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”いのち”と”こころ”と”平和”を考えます。ジャーナリスト 中村尚樹 Nakamura Hisaki Clubhouse

著作BOOKS

『スペイン市民戦争とアジア』(2006年 九州大学出版会)

教育方針イメージ 70年前「内戦」に市民は立ち上がった。その闘いの今日的意義を検証し、アジアとの関係を解き明かす。

  (本書帯より)

 石川捷治氏(久留米大学法学部教授・九州大学名誉教授)との共著。


 今からちょうど70年前の1936年、わが国では2・26事件の起こった年、遥かスペインでほぼ全国的規模での軍部の反乱と共和国側につく民衆の果敢なる武力抵抗によるスペイン市民戦争が勃発した。この戦争は、世界史に重大な影響を与えることになった。

たとえば、ソ連による共和国への援助と最終的な支配権の確立、共産主義者によるアナーキストやトロツキストの粛清、ドイツ、イタリアの反乱側への支援、英仏の傍観、バスクでの無差別爆撃、など枚挙のいとまがない。

とりわけ55カ国から約4万人もの「国際旅団」の義勇兵、さらに2万人余りの後方支援要員が参戦した出来事が大きい。日系米国人ジャック白井も参加している。本書は、等閑に付されていたアジア人、すなわち、中国人、朝鮮人、ベトナム人、インド人、フィリピン人などのスペイン市民戦争への関わりを明らかにした、実に刺激的な内容の本である。

   (『週刊東洋経済』2006年9月30日号)


 以下、本書のあとがきより。

 私はスペイン滞在中、南部のアンダルシア地方でフラメンコをたびたび鑑賞した。特に本場のへレスでは世界的に有名なフラメンコの第一人者、クリスチーナ・オヨスに巡り会えた。舞台は彼女の回想する少女時代の物語である。十人ほどの男たちが切り崩した大きな岩を運んでいる。数十年前のこととて、今のような運搬機械もなく、すべて人力である。重く苦しい労働歌にあわせて、彼らのステップが大地を力強く打つ。鉱山を描いたフラメンコなのだ。ひとときの歌や笑い、恋や祭りもつかの間、落盤事故が起きて男たちは最期を迎える。舞台のタイトルは「地の底へ」。

 フラメンコの舞踏は、かかととつま先に細かな釘を何十本も打ち付けた靴で舞台を激しく打ち鳴らすのが特徴だ。それはあたかも魂が下へ下へと、地中深く突き進むようだ。

 オヨスは舞踏が終わった後、客席からの満場の拍手に答えながら「文化は断固として戦争に反対する」と書かれた横断幕を持ち、場内の人々とともに、「ノー・ア・ラ・ゲラ(戦争にノーを)」と声をあげたのだった。アンダルシアでは喜びも悲しみも、文化も芸術も、そして平和も、すべてが大地に根ざしている。

 日本では特に最近、憲法改正論議がかまびすしいが、憲法が保障している基本原則の重要性は、制定から半世紀以上がたったいまも変わらない。それは私たちが敗戦の焼け跡から、大地に根ざした思想として得たもののはずだ。基本的人権の保障はいまなお人類共通の課題であり、戦争と軍備の放棄は世界共通の理想として輝きを失ってはいない。

 そうした現代の課題がそのまま眼前に、世界で最初に現われたのがスペイン市民戦争であった。大量破壊兵器による大量殺戮や軍事優先主義、思想・信条の自由の否定や宗教による抑圧といえば、九・一一事件後の世界情勢を示しているようだが、ピカソの描いたゲルニカ爆撃や、オーウェルの描いた内戦の悲劇を見れば、それはそのままスペイン市民戦争を指摘していることにも気付くことだろう。「日本は日本」「アジアはアジア」「スペインはスペイン」ではなく、それらは時間と空間とを超え、密接なつながりを持っているのである。

 私たち二人の著者は、研究者とジャーナリストというフィールドの違いはあるものの、大地に根ざした人々の声を聴くという姿勢は共通している。私たちは必ず、自由と理想を追い求める人々と連帯できるはずである。小著がそのための一里塚となれば、望外の喜びである。




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