水燿通信とは
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132号

荷風・くちなし・鎌倉

 川本三郎著『荷風と東京 「斷腸亭日乗」私註』に次のような一節がある。
 荷風と親交のあった堀口大學の語っているところによると、荷風は女性に封書を出すときには細身の封筒を自らこしらえ、それを使った。さらに海外にいる堀口大學に手紙を書くときは、宛名をやはり手ずからこしらえたインクを使い毛筆で書いた。
 「その赤黒いインクは、くちなしの実をすり潰した汁でつくったものですって。そういうところまで(荷風先生は)風流をお楽しみになるのだね」(関容子『日本の鶯 堀口大學聞書き』かどかわ書店、昭和五十五年)
 「日乗」大正十三年四月二十四日にある「生藥屋にて偶然梔子の實を購得たり」の「梔子」とはこのインクのためだったかと納得する。
 これを読んで、私はくちなしの実で作ったインクがどんな感じの色なのかに興味を覚え、実際に作ってみようと思った。早速、薬局に行ってくちなしの実を求めた。11月末という時期だったこともあり、お店の人にてっきり栗きんとんを作るのだと思われ、「えっ、もうおせち料理ですか?」と驚かれたりした。
 実を細かく砕いて水とともに鍋に入れ煮てみた。たちまち黄色い汁になり、少し経つと色は赤黒くなった。しばらく煮てからガーゼで濾し、冷めたところで筆につけて文字を書き、色の具合をみてみた。インクの色は赤黒いのに、紙に現れた色は意外にも薄い黄色だった。これでは文字を書いても薄くてとても読めない。
 もう1度薬局に行って実を多めに買ってきて前よりもさらに細かく砕き、水の量は極力少なくしてなるべく濃い汁が出来るようにした。だが今度もいくらか黄色が濃くなっただけで、とてもインクとして使えるほど濃いものにはならない。荷風は、どのようにして文字が書けるほど濃い色に仕上げたのだろうか。
 黄色にしか染まらない汁を前にしてがっかりしてしまった私は、そのうち、これを使って私製の便箋を作れないだろうかと思い始めた。そこで罫線のついていない便箋、普通の紙、半紙を半分に切ったものなどさまざまな種類の紙を、線の引いてある下敷きの上に置き、筆やペン先を使って、定規をあてたり手書きで罫線を引いてみた。
 結果はなかなかであった。ペン先を使って手で引いたものが一番気に入った。多少曲がったりぶれたりすることもあるが、それらは瑕瑾というよりは一種の風情のように思えたし、1枚1枚仕上がりの異なるのも面白く感じられた。
 それから数日たった12月はじめ、私は友人と鎌倉、江ノ島に1泊旅行をした。友人は公務員としての仕事を持つ傍ら、詩吟、書、絵をよくする多才な人である。彼女へのお土産に私はこの手製の便箋と、インクとしては薄くても黄色の顔彩の代わりになるのではと思い、濃淡2種類の赤黒い汁を持参した。お金さえ出せばすてきな便箋がいくらでも簡単に手に入る昨今だが、くちなしの実で作った黄の独特の色合いや、手作りの便箋のスマートではないけれどやわらかなあたたかみを友人にも楽しんでもらいたいと思ったのである。
 1日目、私たちは竹の寺として有名な報國寺を訪れたが、そこで彼女は山茶花をデッサンした。宿に着くと夕食まで多少時間があったので、私は早々に、持参した便箋とくちなしの汁を友人に渡して荷風の話などをした。彼女は大変に喜んでくれ、1本1本手ずから罫線を引いたことに十分すぎるほどのねぎらいの言葉をくれた。そして、早速そのくちなしの汁と彼女自身が持ってきた顔彩(いつも絵の道具を持ち歩いている人だ)を使って、報國寺で描いた山茶花の色付けを始めた。
 「花芯が浮いて見える!」と友人が小さく叫んだ。黄色い顔彩だと沈んでしまうのに、くちなしで作った黄色だと芯が浮き上がって見えるというのだ。汁は小さな瓶にふたつだけだったのだが、「これだけあれば一生使える」と喜んでくれた。私は大いに満足し、いい気分になった。
 翌日、12月とは思えないあたたかな陽気の中を、私たちは高徳院の阿弥陀如来座像を訪れた。鎌倉の大仏として有名なこの像のことは教科書や絵葉書などでよく知ってはいたが、実際に眼の前にしてみると、その表情のよろしさとそれをさらに引き立てる背後の樹木と空の妙には、とても絵葉書などでは表現できないすばらしさがあり、新鮮な感動があった。ここで私はほかにも是非見たいと思っているものがあった。
大佛の冬日は山に移りけり   星野立子
の句碑である。だがこれがなかなか見つからない。境内をあちこち探しまわり、大仏の近くのお店の人に聞いてもわからない。散々探した挙句、像の傍らでフィルムを売っていた女の人が「水道の近くにあるあれじゃないかしら」と教えてくれて、ようやく見つけることが出来た。赤い花をいっぱいつけた山茶花の木々に埋もれて、殆ど見えなくなっていたのである。
 友人はその句碑をつくづく眺め「素朴でいい字だわ」と言った。そして「書家は連綿体と言って字を続けて書くことが多く、それらは大抵普通の人には読めない態のものだが、この句碑の字は一字一字離して誰にでも読める書体で書いてあり、書に関しては素人の手になるものかもしれない。でも句の感じがとてもよく出ていていい字だと思う。作者自身の字なのかしら」などと語った。
 数日して、友人から私のもとに、色付けの終わった山茶花に〈大佛の〉の句をあしらった葉書が届いた。
(後記)この旅行で、友人は私に顔彩と愛用の筆を3本プレゼントしてくれた。その中の一番細い筆で罫線を引いてみたら、よりいい感じの便箋が出来た。
(1997年2月15日発行)

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発行人 根本啓子