1999.08.14(Sat.)〜15(Sun.)
稲毛5:38−(快速・580F)−5:50船橋
船橋5:53−(普通)−6:29柏
柏6:56−(快速〜普通・327M)−8:32水戸
水戸9:25−(普通・329D)−12:36郡山
郡山13:19−(快速・3241M・ばんだい11号)−14:41会津若松
会津若松15:13−(快速・8233レ・SLばんえつ物語号)−18:07五泉
五泉18:26−(普通)−18:34村松
村松18:40−(普通)−18:48五泉
五泉19:13−(普通・2243D)−19:29新津
新津19:32−(普通・460M)−19:59東三条
東三条20:04−(特急・3016M・みのり6号)−21:11直江津
直江津21:39−(普通・354M)−23:13長野
長野23:55−(急行・4802M・ちくま)−6:52京都
京都7:15−(普通・607M)−8:22奈良
近鉄奈良9:15−(特急・3916)−9:48近鉄難波
南海難波10:10−(特急・0603・サザン3号)−11:11和歌山港
和歌山港11:25〜(南海フェリー4便)〜13:20徳島港
徳島港13:20=(徳島市営バス)=13:43徳島
徳島13:48−(普通・455D)−14:57穴吹
穴吹15:38−(普通・457D)−16:24佃
佃16:25−(普通・264D)−17:43多度津
多度津17:45−(普通・159M)−18:21観音寺
観音寺18:35−(普通・1149M)−19:12伊予寒川

 カミさんと娘は先に帰してあったので、一人でのんびりと、主に青春18きっぷを使って帰省することにしました。
 この機会に色々計画していたのですが、8.13(Fri.)に計画されていたRing Server Projectのミーティングが中止になったこともあり、飯田線乗車プランは取りやめ、蒲原鉄道と越後線・弥彦線・飯山線を回るプランは”ムーンライトえちご”の指定券も西武の新潟行夜行バスも結局取れないままだったのでこれもだめ、それではと、四国に渡ってから長浜大橋の開閉を見に行こうと思い、14日夜の京都発”ムーンライト松山”の指定券のみを確保して、さて、念のため長浜町役場に電話したら、「長浜大橋は修復中なので現在開閉していません」とのお答え。それでは松山まで行って、道後温泉にでも浸かってくるか、と思ったのですが、出発前日の昼休みになって、”SLばんえつ物語号”の指定券が入手できたので、結局上のような旅程になった次第です。ちなみに、私一人で行動する場合は、核になる列車(この場合は”SLばんえつ物語号”)を軸に大体の計画を決めておいて、後はその場で適当にプランを組み替えたりしています。
 さて、前日来の局所的な集中豪雨でところどころで大雨洪水警報が出ている中を出発、乗ったことがないので乗ってみた東武野田線は、単線でローカルムードの漂う都市近郊私鉄でしたが、それでも鎌ヶ谷付近では高架複線化工事が行われていたり、あと、北総開発鉄道・新京成電鉄との乗換駅にある新鎌ヶ谷駅の開設工事(ホームはほぼできあがっていました)が、進んでいたりと、徐々に変わりつつあるようです。
(1999.09.12追記)東武鉄道が1999.09.06に出したプレスリリースによれば、東武野田線で1999.11.25に、鎌ヶ谷−六実間に新鎌ヶ谷駅開業、鎌ヶ谷−馬込沢間複線化、鎌ヶ谷駅付近の高架線切り替え等にともない、ダイヤ改正が実施されるとのことです。これで、東武野田線の船橋−柏間の複線区間は、船橋−鎌ヶ谷(現在は馬込沢)、新鎌ヶ谷−六実(この区間は、新鎌ヶ谷駅開業と同時に複線化するということでしょう)、逆井−柏ということになります。上の記載の単線というのは、厳密に言うと”一部区間が単線”ということですね。ちなみに、東武野田線は春日部−運河間を除いた残りの区間に残存する単線区間を全て複線化する方針のようです。
