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夜のカーニバル(3)

★ 猛獣使い

 話をしているうちに、またあかりが暗くなってきました。たいこが低く、ドムドムドムドム…と鳴りはじめます。幕のむこうで、ピシッとムチの音がひびきます。それにこたえるように「グゥゥアァーォォウー」とほえる声が、テントじゅうをビリビリいわせました。

「キャー」

 女の子たちが悲鳴をあげます。そうです。ライオンです。百獣の王、ライオンの登場です。

 はじめに男の人が姿を現わしました。ゾウと同じ動物使いなのですが、今度の人はあの優しそうな女の子とは打って変わった、きりっと強い目を持った男の人です。動物使いではなく、猛獣使いなのです。黒いシルクハットをかぶって、黒いマントをはおり、マントの下にはきらきら光る青い服を着ています。続いて見事なたてがみの雄ライオンが一頭と、たてがみのない雌ライオンが三頭出てきました。

 男の人がむちをピシッと強く鳴らすと、ライオンはグワオーッと吼え猛ります。言うことを聞かされるのを怒っているようです。ライオンたちは喜こんで言うことを聞いて芸をしているのではありません。むりやり命令されるのを、とてもいやがっているのです。ライオンたちは、猛獣使いに隙があれば、いつでもやっつけてしまおうと考えているのです。

 ピシッとムチが鳴ります。ライオンたちは、木でできた台の上に乗りました。何頭かは台の上で不機嫌そうに体の向きを変えます。雄ライオンはじっと動かず、猛獣使いをにらみつけています。

 ライオンたちの前に大きな輪をつけた台が据え付けられました。猛獣使いは、一頭の雌ライオンを指し、ムチを鳴らしました。その雌ライオンは、のどの奥で「グルル...」とうなりながら台をおりました。猛獣使いはムチを鳴らし、ムチで輪をつけた台を指しました。雌ライオンは猛獣使いから目を離さないまま、低いうなり声をあげています。

「ピシーーーッ」

 猛獣使いは強くムチを鳴らしました。雌ライオンは一瞬びくっとしたようですが、うなり声は続けています。猛獣使いの男の人も、雌ライオンから目を離さず、

「それっ」

 と厳しい声をかけ、ムチで台を指しました。雌ライオンは、ひときわ大きくうなったかと思うと、ダッと走り出しました。

「ああっ!」
「たいへん!」

 こどもたちは悲鳴をあげました。怒ったライオンが、猛獣使いの男の人にとびかかったと思ったのです。でもライオンは猛獣使いの方ではなく、輪をつけた台の方に向かっていき、地面をバッと蹴って見事に輪のあいだをくぐりぬけました。猛獣使いがつづけざまに強くムチを鳴らすと、残りの2匹の雌ライオンも、乗っていた台から飛び降りて、つぎつぎに輪のあいだをとびぬけていきます。そしてそのままグルリとまわって、元の場所に戻ってきました。
そして猛獣使いが頭のうえに輪を描くようにムチを鳴らすと、またさっきまで乗っていた台に飛びのりました。

 猛獣使いは満足したようで、雌ライオンたちに向かって何か声をかけました。雌ライオンたち、相変わらず不機嫌そうに、猛獣使いを睨みつけながら低くうなっています。しかし猛獣使いは気にもせず、雄ライオンの方をムチで指します。
雄ライオンは低い声でうなり声をあげました。とても不愉快そうです。猛獣使いはもう一度、ムチで雄ライオンを指しました。雄ライオンは猛獣使いを睨みつけ、動こうともせず、再び威嚇するようなうなり声をあげます。

 猛獣使いは雄ライオンに何か尋ねるように、ひょいとムチを肩に担ぎました。雄ライオンは一度あごを引くような仕草を見せ、次の瞬間、口を大きく開けて轟くような声で吼えました。テント中がびりびりと震えるような吼え声です。ざわざわしていた子供たちはしんとしていました。ひょっとしたら、息もしていません。こそりとも音がしなくなりました。

 まだテントの中を声のこだまが響いているうちに、ライオンはぐいと立ちあがりました。子供たちは、声も出さずにあっとどよめきました。音のない、気持ちの波だけが、テントの中でうねります。雄ライオンはそのまま無造作に、猛獣使いに近づいて行きます。猛獣使いは恐れる様子も見せず、頭上に高くムチをかかげました。振り下ろす手も見せず、雄ライオンの右側にムチがきびしい音を立てました。

 雄ライオンは歩みを止めました。ハッと思う間もなく、今度は左側にムチが振り下ろされます。雄ライオンは近づくことをこそ止めましたが、ムチを恐れている風でもありません。堂々として、がっしりと地面に立ちはだかっています。もし、ムチが少しでも触れるようなことがあれば、猛獣使いをずたずたにするつもりでいるようです。そのとき、舞台に鮮やかな赤色が現れました。真紅の衣装を着けたおねえさんが、松明を持って踊るように回りながら現れたのです。

 お姉さんが持つ燃えさかる松明を見て、雌ライオンたちは少したじろいだようです。台の上で少し身を動かして、低く唸り声をあげました。雄ライオンと猛獣使いは少しも動じません。お姉さんはそのまま軽やかに舞台を横切って、先ほど雌ライオンたちが飛んでくぐった輪のほうに行き、松明を輪に近づけました。すると、すぐに輪が燃え上がりました。雌ライオンたちはこれからやらされることがわかっているからなのか、それぞれに不満そうに吼えています。猛獣使いはそれを気にした様子もなく、ライオンたちに近づいていきます。あっ、あぶない! 近づきすぎたら、ライオンのするどい爪で引き裂かれてしまいます!

