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”いのち”と”こころ”と”平和”を考えます。ジャーナリスト 中村尚樹 Nakamura Hisaki Clubhouse

著作BOOKS

『脳障害を生きる人びと』(2006年 草思社)

目標イメージ

 植物状態と診断されていた私には意識があったのです。

 脳梗塞、脳出血、脳腫瘍、交通事故での脳損傷…。その知られざる実態を描き、新たな治療の道を探る。

 日本人の死因の第三位は脳血管障害である。近年では救急医療の高度化にともない、交通事故で一命をとりとめたものの脳に障害を負ってしまう人も増えている。

 誰の身にいつ起こるか分からない脳の障害。しかし患者が直面している厳しい現実は意外に知られていない。

 鮮明な意識を取り戻していたにもかかわらず「植物状態」と宣告された人たち。外的な異常はないが認知能力や思考力に問題を抱える「高次脳機能障害」の人たち。あるいは、脳ドックに基づく「予防手術」をしたために深刻な障害を負ってしまった人たち。

 障害の部位によって症状はきわめて多様かつ複雑なものとなるが、医療も行政もそれへの充分な対応が出来ていないのが現状だ。一方で、絶望と思われた症状からの復活をめざす新たな治療法も登場してきた。脳障害をめぐる驚くべき状況を、本書は多面的に描き出していく。

  (本書表紙・帯より)


「脚、切っちゃえばいいんだよ。前に藤井くんみたいな子もいて、脚、切ったよ」。藤井正樹(現在二十七歳)が乗用車に突っ込まれ、跳ね飛ばされたのは二十一年前のこと。急性硬膜外血腫(脳を覆っている硬膜と頭蓋骨の間の出血)が原因で語れず、動けなくなり、「植物状態」となった。自力移動、摂食、意思の疎通、意味ある発語などが不可能な状態で、厚生労働省の規定では遷延性意識障害という。

「入院は三ヶ月まで」。それを伸ばしtければ脚を切断しろと本気でアドバイスしたというのは何と若い主治医だった。何も問題ない脚をである。そうすれば新規入院になるという。正樹は意識も回復し、医師が語っていることがわかっていた。「植物状態」という表現に問題があるのは、そう見えたとしても、耳は聞こえ、目も見えていることがあるからだ。在宅をふくめると患者は推計二万人を超えるという。

「美容師になりたかった」と五十音のプラスチック板を使って著者に答えた正樹は、いまでは福祉工房で広報誌制作の仕事に就いている。加害者は賠償責任を取らないだけでなく、謝罪ひとつもない。正樹は母子家庭だ。面倒を見る母の恵美子は将来不安を抱えたまま。著者は正樹と同じような境遇にある多くの家族に寄り添い、丁寧な取材を重ねる。その結果、日本には貧困極まる構造的問題のあることが具体的に明らかとなった。

遷延性意識障害者の介護に要する自己負担が月10万円を超える人は20%を超えるが、世帯収入が500万円以下が73%という調査がある。苦しい家計で介護を支えているのだ。外からは見えない高次脳機能障害もまた理解されない現実がある。それでも障害を緩和する家族の「呼びかけ」や医師、看護師などの努力がある。本書は脳ドックに潜む問題点、脳腫瘍の手術をした盛田幸妃(当時・近鉄投手、現在はラジオ解説者)の札幌ドームでの奇跡の復活、それを支えた理学療法の可能性、音楽運動療法の効果など、「健康バブル」時代の課題を浮き彫りにする。

   ジャーナリスト 有田芳生氏評(2007年1月14日付け 北海道新聞)


 植物状態の人は「生きている」!
 脳障害の実態を丁寧かつ真摯に描く

 交通事故などで脳に外傷を負うことで「植物状態」になる人たちがいる。呼吸や血液循環、消火など生命維持に必要な機能が失われた状態=脳死ではない。植物状態とは、それら基本的な生命維持機能は問題ないにもかかわらず、意思の疎通が取れず、意識がないと認められる状態。具体的には、大脳に問題がある人だ。だが、そうした人に実は「意識がある」ケースは少なくない。意識はあって認知できるものの、それに対する反応を言葉や行動で伝えることができないのだ。残酷な状態だが、そんな植物状態の人たちは、実際に「生きている」。本書は、そんな脳に障害を負った人たちを丹念に追ったルポルタージュである。