 柏では6:31発の325Mにタッチの差で間に合わず、後続の327Mで水戸へ向かいます。柏では降っていなかった雨がところどころで強く降る中を水戸へ到着、水郡線ホームへ急ぎます。1999.08.07(Sat.)と同様に4両編成のディーゼルカーが停車していましたが、予想通り乗客もかなりの人数が待っていて、発車30分前にはほぼ満席となってしまい、かなりの立ち客も出て、やはり早起きして水戸へ出たのは正解でした。
 水戸を出て那珂川を渡る際、「どこかで見た景色だな」と思ったのですが、これ、昨年夏の集中豪雨の際の某国営放送の中継地(水府橋)でした。1999.08.07(Sat.)に来たときには気づかなかったのですが。その後水郡線が寄り添う久慈川もかなり増水していましたが、それでも河原にテントを張ってキャンプしているグループがあちこちに見かけられて、「危ないなあ」と思っていました。翌日、神奈川の玄倉川の大惨事を知りましたが、なんと言いますかねえ。
 列車は上菅谷を出ると徐々に乗客を降ろしつつ、常陸大子で後ろ2両を切り離し郡山へ向かいましたが、結局一番空いたときでも座席の7割程度はふさがっていました。何故か複線区間に入った東北本線の安積永盛で、交換待ちのため4分遅れ、実際の郡山到着は12:40くらいでした。
 郡山からは快速ばんだい11号に乗り換え、雨の中会津若松を目指します。元・スイッチバックだった中山宿の草むして駅名標も外された旧ホームを左下に見たあと、スキー場のコースが傷跡のように見える、頂上が雲に隠れた磐梯山を右手に、猪苗代湖を左手に眺めているうちに雨もあがり、会津若松に到着。右側のホームには会津鉄道のディーゼルカーが、さらにその向こうの側線にはこれから乗車する”SLばんえつ物語号”が停まっていました。
 会津若松で念のためと思い、今夜の急行”ちくま”の指定券をチェックしてもらうと、かなり空いていたので窓側の座席で発券してもらって”ムーンライト松山”の指定券をこちらに変更し、1番線に回送されてきた”SLばんえつ物語号”の写真を撮り、缶ビールを買い込んで車内に戻ります。
 客車は12系6両編成ですが、イメージに合わせたのか塗り直されていました。私が指定券を買ったとき、すでに喫煙車の1号車(ちなみにオハ12 313)しか空いていなかったのですが、車内は母親と子供、といった感じの組み合わせが多く、あんまり煙草を吸う人もいないようです。私のボックスも、やはり母親と小学校低学年くらいの子供の2人連れでした。また、窓側の座席を確保していたのですが、ありがたいことにこれが進行方向に向いた、左側の座席(ちなみに14A)でした。
 ところが発車時間になってもなかなか発車しません。どころか、客車の照明も冷房も入らず、暑くてしょうがないので窓を開けて発車を待ちます。係員が走り回るのをぼんやり見ているうちに、どうにか照明はついて、約12分遅れで発車。すぐに、「冷房装置が故障したので窓を開けて下さい」という放送が流れました。しばらく走ると冷房も直り、やれやれ一安心です。ここで乗車証明書が配られました。
 喜多方までは会津盆地を走るのですが、そこら中の道ばたや、通過する無人駅のホームには人が一杯でした。まあ、人が多いのは首都圏から近いとか、お盆だから、とか理由があるのでしょうが、どうみても近くに住んでいるおじいさん、おばあさんや、子供を連れた妊婦やらが主力で、カメラ片手に手を振っているのは驚きでした。
