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野原の情景

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私は樹上から、その野原を見渡した。この木はかなり高いのだが、今は下から数えて二番目の枝に、葉の間に黄色い身体を見え隠れさせながら私はいる。

ここが、この野原と近くの川、その周辺の樹々の上が私の現在の生活の場なのだ。 私は雌のカナリヤで、すでに二羽の子を巣立たせた後である。もう私を縛るものはない。

野原に食料は豊富だ。赤い頭に緑色の胴で這回る芋虫や、ほとんど眼で占められた頭をぐりぐり動かしながら跳ねる飛び虫。まずいが動きが鈍くてすぐ捕まるバッタなど、その気になればいつでも食べられる。

もっとも近頃では、それらの虫たちが申し合わせて、私の姿を見ると一斉に動き出してみたり、土を盛ってその陰に隠れようとしたりと、彼らなりの知恵を絞っているようなのだが、私の捕食行為には何の影響も出ていない。

私を悩ませるものは、ここに住み着いている一匹の真っ黒な犬だけだ。奴はどこにひそんでいるんだか、いつも私は不意打ちを喰らう。

食うつもりはないらしい。ただただ痛めつけたいらしい。冗談じゃない、昨日なんか奴のせいで尾羽が二本も傷ついてしまった。

いつか奴が川にはまり、溺れて苦しんでいるのを見届けてやる。きっと。

この野原のこと。ここには変な常連が多い。たとえば<コレクター>。私がそう名付けたのだが。

彼は気が付くとここにいる。草っ原の中にうずくまってじっとしている。すぐ帰ってしまう時もある。日が暮れてもまだ居ることもある。いつも変わらないのは、彼が何かしらをそっとポケットに忍ばせて帰っていくことだ。「ホオウ。」というタメ息とともに。

ある時は芋虫のカラカラになった死骸だったり、枯れた花だったり、誰かが捨てていった古靴のヒモだったりもする。

彼が何を探しているのか、どんな基準でものを集めているのか、私は解らないし、別に知りたいとも思わない。私にとっての彼は只、風景に過ぎないのだから。もっとも、彼が私の存在に気がついているかというと、まず目に入っていないんだろうと思う。

私が興味を持っている人間に、<博士>と<博士の助手>がいる。

彼らは川の水を汲んで、試験管で持ち帰る。地面に杭を打ち、ロープを張って、中の土を掘り返す。川辺の石をトンカチで砕いてかけらを拾う。木に傘を逆さに開いて引っかけ、幹を蹴飛ばして落ちてくるものを全部、採集箱の中に放り込む。等々、実にいろんなことを連日やって見せてくれる。

<博士>はかなりの老人で、<助手>に言わせると不世出の生物学者であり、彼の人生の師だそうである。

<助手>は赤味がかった頬をした小男で、鼻筋が通り、なかなか意志の強そうな若者だ。彼が<博士>を慕い、尊敬する様は並み大抵のものではない。文字通り一挙一動を注視しながら、時おり嘆息などついたりしている。それはほとんど滑稽なくらいだ。

そんな彼に対して<博士>はいつもこう言う。

「私は世界一だと思ったことは一度もない。いつも自信がもてないからだ。」と。

「先生、採取が終わりました。」

「よし、ならば戻ることにしよう。」

そうして彼らはいつも、意気揚々と引き揚げる。私はひどく幸せそうな二人の後ろ姿を、うれしい気持ちで見送る。


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