 元NHK記者である著者は植物状態にある人たちを何十人も訪れ、家族や医師、そして本人自身から話を聞き取っていく。本人の場合は、パソコンなど支援ソフトを使っての会話だ。取材過程の労力は大変なものと察せられる。驚かされるのはその事例だ。いくつもの病院で投げ出されたが、事故から6年の月日を経て意識があることが確認された人や、事故から数ヵ月で意識が戻ったものの表現ができず、その兆候を知った家族らの不断の努力で徐々に回復し、ソフトウェア会社の社員になった人がいる。病院から見放された人たちが家族の努力で回復するという事実はなによりも重い。後半で脳障害治療の最先端や行政の問題などにも著者は迫っていくが、白眉は本人や家族のルポだろう。事故は日々起きており、誰にとってもこうした問題は他人事ではないのだ。

   ジャーナリスト 森健氏評(雑誌『ダ・ヴィンチ』より)


「閉じ込め症候群」「遷延性意識障害」「高次脳機能障害」といった専門用語をご存知だろうか?もしこれらの言葉に馴染みがなくても、「植物状態」という言葉なら耳にしたことがあるという読者は多いだろう。この言葉を暗示するかのような美しい表紙を持つ本書は、外相や病気によって脳の機能に障害を背負った人々を取り巻く状況と、脳疾患をめぐる医療の現状を非常にわかりやすく紹介している好著である。

 本書は2部に分かれており、前半では冒頭に掲げた3つの脳機能障害について詳しく紹介している。まだ大都会に偏っているとはいうものの、近年の救急医療の進歩は画期的で、従来なら助からなかった患者が一命を取り留めるケースが増えてきた。その反面、命は助かったものの最もデリケートな組織である脳の機能障害に苦しむ患者が急増し、この3つの疾患だけで30万人を超えると推定されている。特に、「植物状態」と一括りにされ、これまでの医学の常識では回復の見込みはなく余命も数年とされてきた遷延性意識障害の患者が、実は治療によってかなりの割合で意識が回復する(正確には、意思の疎通ができるようになる)のに、専門の療養施設の数がまるで不足しているばかりか、患者数についての正確なデータすらない(推定では、1972年に約2000人だったのが現在では2万人以上にも上るという)という指摘は衝撃的である。『博士の会いした数式』というベストセラー小説の主人公が患っていた高次脳機能障害についても、本書では多数の実例(特に、外傷後長時間が経過してから発症する例)を紹介している。

 一方、後半ではCT(コンピューター断層撮影装置)やMRI(磁気共鳴画像装置)といった画像診断の進歩や、生物薬剤・リハビリテーション・音楽運動療法など、脳機能障害の治療についての新しい話題を紹介している。この中では、「脳ドックの落とし穴」という章が興味深かった。最近の健康志向で、これまでの人間ドックに加えて脳ドックがブームだという(私自身も医者の友人に勧められて受けた経験がある)。しかし、本書によると、脳ドックで発見される自覚症状のない小さな脳梗塞や動脈瘤には、特に治療を必要としないケースも多いという意見があるそうだ。一方、脳ドックの検診で見つかる「患者」の軽微な異常を治療することが病院の収益に貢献しているだけでなく、不必要な動脈瘤の手術が医療事故につながる例が少なくないことが紹介されている。その背景には、人口あたりの脳外科医が欧米の数倍に上る(一方で、小児科や産婦人科医は激減している)という医学界内部の事情があるという指摘も興味深い。無駄な予防医療に多額の医療費が費やされているのに、脳機能障害の患者が社会復帰するための長期療養にかかる医療費は削減されるというアンバランスな現実を知ると、予防に重点を置いて総医療費を抑制しようという方向が本当に正しいのかと考えさせられる。

