おじさんたちの道東旅日記

二月十日(水)  海鮮丼が旅の始まり

 到着ロビーのゲートを出ると、約束どおり伊藤さんが出迎えてくれた。「ようこそ北海道へ」二日前に北海道入りした伊藤さんであったが、何かすっかり土地の人の雰囲気を漂わせていた。きっと、濃密な二日間であったに違いない。私たち三人はそう確信した。
 今回の日程は短めだけれど、またどっぷりと北の大地に溶け込もう。そう思いながら、釧路の街へ向かった。 まずは腹ごしらえ。早朝の便で羽田を発ったため、腹ぺこだ。「和商」を思い浮かべただけで一層空腹感が増す。 和商は改装中で、隣の敷地にプレハブづくりの仮設店舗が建てられていた。私は、一歩遅れて中に入り、先行の三人の姿を探した。すると、三人は既に「本間商店」にいて、藤原さんと親しそうに話していた。後で聞くと、入り口のドアを開けたとたん、バッタリ彼に会ったそうだ。伊藤さんと臼井さんは三年ぶり、平野君と私は一年ぶりだ。藤原さんと私たちの出会いについては、昨年の道東旅行記で書かせていただいた。「こんちは」私も、覚えていてくれたかな、という不安を抱えながらも元気よく声をかけ、その中に分け入った。「あっ、どうも」優しそうな笑顔が戻ってきた。

 土産を送る手配をしてからご飯を食べようなどと言っていたのだが、新鮮な魚介類を目の前に、「やっぱり先に食べよう」となる。その時々の気持ちを尊重して簡単に計画を変更するのがこの旅の基本だ(信州人の悪い癖で、些細なことにでもすぐに理屈をつけてその行動を正当化してしまう)。
 いくら、ほたて、まぐろ。あたたかいご飯の上にたっぷり乗せてもらって、七〇〇円あまり。醤油をかけて無言でほうばる。舌も胃も心も大いに満たされた。おまけに財布の中もまだ満ちている。七転び八起き 海鮮丼ですっかり北海道に溶け込むウォーミングアップができた私たちは、二日連続でエゾフクロウと対面したという伊藤さんの「引きの強さ」に期待して、茅沼に向かった。さあ、平野君にとっては七回目(あるいは八回目?)の正直となるのか。その木に近づくにつれて興奮が高まる。あまり大きな期待をかけると、はずれたときの落胆もそれに比例して大きくなる。だから、適度に期待するのが賢明だ。例によって信州人の屁理屈が頭をもたげる。もちろん、口には出さない。

 国道から脇道に入るころだっただろうか、それまで強気だった伊藤さんの口から不安な一言が発せられた。「昨日はすごい強風が吹いていたけど、今日は無風だなぁ」つまり、昨日は強風のため、彼(彼女?)は「外出」せずに木の巣穴に鎮座ましましていたんだろう、と言うのだ。直前になってなんてことを、三人の目が凍る。
 車は、白くやわらかな細い道を、はやる気持ちを抑えるようにゆっくり走る。すぐにそれとわかる見事な木を四人の目が一斉に注目する。「・・・・・・・」平野君は、今回もまた「次に来るための楽しみは残しておかないといけない」という上手な解釈を強いられた。鶴居から細岡へ写真を撮る条件としては好ましくない時間帯だったが、やはり釧路に来たからには丹頂には会いたい。コッタロ湿原をぬけ、鶴居村に車を進めた。

 今冬は昨年に比べ雪が少ないためか、湿原に集まっているエゾシカも少なめだ。ここに来なくても、餌に困らないのだろう。真っ昼間ということもあって、あまり写欲をかき立てる光景にも遭遇せず、サンクチュアリーに着いた。
 集まっていたのは丹頂ではなく、人間だった。休日のせいかもしれないが、やはり私が知るこの数年の間に確実に訪問客が増えたような気がする。初めてここを訪れたときは、丹頂とその世話をする人が共生している姿を、外から来た人々が見せてもらっているという雰囲気だった。だから、観光客への配慮はあまりなされてなかったように思う。ところが、だんだん動物園化してきたように思われて、残念でならない。もちろん、自分自身もその観光客の一員なのだから、勝手なことは言えないのだが・・・。

