出発&到着 とにかく長かったフライト
2000年3月31日(金)

さあ出発!

出発は北海道の有珠山が噴火した2000年3月31日(金)。今回のフライトは「羽田発関空・イスタンブール経由カイロ行き」なのでツアーの集合は羽田に朝6:45。佐治も僕もえらい早起きだが「遊び」だから文句は無い。
13:30関空発イスタンブール行きに乗るのになぜ朝7:45羽田発の国内線に乗るのかというと、金曜日は成田発のイスタンブール行きが無く(火・日のみ)しかも関空行きのJALのが昼間の時間帯に無かったから。
関空では約4時間半も乗り継ぎ時間があったので、JRかバスで大阪の難波にタコ焼きでも食べに行こうかと思ったがドタバタしそうだったのでおとなしく待つことにした。しかし、なんだかんだとやる事があって意外と時間が早く経った。
でも、長かったのはそれからのフライト。

日本時間の13:30に関空を出発して、イスタンブールに着いたのは12時間55分後(帰りはジェット気流に乗るので10時間30分)。一回のフライトではニューヨークやヨーロッパより長く、僕の直行便での最長フライトだった。なぜそんなに長いのかと思ったら、最短コースを飛んでいなかった。
イスタンブール行きの最短コースは、ヨーロッパ直行コース(日本海からシベリアに入り、シベリアの大平原の上を延々と飛ぶコース)の南で、本来なら北朝鮮からモンゴル、バイカル湖の北を通るコースのはずだが、実際飛んだのはソウルの南、北京の南、ゴビ砂漠(天山山脈が飛行機と同じ位の高さに見えた)、カザフスタン、カスピ海の上を飛ぶ、まさにシルクロードの上を飛ぶコースで、北朝鮮と標高が5000mを越えるチベット高原や山脈を避けながら、こまめにコースを変えて飛ぶコースだった(左の画像は機内のモニター画面をデジカメで撮ったもの)。


今回利用したのは
トルコ航空(ターキッシュ・エアー。今回乗ったのはトルコ航空の使用機材では一番大きな271人乗りのエアバスA340)。乗って一番驚いたのは機内誌が無かった事。エンターテイメントガイドも無し。機内食のメニューなんてもちろん無し、配られたのはアメニティーグッズ(くし、機内用くつした、歯ブラシセット入りの袋)とヘッドフォンだけ(帰りは機内誌があって映画だけはわかった)。
機内エンターテイメントガイドが無いので、映画も音楽も何をやるのかさっぱりわからなく、こんなのあり?と思ってそのうち配られるんだろう思っていたが、結局配られなかった。

機内食はチョイス無し「鶏肉の照り焼き、ライス、しいたけ、オクラ添え」のみ。もちろんサラダ、前菜、デザート付きだったけど、まあおいしかった(帰りは「フィッシュorターキー?」のチョイス)。
唯一ターキッシュエアらしいと思ったのは、イスラム圏の航空会社らしく機内食のトレーに豚の絵に×印が書かれ「この食事には豚肉は使ってません」と各国語で書かれた小さな紙が置かれていた事だけ。
機内上映映画は、007の最新作「THE WORLD IS NOT ENOUGH」と他に吹き替え無しの映画(「GALAXY QUEST」)1本。
帰りはジョディ・フォスターの「アンナと王様」、吹き替え無しのグウィネス・パルトロウとマット・ディモンの最新作「リプリー/THE TRENTED MR.RIPLEY」(日本公開3ヶ月前)の2本。

佐治は関空の本屋で映画雑誌、サッカー雑誌、バスケ雑誌を買い込んで「これで5時間は暇がつぶせる」と言っていたが、「あと12時間ですよ、すっげーやだ」とか「あと11時間もある、長いっすねー」とカントダウンをするので、僕は「うるさい!」「そんな事考えるな!」と撃退した。でも確かに長かった。
イスタンブールに着いたのは現地時間20:20。イスタンブールの空港ターミナルは立派でしかも24時間空港。情けないことに成田より全然立派だった。