 テレビドラマの『ER』がヒットするなど救急医療についての世間の認知度は高くなったが、救命された患者のその後について我々が知りうる情報はまだ限られている。しかし、老若にかかわらず、この本に出てくる事例はいずれも「明日は我が身」であってもおかしくないものばかりだ。さらに、著者が強調しているように、脳の機能障害は医療の専門家にも必ずしも正確に理解されていないのだという。これは、医学の専門化が行き過ぎた弊害でもあるのだろう。一般読者だけでなく、医療や行政にかかわるすべての人にぜひ読んでいただきたい一冊である。

   産業技術総合研究所 中西真人氏評(『日経サイエンス』2007年2月号)


 日本人の死因順位はがん、心筋梗塞に次いで脳卒中は第三位。だが患者の発生自体はがんより約十万人多く脳梗塞を中心に百三十七万人。平均入院日数ではがんが二十八・九日、心臓病が二十九・三日に対し、脳卒中患者は百二・一日と三倍以上も長い。それだけに退院後も意識障害や言語障害、身体麻痺などをかかえて生きることになる。

 脳に重い障害を持っている人は脳血管疾患だけにかぎらない。交通戦争という言葉が登場したのは三十五年前だが、いまや日常化している交通事故による死者(二十四時間以内は約七千三百人。だが、脳障害は時間の経過とともに変容し死者も増加する。三十日以内死者は約八千人、一年後は一万人になる。その背後には植物状態、植物症といったことばで片づけられる後遺症を抱えて生きる多くの人がいる。

 たとえば、遷延性意識障害。運動や知覚などの動物性機能には障害があるが、血液循環や消化、体温調整などを保つ機能は維持されている。二十一年前「生きて二年」といわれた十六歳の少年は全国の病院を転々としたが意識も感情もあった。いまは視線で意思の疎通ができるだけでなく、コンピュータでの応答もできる。子どもの頃の夢は「美容師になりたかった」。いまの日常の楽しみは「音楽の歌を聴くこと」という。

 その一方で救命救急医療の急激な発達にともない高次脳機能障害も増大している。ようやく一命をとりとめ、意識ももどり社会に復帰して家族も一安心。それもつかの間、記憶障害や感情を含めて以前と違った人になっている、外からは見えない障害だ。

 本書はそうした事例をあげながら脳障害の実態を丁寧に描き、先端の脳治療の課題にもふれている。なかでもCT、MRI、PETなど高度な画像診断の開発が予防医学に貢献する一方で、脳ドックや予防手術にはリスクも大きいという警告は注目しておきたい、同時に障害者の力になるのはリハビリ医学の発展にかかっていることも教えられた。

   評論家 米沢慧氏評(2006年12月10日付け 日本経済新聞)


 本書の主なテーマは、「植物状態」「高次脳機能障害」「脳ドック」の3つにしぼられる。いずれも現代の脳治療の「成果」として生じてきたものである。著者は個々のテーマについて、当事者として日々過ごしている人々とそれを支える医療者を合む様々な職種の人々の生き様を通して、世に問いかけている。

 まず「植物状態」について。交通事故や脳卒中の後遺症として、最重症の脳障害であり、全国に2万人は下らないと云われる。医学的には「遷延性意識障害」と呼ばれるが、一般に「植物状態」という用語が使われていることから判るように、「(植物のように)何もしないでただ眠っているだけ」という見方が蔓延している。そのことが急性期での医師の治療方針や慢性期における社会の受け入れに影響し、本人・家族は二次的にも様々な被害を蒙ることになる。しかし、その偏見をものともせず、力強く生き抜く人々の闘いがある。

「閉じ込め症候群」を生じたものの、唯一残されたまぱたきによる意思表示のみで「会話補助装置」を開発する会社の社員となり、その後一人暮らしを始めた女性。「植物状態」と宣告され数々のの医療機関を転々としてきた6年間のことを、「覚醒」後つぶさに語り始めた青年。

 一方、彼らを取り巻く社会環境は厳しい。交通事故で意識障害に陥った人を専門的に治療・看護する施設(療護センター)は全国に4ヵ所、230床しかない。多くの人々が最終的には在宅生活を余儀なくされるが、1日24時間、1年365日の介護を要する彼らを家族のみで看ていくのは限界がある。

「親亡き後」の問題はさらに深刻である(自分たちが死ぬ時は我が子も道連れにと真剣に考えている家族もいる)。そこで紹介されているのが、横浜市内に住む8家族による全国初の試みとしての訪問看護ステーション付き「共同住宅」の構想である。彼らにとってそれは、最後に梅ぎれた砦とも云える。

