1999.08.07(Sat.)
千葉4:53−(普通・423M)−5:53佐原
佐原6:29−(普通・521M)−6:52鹿島神宮
鹿島神宮6:54−(普通・122D)−8:12水戸
水戸8:21−(普通・525D)−8:53常陸太田
常北太田9:17−(普通)−10:02鮎川
鮎川10:13−(普通)−10:25大甕
大甕10:34−(普通・632M)−10:49勝田
勝田11:14−(普通)−11:40阿字ヶ浦
阿字ヶ浦11:57−(普通)−12:24勝田
勝田12:29−(普通・392M)−12:35水戸
水戸13:14−(普通・151D)−13:58新鉾田
鉾田14:40−(普通)−15:32石岡
石岡15:55−(普通・646M)−16:11土浦
土浦17:25−(普通・1436M)−17:43佐貫
佐貫18:05−(普通)−18:13竜ヶ崎
竜ヶ崎18:17−(普通)−18:25佐貫
佐貫18:39−(普通・1444M)−18:58柏

 日帰り乗りつぶしツアー第二弾です。
 前日飲み過ぎて早起きはつらかったのですが、どうにかこうにか起き出して、今回もコンサドーレサポーターに留守番をお願いして(^^;、二日酔いの頭を抱えつつ出発となりました。
 鹿島線で鹿島神宮を目指すには、成田−香取間のどこで乗り継いでもよかったのですが、なんとなく佐原まで。成田を過ぎると途中駅ではミンミンゼミの声が車内にまで聞こえたりしましたが、こちらは酔眼朦朧、沿線の”イタコ自販”という看板を見て、一瞬、「そういやお盆も近いなあ」などと考えてしまいました。佐原は蒸気機関車の匂いがこびりついたような駅で、駅構内も駅前も、なんとはなく昭和40年代のような感じがしました。駅構内と駅前はこちらに、まとめておきました(ただし、画像が貼りついていて重いです。興味のある方のみどうぞ)。
 佐原で後続の521Mに乗り継ぐと、電車は香取から鹿島線に入ります。すぐに長い鉄橋で利根川を渡り、これで千葉県から茨城県に入った、と思っていたら、実はまだ千葉県でした(^^;。十二橋を出て常陸利根川を渡って茨城県です。
 鹿島神宮で向かいのホームに停まっていた鹿島臨海鉄道のディーゼルカーに乗り込むとすぐに発車、次の鹿島サッカースタジアムまでは相変わらずJR鹿島線なのですが、走る旅客列車は鹿島臨海鉄道のみ、という区間です。車内精算した乗車券も、鹿島サッカースタジアム→水戸、となっていました。
 鹿島サッカースタジアムの手前には、その名の通り鹿島のホームスタジアムが見えました。改築中だからでしょう、クレーンがまだ見えました。しばらくはゆっくりと走っていた列車も徐々にスピードを上げますが、海は見えそうで見えません。結局、海が見えたのは大洗近くの一部区間だけでした。
 水戸で水郡線に乗り継いで、常陸太田へ。この線に乗車したのはえらく昔だったなあと思い、帰ってから確認すると1984.03.24でしたから、15年前になりますね。常陸太田駅の前の国道を挟んだ向かい側に日立電鉄の常北太田駅があり、乗り継ぎは簡単です。
 常北太田駅に停車していた日立電鉄の車両はどうも営団地下鉄のお古を京王重機で改造して持ち込んだもののようですが、なんかうす汚れていて、窓もきれいとはいいがたい代物でしたが、これがなんと冷房なし!本来はワンマンカーのようなのですが、乗り込んでいた車掌が窓を開けて回っていました。
 1両の電車はしばらく田園地帯を走った後、常磐線の下をくぐって海側へ出ますが、あんまり海は見えず、それでも住宅は増えてきて、再度常磐線の山側に出て、常磐線との接続駅の大甕(おおみか)で10分くらい停車した後、終点の鮎川を目指します。また常磐線の海側に出て、相変わらず住宅がそこそこにある中を進みますが、河原子のあたりでは遠くに太平洋が光っていました。住宅街を離れると今度は工場街で、終点一つ手前の桜川の山側には、日立製作所の多賀国分工場というのがあるようです。その桜川で私を除いた乗客が全員降りてしまい、カラになった電車はまたいつの間にか常磐線に近づいて、その線路の横にちょこんとある、鮎川駅に到着しました。ところが、ここで発売されていないと思っていた1日乗車券が販売されていたのに気づきました。あったのなら常北太田で買っておけばよかった、と思いましたが、後の祭りという奴です。
 鮎川から大甕へ戻り、常磐線に乗り換えて勝田へ向かいましたが、冷房のありがたみをしみじみと感じました。
 勝田で今度はその存在を知っていた茨城交通の1日乗車券を探したのですが、今は発売しない期間、ということであてが外れてしまいました。察するに、夏休みは海水浴客が乗車するから、安い切符は発売しないで増収に励もうということなのでしょう。