 猛獣使いはさっきと同じように、ムチで輪を指します。雌ライオンたちは不満そうに吼え声をあげています。猛獣使いはまた強くムチを鳴らし、強くきびしい声をかけました。

「それっ」

 そのとたん、雌ライオンたちはさっきと同じように輪に向かって走り出しました。でも、今度はその輪に火がついているのです。はっとした次の瞬間には、雌ライオンたちは火のついた輪をくぐり抜け、もといた台の上に戻りました。猛獣使いは今度はシルクハットの下のきびしい目を雄ライオンに向けました。

「あのライオンも飛ぶのかな」
「さっきは飛ばなかったじゃん。あれはムリだろ」

 子供たちもざわめいています。雄ライオンは雌ライオンのように抗議の声は上げず、うなり声もあげずにゆっくりと猛獣使いのほうに近づいていきます。子供たちは怖くて、でも目が離せないこの勝負にすっかり見とれてしまっています。猛獣使いまであと一跳びの距離で止まり、雄ライオンはもう一度、テント中を揺るがすような吼え声をあげました。おなかの下から響いてくるようなものすごい声です。みんなは悲鳴をあげました。その声を気にもせずに、猛獣使いは雄ライオンに燃えさかる火の輪を示しました。ムチは鳴らしません。

 雄ライオンは突然走り出し、勢いをためて大きな身体をいっぱいに伸ばしました。調教師の倍ほどにも見える体は宙に舞い上がり、調教師の方にではなく火の輪の方に飛びます。その大きな身体は火の輪に触れもせず、魔法のように通り抜けます。二つ目、三つ目もあざやかにくぐり抜けました。子供たちはいっせいにほうっと息を吐きましたが、それは火の輪をくぐったライオンがすごかったからというより、調教師がライオンに襲いかかられなかったので安心して出たため息でした。

 あのライオンは本気になれば調教師なんてあっという間にバリバリと食べてしまうだろう。そうしたら次はぼくたちだ。テントの中の空気はライオンが大きな声で空気を震わせるたびにどんどんピリピリしてきています。調教師はまったく油断することなくライオンを睨みつけています。ライオンもけっして調教師から目を離しません。これは真剣勝負です。油断した方が負けてしまうのです。

 そのとき、いおりはとんでもないことに気がつきました。ライオンのたてがみに火がついているのです。今はまだちょろちょろと燃えているだけですが、放っておいたら大変なことになってしまうでしょう。いおりが叫ぼうとしたとたん、猛獣使いのムチがうなりました。

「あっ!」

 いおりは叫びましたが、今度は猛獣使いのムチは雄ライオンに当たりました。いおりが火がついているのに気づいたたてがみのあたりに当たったのです。子供たちは悲鳴をあげましたが、いおりはそのムチがついていた火をはじき飛ばしてしまったことに気がつきました。体には当たらず、火のついていたところだけを見事にはじいてしまったのです。

 ムチが雄ライオンに振り下ろされたので、子供たちは悲鳴を上げました。しかし雄ライオンはムチを受けても身じろぎもせず、猛獣使いを堂々と見据えたままです。猛獣使いも雄ライオンの目をにらみ返しています。どちらも一歩も引きません。

 やがて猛獣使いはムチを持っていないほうの手で、静かに幕を指し示しました。雄ライオンはあわてる風でもなく、堂々とそちらに向かって歩き出します。雌ライオンたちがそれに続いて台をおり、後ろに続いて出て行きます。ライオンたちが幕の中にすべて入るのを見とどけて、猛獣使いは客席に向かってふかい、深いおじぎをしました。子供たちは夢中で手をたたきました。

 いっしょに拍手をしながら、いおりは猛獣使いのムチがしたことを思いました。猛獣使いはたたくためでなく、助けるためにムチを使ったのです。ライオンはムチを受けても怒ったり、驚いたりしませんでした。

仲が悪いように見えるけれど、ライオンと猛獣使いはとても相手を信頼しているんだ。相手がたたいても、それがいじわるでやってるんじゃないとわかっているほどに。

 いおりは雄ライオンと猛獣使いがただこわいだけではないと思います。いおりは二人が好きになったような気がしました。

 ライオンと猛獣使いの息づまるような戦いに、みんなかなり興奮しています。雄ライオンの声をまねしている子もいます。気が付くと、またゆっくりとあたりが暗くなってきています。暗くなるにつれて、子供たちの声がしぜんに小さくなっていきます。そして唐突に真ん中の舞台にまぶしいライトがあたりました。その中には3人の男たちがいます。顔はまっしろで人形のよう。まくり上げたシャツに吊りズボン。ひとりの服はいびつに型押しをされたように、背中がへんな形になっています。ピエロたちです。

続きます...

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