 驚いたことに喜多方で降りる客も出て、ここから山越えにかかります。さらに、山越えが終わり阿賀野川が近づいてくる山都でもまた降車客が出て、ここからはほぼ阿賀野川に沿って走ります。そして、野沢ではかなりの降車客が出て、車内は6割程度の乗車率となりました。喜多方で降りた人は会津盆地だけの乗車、野沢で降りた人は福島県内のみの乗車、ということなのでしょう。私の前の親子連れも野沢で降りていきました。野沢では10分の停車時間を切り詰めて、遅れは4分までに回復しました。
 野沢を過ぎると「6号車の乗客の方はご希望があれば他の車両にお移り下さい」との車内放送が流れ(あとで車掌さんに聞いたところ、「6号車だけ冷房が直らなかった」のだそうです)、日出谷に停車後津川到着。機関車への給水もあり、遅れを差し引いても10分以上停車するのでホームは黒山の人だかり、私は駅前へ出てみましたが、特にどうということもなく、駅舎に描かれた”狐の嫁入り行列”の絵を見てから車内に戻りました。
 だんだんと周囲も開けてきて、阿賀野川が遠ざかったところで五泉到着。このまま新津まで乗っていけばいいようなものですが、廃止の噂の出ている蒲原鉄道に乗車することにし、”SLばんえつ物語号”とはここでお別れです。なお、こちらに、、一部重複はありますが、”SLばんえつ物語号”関係の画像をまとめておきました(少々重いかも、興味のある方のみどうぞ)。
 線路上の通路を横切ると蒲原鉄道のホームで、しばらく待っているとぱらぱらと降りだした雨の中を単行の電車がやってきました。
 電車は発車すると、水田の中を今にも停まりそうに、そして結構揺れながら走り出し、自動車教習所の裏庭みたいな今泉駅で停車し、終点の村松へ向かいます。すっかり暗くなってから五泉へ戻ると、蒲原鉄道の電車が五泉駅に近づいたタイミングで磐越西線のディーゼルカーが五泉駅を発車していきました。驚いたことに、蒲原鉄道の五泉駅は、JRとは別にちゃんとした駅舎が建っていました。ただ、駅舎内には「地元自治体との調整がつかず、廃止を延期しました。今後も交渉を続けます」という、もう廃止寸前ですよ、という色あせた貼り紙がありました。何にしても、廃止が近い線区に夕方出かけるもんじゃあありませんね(1999.09.19追記1999.10.03の営業をもって鉄道線廃止、翌1999.10.04からはバス転換が決定しました)。よりいっそうわびしさがつのりました。こちらに、一部重複はありますが、蒲原鉄道関係の画像をまとめておきました(少々重いかも、興味のある方のみどうぞ)。
 五泉で新津行きのディーゼルカーを待っていると花火の音が。阿賀野川で花火大会が行われていたらしく、北五泉を過ぎたあたりの車窓や新関の駅から花火を見物することができました。その後、信越線でも花火を見ましたので、この日はあんまり天気はよくなかったにしろ、花火大会が多かったようです。
 新津ではすでに駅弁が売り切れており、空腹を抱えたまま460Mへ。さらに車内で特急券と乗車券を買って東三条でみのり6号に乗り継いで直江津へ。ここで、中央線の高尾−大月間や高崎線、東北線、吾妻線などが雨で運転停止していたことを知りました。だんだん雨足が強くなっており、直江津駅前は大雨でした。ちょっと駅前を歩きましたがコンビニエンスストアの類は見あたらず、結局駅のキオスクで明治饅頭とかいう饅頭を買い込み、空腹を押さえつつ長野へ。長野も大雨でしたが、駅前にセブンイレブンを見つけて、やれやれというところでした。
 ところで、中央線が高尾−大月間で運休しているため、長野発の急行”アルプス”は松本で運転打ち切りとなっており、私が乗車した急行”ちくま”も、大雨の影響で遅れた長野新幹線の接続を待ち16分遅れの00:11発、さらに篠ノ井で、やはり遅れていたしなの鉄道からの接続を待って17分遅れの00:28の発車となりました。ちなみに、自由席はかなり乗車していたようでしたが、指定席はまずまず空いていて、私の隣はありがたいことにずっと空いたままでした。