「植物状態」に対する治療は日々進歩している。「脳低温療法」「電気刺激療法」「音楽運動療法」など、我が国独自とも云える様々な療法によって意識障害から脱却する人々も多い(大阪大学の調査で62%の回復率)。

 その結果が「高次脳機能障害」であり、救急医療の進歩の中で新たに派生した問題と云える。「植物状態からの脱却」と云うと聞こえはいいが、共に生活する家族にとっては「植物状態」以上に大変な思いを抱えることになる。

 しかしここでも、同障害に対する医療者を始めとする社会の無理解という璧に突き当たる。これまで身体面でのリハビリを重視してきた我が国において、同障害のように精神面やコミュニケーション能力の獲得が必要なリハビリは、まだまだ未開拓の分野である,ましてや、社会的受け入れ(就学・就労の場)は皆無と云ってよい。「一命を取りとめ」「意識が蘇った」結果が、自立のためのリハビリもなく社会的に孤立してしまうのか同障害者の置かれた現状と云えよう。

 同障害にはもう一つ大きな問題がある。交週事故後に生じ易い同障害者については、当然ながら後遺障害に対する補償の問題が残る。しかし、未だ診断が十分に確率されていない実情から、事故後様々な症状を抱え、仕事をやめざるを得なくなった人たち(介護が必要になった人もいる)の中に、同障害とは認定されず、その結果何の補償も得られない人たちも存在する。裁判に訴えてでも理解を求めようとするが、多くが敗訴になり、二重三重に犠牲を蒙ることになる。

 脳治療において、もう一方の対極にあるのが「脳ドック」の結果としての「予防手術」である。日頃健康に暮らしている人が、何かのきっかけ(市民検診や企業検診が多い)に「脳ドック」という名の人間ドックを受け、その結果脳血管に異常を指摘される。将来くも膜下出血や脳出血・脳梗塞を生じる可能性があると説明され「予防手術」に踏み切る。

 その結果、死亡したり、半身麻痺、人格変化・視覚失認(高次脳機能障害)を生じた事例が紹介されている。そこには、手術の危険性に関する医師の説明内容の問題がある。さらに云えば、各国に比べMRIの台数や脳外科医の数が多いことが脳ドックや予防手術に拍車をかけていると分析されている。そして、脳ドックに対してはもっと医学的(科学的)根拠を示すべきことが綸じられている。

 末尾に、我が国に特有な「脳ドック」を生み出す風土が国民の「健康脅迫」にあると指摘されている。健康産業がそこにつけ込み、医療機関や医師も巻き込まれている。ただ、論評に費やされるスペースが2頁にしか過ぎず、評者としてはこの点の著者の意見をもう少し聞きたかった。

 また「植物状態」や「高次脳機能障害」については、その原因の多くが交通事故であることを考えると、戦後日本の繁栄の中でもたらされた犠牲者とも云える。

 それならば、本書に紹介されている個々人の努力に対し、もっと社会(国)が理解を示し、手を差し伸べ、協力すべきであろう。機会があれば是非、その点に関して具体的に指摘していただくよう期待している。

   脳神経外科医 山口研一郎氏評(週刊読書人 2007年3月23日号)


 病気からであれ、あるいは事故からであれ、「人間活動全体の司令塔」である脳に障害を受ける人が増えてきている。しかも、こうした障害を持った人は、今までと全く異なる生活状況に放り込まれ、さらに彼らを取り巻く家族にも深刻な影響を与える。一般論であるが、脳障害そのものが、ともすれば「死に至る病」と思われ、余りにも怖ろしいために自分は無関係でありたいと願う期待が働くためか、他の重大な疾病と比べて、知識がほぽ皆無に近い。

 したがって、担当医の診断に従わざるをえないのである。それに現行の健康保険制度の診療報酬のために、長期入院は歓迎されず、治療がとりあえず終われば系列の療養型病院へと移されてしまう。もちろん、ここでは慢性期となった患者を受け入れるだけで、さながらハ方塞がりの状況である。

