水燿通信とは |
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295号冬の句を味わう私的な感慨や思い出なども込めて |
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作者の母堂は、さぞかしほっかりとやさしい感じのかわいらしいおばあちゃんなのだろう。まわりの人にこんなふうに愛されるように老いることが出来たらと思う。 |
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私と母の関係は、この句にあるようなものとはまるで違っていた。母と私は考え方、価値観、生きる姿勢、その他何もかもがまるで違っていた。母が老いてからは、私も孝行の真似事のようなことをして母を喜ばせようと努力をしたが、実際は母の話を聞いているとその考え方、感じ方にすぐ苛々してくる私だった。 |
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それなのにどういうことなのだろう、母に死なれて以来、何かにつけて母を思い出してはその度ごとに「もうお母さんは居ないのだ」ということに気づき、大きな喪失感に襲われてしまっている自分がいる。そんな私にとっては、〈冬あたたか〉の穏やかな母子関係はなんともうらやましく、切なくなってしまうのだ。 |
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今から十数年前の冬、友人と鎌倉・江ノ島に一泊旅行した。その2日目、冬とは思えない暖かい日だったが、鎌倉高徳院の阿弥陀如来座像を訪れた。教科書や絵葉書などでよく知られているいわゆる露座の大仏様だが、実際に目にしてみると、その表情のよろしさとそれを引き立てる背後の樹々と空の織りなす美しさには、とても絵葉書などでは味わうことの出来ないすばらしさがあり、新鮮な感動があった。 |
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掲句は鎌倉に住んでいた作者の代表作で、この境内にはこれの句碑がある。それを見るのもこの寺を訪れた目的のひとつだったが、これがなかなか見つからない。境内をあちこち回り、近くのみやげ物店などで訊いても「さあ」と言われるばかり。漸く赤い花を沢山つけた山茶花の木に埋もれて殆ど見えなくなっていたのを探しあてた。書をやっていた友人は、句碑をつくづく眺めながら「一字一字離して誰にでも読める書体で書いてあり、書に関しては素人の手になるものかもしれない、でも句の感じがとてもよく出ていていい字だと思う」と語った。 |
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今でもあの句碑は相変わらず山茶花の木に埋もれているのだろうか、大仏様の背景の樹々はやはり像を引き立てて健在なのだろうかと、時々思い出しては懐かしがっている。(この時のことは132号にまとめてあります) |
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寒卵とは寒中に鶏が産んだ卵で、特に滋養分が多いとされている。その大粒のものなのだ。掌にのせたらさぞかし手応えのある重さが感じられるだろう。それが襤褸の上に置いてあるのだ。この襤褸、歌人の塚本邦雄は「恐らく、洗つて洗つて洗い晒した、それゆゑに繊維もふつふつと毳立つた、純白の襤褸であらう。あつてほしい」と述べている(毎日新聞社刊『秀吟百趣』)。洗い晒した布という点には同感するが、純白という色はどうであろうか。景としてあまりにも決まりすぎてわざとらしくなり、かえって面白みに欠けるような気がする。私は幾度も洗い洗いしてすっかりよれよれになった藍色の田舎風の布が農家のうす暗い玄関あたりに無造作に置いてあり、その上に卵が置かれているという景を想い描いた。 |
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いずれにしても、豪華なものは何もないのに、完璧に決まった一幅の絵ではないか。格調高い作品を多くものした飯田蛇笏の作品の中でも、忘れられない句のひとつである。 |
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寒い夜、仕事で疲れて帰ってきた夫に熱い酒を供しながらふと出た妻の想いであろうか。 |
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女の私が言うのもなんだが、結婚した相手に対して色々不満を言ったりするのは、妻の方が圧倒的に多いのではないだろうか。私はこんなことをしたかった、あんなこともしたかった、でも私には子育てや家事があった、あなたはそういうことをみんな私に任せっきりで協力的でなかった、何かにつけ妻にそう言われても、大抵の夫は自分が妻や子を養うために耐えてきた日々のことや自分が抱いていた夢のことなどには全く触れず、黙って妻の愚痴を聞くだけのような気がする。でも勿論、夫にだって捨てた夢はあるのだ。 |
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静かに酒を飲んでいる夫を見て、妻はそのことにふと気がつき、長年連れ添った夫に対して、心の裡から何かしらあたたかい思いがわいてくるのを感じたのではないだろうか。 |
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人生の哀感をしみじみと感じさせるとても魅かれる句だ。 |
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季語がふたつもある稚拙な句で、しかも作者の名も記されてない、というので“えっ、何これ?”と思った読者もいるのではないだろうか。実はこれは私の母の作品である。 |
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母は50代になって、友だちに誘われ俳句を始めた。あまり熱心ではなく、作品の出来もいつまで経っても俳句というものがわかっていない感じの、いかにも拙いものばかりだった。だがある日、私は母の句帖を見て、母の人生や故郷の風土が強く感じられる作品が意外に多く、下手なりにいいなと思う句がいくつかあることに気づいた。この句はそんな中のひとつで、子ども時代を回想して作ったもの。裸電球の下で兄妹8人、囲炉裏の傍で頭を並べて納豆汁を食べていた情景を、母は老いてからも鮮明に覚えており、「時折り思い出すとただただ懐かしく恋しくてどうしようもなくなる」と語っていた。兄弟姉妹が多くて貧しかったけれど、皆なむつみ合い楽しい子ども時代だったという。 |
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納豆汁は、大根、人参、牛蒡、里芋、芋がら(わが家の納豆汁には必ずこれが入っていた)、こんにゃく、油揚げなどを入れてやわらかく煮、豆腐を加え、最後につぶした納豆と味噌を入れて味付けし、葱、せりなどを散らして食べるもの。身体がとてもあたたまる、栄養満点の冬の田舎料理だ。料理の好きな故郷の友だちの話によると、今でも故郷では冬の代表的な食べ物として愛されており、遠く離れて住む息子や娘が帰郷した折などには、よく供される一品だという。単身赴任している夫のために汁を少なく濃い味付けにした納豆汁を持たせる妻などもいるらしい。薄めて食べると何回か楽しめるというわけだ。材料はそれぞれの家で多少異なり、きのこ類や山菜を入れたりすることもあるようだ。要は、家にあるものは何でも利用することで、つぶした納豆と味噌を入れたら、沸騰直前に火を止めるのがコツの由。最近ではスーパーでつぶした納豆と味噌を混ぜた納豆汁の素と、きのこ、たけのこ、水煮したワラビなどをミックスしたパックが売られており、それに家にあるものをちょっと入れて作ることもでき、“かぁんたんにでぎっずね”(簡単に出来るものね)という人もいるが、友だちは「根菜類のたっぷり入った手作りの納豆汁が何十倍もおいしい」と語っている。(「いろり」の表記は一般的には「囲炉裏」だが、歳時記では「囲炉裡」とするものも多い) |
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◎ | どうぞ皆さま、この1年、健やかに過ごされますように祈っております。 |
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(2012年1月15日発行) |
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発行人 根本啓子 |