イスタンブールーカイロ間の飛行時間は約2時間だが、カイロはイスタンブールとマイナス1時間の時差があるので、カイロに着くのは1時間後の午後12時だった。
昔の羽田空港のターミナルのような古いカイロ空港は、着いて最初にあったのがヒルトンホテルのカウンター、次にシェラトンのカウンター、そしてパスポートコントロールの手前にラジカセや大きな乾燥機を店頭に並べた電気屋のような免税品店が両側に並び、かなり変わってる。
特に、パスポートコントロールの手前の場所に現地の旅行代理店の出迎えの人が何人もいたのには驚いた。こんなの見たことない。
パスポートコントロール前も人でごったがえしてして、並びながらたばこを吸っている人もいるありさま。しかもエジプト人と外国人が分かれていないし、途中でいきなり我々が並んでいた列を担当していた職員がいきなりいなくなって、別の列にあわてて合流したりした。

ところで、エジプトはVISAがないと入国できない。ところがVISAと言っても駐日エジプト大使館で発行してもらう必要は無く、空港のパスポートコントロールの手前にある両替屋で切手みたいな印紙(右)を2枚で15USドルで買い、パスポートの好きなページに自分で貼ってパスポートコントロールで入国のスタンプを押してもらうだけ。要はVISA発行手数料と称して入国税を払わされるのだ。

このスタンプを押してもらうまで、現地の人のアラビア語=アラビックの言葉の響きや携帯の「イスラム風着メロ」とかを聞きながらただひたすら50分位も並んだ。やっとパスポートコントロールを出ると、現地の旅行代理店の人がいて羽田で預けた荷物をピックアップしてくれていた。2回も乗り継いだので、ちゃんと着くかどうか心配していただけに荷物に再会した時はほっとした。HISが現地で手配しているMISRトラベルという会社は国営の旅行会社らしく、コネが重要なイスラムの世界では安心できる。

ふと到着ゲートの外を見るとびっくりする程の「黒山の人だかり」。みんなニコニコしながらこっちを見ていて、まるで動物園のパンダ側から見た見物中の人間状態。
僕はみんな「おー、カモが一杯来たぞ!」と思っているんだろうかとうがった見方をしてしまった。
我々は「タクシー?」「タクシー?」という声が飛び交う中、現地のエージェントに守られながら迎えのベンツに乗ったが、完全な自由旅行だったら自分でタクシーを手配しないといけない訳で、こういう国でこそ送迎付きがベストなんじゃないかとつくづく思った。

周辺地区を含めると東京圏より多い1600万人もの人口を抱えるカイロの町の夜は、オレンジ色の街灯に沈んでいた。
タクシーは市街地を避ける高速道路のような近代的な道をホテルへと向かったが、途中でナイル川を渡ったので「ナイル川だ!」と一人で興奮してしまった。佐治は「結構まとも風な町でほっとした」と言っていた。

この日はホテルに1時20分位に着いて、日本から4.5リットルも持ってきた「六甲のおいしい水」で歯を磨き顔を洗って寝ただけ。やはりこの日の移動は長かった...。

今回カイロで3泊したホテル(
Hotel Europa Cairo)は、ギザのピラミッド通り沿いにあって相当老朽化していていた。
一応4つ星ホテルだが、入り口のドアは木製、しかもオートロックではないので内側からロックする時も鍵穴に鍵を入れて鍵を閉める必要があった。部屋には冷蔵庫やセイフティーボックスは無いし、部屋のテレビはスイッチを入れても反応無し(後でテレビごと取り替えてもらった)、椅子も座った途端に肘掛けが壊れてしまった。
朝食のビュッフェもレベルが低くて、コーヒーがまずかった。佐治の感想は「シャワーから茶色い水が出るし、マジ4つ星かよここ」。
実はこのホテルの前の歩道で96年にギリシャ人18人がイスラム急進派に射殺されたので(ルクソールで日本人も含む70名以上が犠牲になった事件の1年前)かなり安く手配できている可能性があるホテルだ。

エジプトの通貨はエジプトポンド(L.E.。1L.E.=30円)。お札しか流通してなくて、硬貨はお土産屋で売られていた。最も良く使う1LE札はきたなくて触るのもいやになる程で、佐治は「エジプト人のうんこが付いてるような札」と言っていたが、僕もお金を長く触った後は、殺菌ウェットテッシュで手を拭いた程だ(エジプトではこの殺菌ウェットテッシュが大活躍した)。



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