 本書は、次のような驚くべき事例を紹介している。交通事故で脳障害を受け、意識不明のまま、搬送完の病院での手術・治療が終わり、主治医はその患者の母親に退院を強く迫る。転院するあてもない母親に「両足を切断すれば、別の治療となるのでこの病院にいられ、事実、同じ様な症例があります」と断言する始末。直ちに転院し、その後奇跡的にも、患者が自分の意思を伝えられるようになる。患者によると、入院の数日後に、意識が回復していたという。

 それにしても、脳障害が起こる可能性をゼロに出来ないという現実の対策として、われわれ自身が医療の現状をしかと認識しなければならない。

 本書の第1部「知られざる現実」は、モンテ・クリスト症候群とも呼ばれる封じ込め症候群、施錠症候群、また俗に植物状態とも呼ばれる遷延性意識障害。さらに、はた目からはそうとは見えない社会的な障害といわれる、高次脳機能障害といった病状から、「生」を取り戻す患者、その患者を支える家族と医療関係者の感動的なドキュメントである。

 第2部「脳障害を乗り越えて」は、脳治療の最前線としての脳の再生の可能性、さらに理学療法の成果、芸術と医療を融合させた音楽運動療法の挑戦と信じ難い成果。それとは逆に、最近の健康志向ブームにのって活況を呈している脳ドックの危険性や「金のなる木」とも言われる過剰な予防医学への警鐘などをも含めて、新しい医療スタイルを詳らかにしている。

 そして本書は、「医療や福祉業界の論理を前提にするのではなく、患者の論理、障害者の論理、そして人間の論理で社会を見つめ直すこと、それこそ真の『構造改革』なのではないだろうか」と結んでいる。

   法政大学教授 川成洋氏評(『週刊東洋経済』2007年1月27日号)


 脳障害は個人的問題にとどまらず、極めて「社会性」をもっている。インフオームド・コンセントで、患者の立場が重視されるようにはなってきているが、それでも医師と患者は密室で、一対一の関係が基本である。

 ところが、脳に重い病気や障害があると、事情が異なってくることがある。本人に意識がなかったり、意識があっても十分に身体が動かない場合、周囲と意思疎通ができないからだ。そのため家族や医療従事者や、ボランテイアや施設の人だちとずっと関わりながら、症状や周囲の状況を改善させていかなくてはならない。

 あるいは改善が難しい場合は、社会のほうが変わることによって、脳障害者とよりよい関係を築くためのシステムをつくらざるをえない。本書では家族をはじめ、そのための努力をしている「人びと」が描かれる。

 脳障害と聞いても、自分には遠いできごとと思う読者も少なくないだろう。しかし、いまの医療では、健康診断ひとつをとっても、それとは無縁でいられない。医療そのものの技術が、医師の経験や能力のレベルを超えてどんどん進んでしまっているからだ

 たとえば、いいことずくめに思えるMRI(磁気共鳴画像診断装置)一台最低数千万円はする。

「投資すれば、その分を取り戻さなくてはいけないとか、それによって利益を受ける人がいるということなのだろうが、果たしてそれでいいのか。社会全体がどうしても、経済優先になっている」

 作品には、会社の定期検診で勧められるまま、「安心を求めて」受診した脳ドックで異常が見つかり、病気を未然に防ぐ「予防手術」を受けた結田、逆に脳に深刻な障害を負った四九歳の男性の例か登場する。

 果たして、本当に必要な手術だったのか。男性は職場復帰もできずにいる、当然、誰が責任をとるのか、誰が今後の生活の面倒を見るのかという問題が起きてくる。

 ――では、読者一人ひとりが自分のためにできることは?

「いざ何か異常が発見されたときに.一つひとつの情報に振り回されるのではなく、その情報がもっている意味を全体的に知ったうえで対応すること。脳ドックを受けたいというのであれば、そのブラス面だけではなくマイナス面も十分把握しておくべきでしょう。いまの医療水準がどうなっているのか、いまの医学で何ができて何ができないかを、トータルに理解することです。医療の進歩によって私たちが恩恵を受けているのは確かですが、医療というのは絶対的なむのではないのですから」

  プレジデント編集部 大内祐子氏(『プレジデント』2007年1月29日号)




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