスクと、カイロで一番大きなスーク「ハーン・ハリーリ」に行くだけの余裕のあるスケジュールにした。

朝8時半頃ホテル出発。ホテルでタクシーを呼んでもらって「ピラミッド!」と言ったが、ホテルヨーロッパで客待ちしているタクシーはオベロイやナイルヒルトンより質が落ちるようで「売り込み人」が乗り込んで来てしまった。
こいつはタルタルという名前で、最初は自己紹介で法律を勉強して弁護士になるつもりだの、ブラジルに2ヶ月行っていただの、適当な事を言っていたが、ピラミッドが近づいて来ると
「ピラミッドのメインゲートはきょうは会議が開かれているのでクローズしているから、バックサイド オブ ピラミッドまでホースで行かないといかなければならない」
などとぬかし初めた。

最初は本当にクローズしていたらどうしようと思ったが、スフィンクスの方まで連れて行かれ、馬乗り場に着いてしまってから「ふざけんなよ!」と思って2人で「ゴー!メナハウス!」と言ったら売り込みは終わった。タクシーに乗る時ピラミッドと言ってはいけないと悟ったのは、この時の経験から来たものだ。佐治は後になっても「タルタルはとんでもないっすよ!」と言って怒っていた。

メナハウスに着いてから、佐治がロビーをつかつかっと歩いてコンシェルジェのデスクに直行して「きょうはピラミッドはオープンしてますか?」と聞いたら、答えは「Yes!」。
佐治は「タルタルのやつ」とつぶやいていた。

やれやれと思ってしばらくオベロイの中で両替したりショップを見てまわった。そして初日と同じ様にカフェの外の芝生の庭を歩き、初日に発見したビューポイントにもう一度行ってから、庭からピラミッドに続く道路に飛び降りてピラミッドまで歩いた(5分位)。

ピラミッドは2回目だったので町が見渡せる正面には行かず、側面を歩き、初日には行かなかった第二ピラミッドへ向った。
ここは第一ピラミッドに比べると観光客も少なく、らくだ乗りも数頭しかいなかった。ピラミッドの回りにもかつてピラミッドの全面を覆っていた表装石(石灰岩と赤身を帯びた花崗岩)がごろごろと崩れ落ちたままになっていて、なんとも「手付かず」の状況(画像右)。
ここでは特に、第三ピラミッドが見える裏が良かった。
佐治は盛んに売り込んで来るらくだ乗りのおっさん相手に、すっかり慣れた様子で「ハロー!ヤバーニ?」と言われれば「ハーイ。バイバイ〜」、「コニチワ!」「こんちには!」、「キャメル?」「ノーサンキュー〜」、「ハロー!」「バイバイ〜」と全然真に受けないですっかり受け流し上手になっていた。

このピラミッド見物は、第一と第二ピラミッドの回りを歩いただけ。
だだ歩いただけだが、僕は幸せだった。
空は真っ青、文字どおり雲一つ無い。
そして見えるものはピラミッドだけ。
第二ピラミッドの下に落ちていた花崗岩に座って砂漠の風邪を受けながらぼっとしていている時がこの旅で一番幸せな時だった。

第一ピラミッド周辺のファラオの奥さんの小さなピラミッド周辺も見たが、人影は少なく、ヒエログラフが残っている壁もあって、探検する感じで楽しかった。
我々はこのあたりで休憩、佐治も、第二、第三ピラミッドが見える所に座り込んでぼーっとしていたが
「田中さん、もう堪能しましたか?」と聞かれ、
「そうだね、名残惜しいけど堪能したよ」と言ったら、
「じゃあ行きましょう」とニコっと笑った。
彼にとっては二回目のピラミッドはそれほど価値のあるもんじゃなかったと後で言っていた。気を使ってくれていたわけだ。

僕は「あー、ピラミッド見物が終わってしまう.....」とため息をつきながらとぼとぼと歩いて、オベロイのカフェでお茶をしたが、ここから見えるピラミッドを見納めだと思いながらまた見ていた。何回見ても見飽きないのだ(画像左がカフェから見続けたピラミッド。まさにこの視点)。

帰国後ピラミッド観光について気になる報道があった、2000年12月31日のCNNの報道によると「エジプト当局が2001年末までにピラミッド周辺の整備を完了させ、整備後は、電気自動車によるガイド付きツアーなども始まる予定だという。その代わり、訪問者は以前のように、ピラミッド下部の巨大な岩に触ったり、登ったりすることはできなくなる見込みで、4500年の歴史を持つ遺跡の雰囲気は大きく様変わりしそうだ。 現地のハワース考古学主任によると、ピクニック広場は、ピラミッドの影になる部分に設けられる予定で、広場に通じる約1キロの舗装道路も、すでに砂漠の中に建設されているという。広場のほか、あらたに駐車場や観光案内所も設置され、2001年末には、観光客に開放する計画だという」。
なぜピクニック広場なのだろうか?どこにそんなニーズがあるのだろうか?実に不思議だ。エジプト人には見飽きた風景かもしれないが、観光客にとっては変化しない風景だからこそ魅力的なのだ。なぜそれがわからないのだろうか?余計な事をしないでもらいたい。

さて、休憩後はタクシーでカイロ市街の南東にあるモカッタムの丘にあるムハンマド・アリ・モスクへ。またまたこのタクシーの運転手は売り込み開始。「ムハンマド・アリ・モスクの後はどこに行くんだ?」「待ってるからハーンハリーニまで行こう」とかうるさいうるさい、しまいには「ギブ ミー チャンス」とまで言い出して、断るのに一苦労。頼むから黙ってて欲しかった。