 やってきた茨城交通のディーゼルカーは2両編成で、1両はわりと真新しい冷房車だったのですが、ロングシートだったので、もう1両の古びた非冷房車に、物好きにも乗車してしまいました。
 発車して2駅目の金上までと那珂湊の周辺こそ市街地ですが、その他は田園地帯で、途中の中根ではホームと道(それこそ田んぼのあぜ道)の区別が付かなかったりする部分もありました。全体にゆっくりのんびり走り、また、乗っていた車両のせいもあり、一昔前の国鉄ローカル線に乗車したような感じでした。国鉄といえば、那珂湊ですれ違ったやはり2両編成のディーゼルカーの1両は、昔なつかしい国鉄色でした。
 終点の阿字ヶ浦は海水浴場が近いせいでしょうか、駅前に民宿の客引きのおじさんやナンパ目的(?)のお兄さん方がいて、あんまり雰囲気はよくなかったです。少ない海水浴客がいなくなると、駅前にたむろしていた人々も散ってしまい、閑散とした駅とディーゼルカーのみが取り残されました。その阿字ヶ浦では、なんと創立30周年の記念乗車券がまだ販売されていたので思わず買ってしまいましたが、この発行が1974年!。古いと言えば途中の那珂湊にはこれまた味のある機関庫があり、ディーゼルカーなどが昼寝していました。こちらに、一部重複はありますが、古い車両をまとめておきました(少々重いかも、興味のある方のみどうぞ)。
 勝田へ戻り、水戸からまたまた鹿島臨海鉄道に乗り継いで新鉾田へ。ここからバスで鹿島鉄道の鉾田駅へ出ようとしたら、鉾田駅行きのバスは1日5本しかなく、歩く根性もなかったのでタクシーのお世話になりました。基本料金でタクシーは鉾田駅に到着しましたが、この鉾田駅がまた昭和30年代か40年代か、という駅で、そこだけ時間が止まっているかのようでした。
 やってきたディーゼルカーは1両で、これまた骨董品でしたが、それでも冷房化改造されていました。路盤の状態が悪いのか、結構揺れながら走ります。途中の榎本には、最近の私鉄には珍しく、貨物列車も止まっていました。玉造町のあたりから霞ヶ浦が見えてきて、その向こうに筑波山を望みつつ、しばらく霞ヶ浦に沿って走ります。桃浦付近で霞ヶ浦から離れ、だんだん乗客も増えて石岡に到着。鹿島鉄道には、茨城交通とは違い、新車もかなり入っていましたが、それでも古い車両もかなり残っているようでした。こちらに新旧取り混ぜてまとめてあります(少々重いかも、興味のある方のみどうぞ)。
 あとは関東鉄道竜ヶ崎線を目指すのみですが、その前に土浦で途中下車して霞ヶ浦の遊覧船に乗ることにして、時刻表にも掲載されていた、16:30の便を目指したのですが、なんと乗船券売場には「本日の運航は終了しました」の文字が。しかたなく、こちらは時刻表にはない、ジェットフォイルに乗船することにしました。
 まあ、これはこれで乗ったことがない乗り物だからいいのですが、走り出すと猛烈に水が飛ぶため、水よけが多少あるとはいえ、後部デッキにはとてもいられません。茨城県南部の上水道の水源とはいっても、水をかぶりたくはないので、やむを得ず船室からの観光となりましたが、予科連の沖を通ったり、牛久大仏をはるかに望むことができたり、また少し霞がかかってきた筑波山もよく見えました。土浦港に戻ってきたら、最初に乗るつもりだった船(ホワイトアイリス号)が停泊していました。40分コース1,000円ということだったのですが、実際は30分くらいだったでしょうか。個人的には、ジェットフォイルはその速度を生かしてより沖まで出ますが、走行中も甲板に出ることのできる遊覧船(こちらは1,050円)の方が好みです。ただ、ジェットフォイルは6月のみは、土浦−水郷間を運航するそうですので(運賃2,000円)、これなら水郷観光と組み合わせれば面白いかもしれません。
 関東鉄道竜ヶ崎線は全線単線、ディーゼルカーが4.5kmの間を行ったり来たりしているだけです。乗ったディーゼルカーはまたまた1両でしたが、冷房付きのかなり新しい車両でした。まあ、都市近郊の路線という感じでした。
 それよりも、佐貫駅の横に、旧型客車を改造した”ピアット佐貫”という喫茶店があり、こちらの正体が気になりましたが、帰って調べてみると、元は新潟鉄工所で1952年に製造された”オハフ45 2016”だったようです。食事がてら中を見ようと思ったのですが、残念ながらもう”準備中”の札が下がって、本日の営業は終了していました。
 それにしても、1日中骨董品を見て回った旅でした。
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