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追悼 羅錫南 先生 特集



長い間親英体道にて従事されてきた羅錫南先生が惜しまれつつ2006年3月13日に帰幽されました。79歳でした。

2006年3月16日お通夜17日告別式を大本式にて行わせて頂きました。武道一筋、なかなか現代には居ないかっこいい生き方をされていたなと、先生の偉大さを感じずにはいられませんでした。

HP作者も15年間お世話になり、ぽかっりと心に穴が空いたように思われ寂しい限りです。

そういうことで、羅先生特集を企画しました。

〜生い立ち〜

1927年

  たいそう拳(太極拳の元といわれている)の宗家、羅 家の長男として台湾にて生まれる


〜 エピソード1 〜
拳法の家に生まれ、このままいけば師範となっていた筈です。
が、羅先生の祖父は「こういう武道はもうお終いだ」仰っていたようです。聞くところによると力強い拳法だったようです。
もしかしたら羅先生は、自然におじいさまの意思をついで親英体道を続けていたのではと、考えずにはいられません。



1946年
  
 道院のフーチ(占いのような神様の啓示)にて「弓形をした国に神  武があるので探しに行け」というような指示をうけ、弓形の国が日本だと悟り、日本に渡る。当時19歳

〜 エピソード2 〜
羅家は台湾では裕福な家だそうです。長男ということでわがまま放題、暴れん坊だったそうです。(道院の神棚をひっくり返したり)あまりにも手がつけられなくて、周りの人たちに敬遠されるほどで、厄介払いされたため日本に・・・(本人談)ともかく、フーチの啓示が出た時期が丁度よかったということでしょうか(汗。。。)


 日本の武道を見て歩き、井上方軒(後に鑑昭)氏の親和体道(後に 親英体道)を知りこれ が神武だと確信、すぐに内弟子となる。
働きながら稽古に打ち込み、井上道主との2人住まいも経験。

〜 エピソード3 〜
井上先生との暮らしは、とても厳しかったそうです。魚の食べ方から細々と教えられたそうです。
米を研ぐにも、心をこめた時と込めない時では味が変わるようで、
「今日はいい加減に研いだな」とご飯を食べるときに言われるそうです。
昔は鰹節を削って使っていたらしいのですが、最後の一欠けらは削りずらいので、そっと戸棚に何個か隠して(叱られるので)おいたそうです。
あるとき呼び出され「戸棚の中に何か隠しているだろう、ちゃんと最後まで使えよ」すました顔で言われて「まいった!」と思ったそうです。嘘は絶対つけなかったそうです。

196?年

中国の文化大革命時(武道などが推奨されていた)に武道を広め  るために上海に渡る。
井上道主にて伝授されていた指圧を職業にしながら、武道を教え  始める。当時の弟子には後に上海警察署の幹部や有力者となる方も多く、かなり厚い待遇をされていたようです。

〜 エピソード4 〜
指圧(気功整体)も中国に渡る時に、此を生活の糧にと、教えて頂いき、井上先生の体をずっと揉まされていたそうです。
夜中までかかることもあり、井上先生が寝たかなと思って持ち場を離れようとすると、「これっ!」と言われて足で小突かれるそうです。
このようにして教わった指圧は、亡くなる1週間位前までされていました。


最初は中国行きを反対していた井上道主の許しを得て、中国に向かうことになったが、政治的な問題で20年近く日本に戻れず、羅先生本人も「軽々しく行かなければよかった。。。」井上道主も「あの時断固反対していればよかった」と後悔したそうです。

 
198?年

日本に帰国後、再び井上先生の下(新宿道場)で稽古を始める。


1991年

親英体道立川道場開設


2006年3月13日
永眠