 途中、通路をはさんで隣の山屋さんらしい客のめざまし時計で起こされたりましたが(別に降りるとかいうわけではなかったようで、あわてて止めていたが止められず、バッグを持ってデッキへ出て行きました)、まずまずよく眠ることができました。”ちくま”を京都で降り、いったん改札を出ると小浜線が大雨で運休していたのに少々驚きました。実は、新潟から急行”きたぐに”で敦賀へ出て、小浜線に乗ることも考えていたのです。これは、”きたぐに”は北陸から関西空港へ出る人がシーズンにはかなり乗車するという話をどこかで読んでいたので取りやめたまでですが、まあ正解でしたね。
 京都から奈良へ行く途中では雨足も一時強まりましたが、奈良ではほぼ雨もあがっていたのでJRの奈良から近鉄奈良へ歩き、ついでに奈良公園へ足を伸ばすと、やはり鹿がいたので、ちょっと安心して近鉄奈良へ戻り、特急に乗り込みます。平城宮跡を通り、大和西大寺へ。実はここから布施までの区間に乗車したことがなかったのですが、意外にスピード感があって面白かったです。また、前後して快速急行や急行が走っているのに、大和西大寺・学園前・生駒からかなり乗客があったのにも驚きました。ちなみに、近鉄生駒線も大雨のため一部区間が不通、バス代行となっていました。
 近鉄難波から南海難波まで、思っていた以上に歩かされましたが、徳島までのフェリー乗車券つき乗車券と指定券を買って特急”サザン3号”に乗り込みます。自由席は無料なのですが、まあゆっくりと座ろうということです。
 和歌山港で南海フェリーに乗り継ぎ、とりあえずは甲板から和歌山港駅に停車中の”サザン3号”を眺めつつ出航後、船室へ。この日はトラックが乗船しておらず、おかげでドライバーズルームを占領して、かつ、奥のシャワーも浴びることができ、ずいぶんすっきりしました。再度甲板に出てみると沼島の向こうに淡路島が見えました。
 さて、徳島港到着後バスへ急ぐと、私の見間違えかも知れませんが、時刻表上のフェリー到着時刻とバス停に記載されていたバスの発時刻が同じでした。まあ、フェリーは少し早めにつきましたし、バスはしばらく発車を待っていましたから問題ないのでしょうが。この日は阿波踊りの最終日だったのですが、私はフェリーから下りたときに気がつくテイタラクでした。
 徳島でウロウロしているのも何なので、ちょうど発車を待っていた穴吹行きの列車で先行しましたが、やはり穴吹に何があるわけでもなく、駅前からすぐ近くの吉野川を眺めたりして時間をつぶし、後続の阿波池田行きに乗車し、佃で向かいのホームの高松行きに乗り換えました。予想に反し4両もの長大編成(笑)でしたが、吉野川を渡るとほぼ90度西へ向かうと、あえぎながら坂を上る車内から、先程渡ったばかりの吉野川の橋梁がよく見えました。
 この264D、えらく待ち合わせの多い列車で、箸蔵で交換待ち7分、坪尻で交換待ち10分、善通寺で交換と追い抜きのため8分の停車時間があります。佃−多度津間の38.8km、途中8駅を峠越えがあるにしても1時間18分かけて走るという代物ですが、おかげでスイッチバックの坪尻駅に降りて、南風11号との列車交換を撮影できました。この山の中でDoCoMoの携帯のアンテナが3本立っていたのは驚きでした。ここで誰が使うんだ、一体。
 多度津、観音寺と乗り継ぎ、伊予寒川(いよさんがわ)へ。父親が駅前に車で迎えに来てくれていました。この鉄道旅行の感想は、「ま、これぐらい乗ったら乗った気がするなあ」というものでしたが、カミさんにはあきれられました(^^;
総目次 1999年の鉄道旅行
最近の鉄道旅行へ