ムハンマド・アリ・モスクは、ドームの周囲に4本のミナレット(光塔)が立っている1857年代に建てられた比較的新しいモスクで、イスタンブールのブルーモスクに対抗して建てられただけあって立派。
中に入るためには靴を脱ぐ必要があって、佐治はブーツ(ワークブーツ)を脱ぐのが面倒くさいと言って中に入らなかったが、中はワインレッドのカーペットが敷き詰められ、観光客は座り込んだり、寝たりしてアラビア模様の装飾で飾られたドームの内部(画像右)を見上げていた。
このモスクはカイロ市街を見下ろす丘の上に立っているので、展望台のような場所でジュースを飲みながらカイロ市街を見ながら休憩したが、1600万人の人口を抱える東京より大きなカイロは、ベージュ色の建物がびっしりと立ち並んでいた。
遠くには約18km位離れているのにピラミッドがうっすらと見え、妙に嬉しかった。

さて、モスク見物も終わり我々は丘を下ってイスラミックカイロの街へ行き、そこからハーンハリーニ(スーク)まで歩いていく事にした。
ここからの歩きは試練だった。なにしろ暑くてほこりっぽい(乾燥しているので汗はかかない)。途中狭い歩道から人があふれているような道もあって、とにかく歩いていて疲れる。やっとの思いでスークに着いてカフェに座り込んだが、もう二度と歩きたくない道だった。

スークは観光客向けの土産物屋が多く「もうかりまっか?」(佐治は「ぼちぼちでんな!」と答えていた)、「コニチワ!」、「見るだけタダ!」、「バザールでゴザール!」とまあ、やたら声がかかるところだった。

 

大きなスークと思っていたが土産物屋が多い部分はあっけない程すぐ終わり(画像上/左の画像の左側がスークの出口)、それから先が、延々と続く地元の人用のスークで(画像上/右)、服屋、雑貨屋、お菓子屋等々がまとまって並んでいた。
ところがここも平日だと言うのにやたら人がいて、しかもほこりっぽい。足元はきたないし(乾燥しているので泥があるわけではない、生ゴミがころがっているわけでもない。灰色の砂埃が道にあってきたない)、もううんざり。
広い通りに出たのでタクシーに「ナイルヒルトン!ファイブポンド!OK?」と言って乗り込んで、ナイルヒルトンに逃げ込んでしまった。後で地図を見たらハーンハリーリの近くからナイルヒルトンまでは走行距離で3km位あったと思うので、これで5LE=150円なら安い、これがきっと地元料金の高め程度の料金なのだ。

ナイルヒルトンのフードコートの椅子に座ると同時に、2人共何も言わずに、トイレに直行。そして黙ってうがい。お互い何も言わないのにそろってうがいをしたいと思うなんて、よっぽどだ。
ウェットティッシュで手や顔をふいてみると、きたないのなんのって、右の画像を見て下さい!(右が使用前)。別に土を触った訳じゃないんですよ、ただ歩いてただけなんですよ!

うんざりしながら座っていると、隣のテーブルの子どもがやたらかわいくて、お母さんの目を気にしながらもデジカメで撮ってしまった。



 


ところで、ここの冷房が僕には寒くはなかったが、佐治はクーラーの送風口の正面に座っていたようでこの後体調を崩してしまった。気温の変化に弱い人は送風口の正面のテーブルに座るのは避けましょう。佐治は「スークに行く前の道のほこりとフードコートの冷房でやられてしまった」と言っていた。
休憩後は太陽も西に傾いて来たので、ナイル川の橋を渡ってナイル川の中州(ゲズィーラ島)の東岸にあるカイロでNo.1の高級ホテル、マリオットホテル/
Cairo Marriott Hotel & Casino まで歩いて行った。

ここは元宮殿で、宮殿の建物を近代的な建物の中に巧みに残していて、確かに豪華。ナイルヒルトンからマリオットまで20分位歩いてしまったので、ここでも休憩。
まだ6時過ぎだったがオープンエアのカフェで早い夕食をとることにした。
佐治はハンバーガー、僕はコフタ(羊の肉の挽肉を固めて焼いたもの、細長い小さなハンバーグみたいなもの。画像左は食べている途中の画像。右がアエイシ=パンにはさんで食べている状態のコフタ、左がハンバーガー)を食べたが、ハンバーガーが佐治には油っぽかったのと、夕方だったので急速に気温が下がった(15分位で34度から24度まで下がったと佐治が言っていた)ので、佐治の体調はますます悪くなってしまった。
この時のお勘定は、
LEMON JUICE 9LE,TEA 5.5LE×2,KOFTA 21LE,HANBERGER 29LEにサービスチャージ込みで83.12LE=2,500円/2人。

この後はマリオットからヨーロッパホテルまでタクシーで帰ったが、この時乗ったタクシーの運転手は黙って運転していて、こういう人とダハシュールに行きたかったとつくづく思った。
ホテルに帰ると、佐治はベッドにバタン。
僕は荷造りをしてから目覚まし時計を22時半にセットして仮眠した。

こうして、カイロは終わってしまった。
佐治は「エジプトは二度と来ない、ただで行かしてやると言われても考える、こんな気を張る国は初めてだ。満員電車のおやじみたいにうざかった」と言っていたが、僕は「きっとまた来る」と思っていた。
次回来たら、カイロの経験者としてガイドだってしてみせる。
それに飛行機でアブシンベル神殿や、ルクソールの王家の谷だって行ってみたい。
ほこりっぽいイスラミックカイロは嫌いだが、興味の尽きない街だった。

23時30分に他のツアーのメンバーと一緒にホテルからマイクロバスに乗って空港まで行って、本当にカイロとはお別れ。




NEXT DAY(田中編)
NEXT DAY(佐治編)
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