 鶴居では「泰都」で昼飯を食べるのがこの旅の基本なのだが、新しい発見も必要だという理屈をつけて、向かい側に開店したラーメン屋に入った。絶品というわけではないが、それなりに旨いラーメンだった。
 満腹になると、動きたくなくなるのが人間の常だ。暖房の効いた小上がりで、このまま、うだうだしていたいところだが、その誘惑を撃退して細岡の展望台に向かうことにした。今日は広大な釧路湿原に沈む夕陽が期待できそうだ。昨年は、あと一歩のところで逃しているので、今年こそはという思いでいっぱいだ。再びコッタロ湿原をぬけ、国道を南下する。 展望台に着いたときは太陽も大きく西に傾き、一日の華やかなフィナーレの演出を予感させていた。平野君と私はカメラをセッティングし、伊藤さんと臼井さんはコーヒーを煎れながら静寂の時間と空間を味わっている。

 太陽はその大きさを増すと同時に、黄、オレンジ、赤と、次第に色を変えていく。流れる雲も時折その全面にかかり、微妙な味わいを醸し出してくれる。気温は急激に下がり、寒風も頬を刺すのだが、ファインダー越しに展開される光景は極めてアナログ的であたたかい。
 熱帯の海に沈む灼熱の夕陽は、その瞬間、"じゅっ"と音を出すらしいが、ここ、釧路湿原では、あくまでも静かに「おやすみ」と言うだけだ。 日没後三〇分、これが大事だ。日が沈んだからといって、早々に引き上げてはならない。もうひとつの演出があるからだ。三年前、斜里で学んだ教訓だ。西の空から大きく手前に伸びている雲が次第に赤味を増していく。今日は、斜里での燃えるような紅とは対照的なやわらかなロゼ色だ。静かな湿原には似合いの色合いかもしれない。おまけに、用意されたワインもロゼ。臼井さんの心配りも絶妙だ。
 満たされた気持ちと一緒にカメラをバッグに納めると、心は晩餐へと加速した。

今年もやはり「むらかみ食堂」

 釧路の宿は定番になりつつある「ホテルセンチュリー釧路」。おじさん四人一部屋(一〇畳)というのも、温泉宿での忘年会の部屋割りのようだが、四人で一八,〇〇〇円というエコノミー料金と檜の大浴場がこのホテルの魅力だ。
 当初、晩餐の店は、昨年小松田君が涙をのんだウニ丼の「駒形屋」という計画で、そのために、朝の和商では、ウニを乗せなかったのであるが(伊藤さんには黙っていたので、彼だけはウニを乗せた)、落ち着いて旨いものをたくさん食べようということになり、やはり定番の「むらかみ食堂」へ向かった。

 黄色地に墨文字の看板に不思議な安堵感を感じながら店に入ると、予想どおり、本間商店の藤原さんがいた。おかみさんも相変わらず若々しい。でも、毛糸の帽子をかぶったおいさんの姿が見当たらない。「もしかして」などという不謹慎なことを考えてしまう。だが、「組合の寄合で"浮気"に出かけている」という藤原さんの一言で、その心配は消えた。 客であるはずの藤原さんだが、忙しそうなおかみさんを見かねて厨房に入り、魚屋の腕前を発揮してくれた。 さんまのルイベ、やなぎガレイ、宗八ガレイ、ホッケ、つぶ、地元の人が常連の店で、地元の人と語りながら、新鮮な海産物をたらふく食べる。この上ない旅の醍醐味だ。
 なお、かしわ(鶏肉)を使った四五〇円のカレーそばが絶品であることも小松田君のために付記しておこう。


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