「帆波。お前さ、神様になんか恨みでもあんの?」
その声が何だかすごく思い詰めたような低い声で、私は思わず言葉に詰まってしまった。でも、だけどやっぱり言わせてもらわなくちゃ、夢の中のあの役立たずのイケメン神様の事を!
「小さい頃の話よ。私、神様にある頼みごとしたのよ。そりゃもう真剣に。夢の中で、だけど……でも神様、夢の中ですら私の願いを聞いちゃくれなかったわ」
あ、マズい。やっぱり今日の私は心が弱ってる。鼻の奥がつんとしてきた……どうしよう、ちょっと泣きそうかもしれない。
おっさんはそれに気付いたのかどうか、目を逸らしてる。そしてまたスーツケースを開けて、今度は……煙草? セブンスターってこれまたおっさん、ボックスじゃないのね。煙草までヨレってるじゃない。っていうかここで吸うつもり? 灰皿なんてないわよ!?
そう思って煙草を目で追ってたら、おっさんはニカッと笑って、ビールの空き缶をとんとんと指差した。あぁ、それを灰皿代わりにするのね、ってあら、考えてることわかっちゃった? それよか私、吸っていいなんて言ってないんデスガ!! 別にいいけどね、いいけどなんか一言言いなさいよってカンジ?
おっさんは何だかちょっと険しいカンジに顔を歪めて、そして煙草に火を点けてから言った。
「あのな、帆波。神様だってさ、死んじまった人間生き返らせるとか、コレ、無理なわけよ。お前が親父さんやおふくろさんのこと大好きだったってのは、すっげぇわかんだけどな」
びっくりした。心臓止まるかと思ったっていうのは、こういう時のためにあるんだわ、きっと。そう思うくらいにびっくりした。
「な、なんで……なんであんたがそんなの知ってんのよ。あんた何者なの!?」
搾り出すように出したその声は、自分でもびっくりするほど震えていた。でも大丈夫、もう泣きそうにないわ。驚きすぎて、泣いてる場合じゃないっていうか、そんなカンジだし。
おっさんを見たら、なんか困ったように煙草の煙をぼんやり見てる。何よ、何か言い返しなさいよ。そう思って睨みつけてたら、おっさんと目が合っちゃって……あれ? なんか、やっぱりホントに何か困ってる?
「何よ、ちょっと。何か言ったらどうなのよ」
おっさんは諦めたみたいに笑って口を開いた。
「その、言いにくいんだけどな。それたぶん、俺……なんだわ。まだ見習いやってる頃で、お前もまだちっこい可愛らしいガキで、な」
「え、ちょっ、ちょっと、待って。え? 何? たぶん俺なんだわって、えぇ!? アレって、夢だし……それに、だって!」
「だって、何よ!?」
ばつが悪そうに俯き加減で、上目遣いにこっちを見てるけど。ごめん、おっさんがそれやっても、蹴り入れたくなるっていうか何ていうか、逆にイラッとくるからやめて欲しい。
睨み付けるようにしてたんだけど、おっさんは再度聞き返してきた。
「だって何だって言ってんですかー? 帆波、続けろよ。気になるじゃん」
「じゃー言うよ? 夢ん中の神様はね、あんたみたいなわかめっぽいパーマの黒毛でもなかったし、澱んで力のない瞳でもなかったし、第一すごく若いイケメンのお兄さんだったわ。あの頃との年齢差を差っぴいても、どう考えたってあんたじゃないわ。っていうかやめて」
「やめてってひっでぇな、オイ。だったらなんでお前の願いごとを俺が知ってんだよ、あ? そのかっこいいイケメンなお兄様、俺なんだって! 信じろよ!」
「本当でも信じたくないわよ! だいたい見てくれが全然違うじゃない! それはいったいどういう事なのよ!? そっから説明しなさいよ!!」
「えー、それはちょっとぉ……おじさん、恥ずかしいから嫌だなぁ」
「嫌だなぁ、じゃないわよ! いいから言いなさい!!」
そう言って私がテーブルをバンバン叩きまくると、おっさんはどうやら観念したようで、また新しい煙草に火と点けると、思いっきり目を逸らして話し始めた。
「あー、その……なんだ。俺がさ、このナリでいきなり現れて神様ですっつって願い叶えますーっとか言ってもよ、なんつーか信用全然ねぇわけよ。で、なんかこういい方法ねぇかなぁっとか悩んじゃってねぇ、俺。で、思い余った結果がアレよ。お前だってあんなん神様っぽいとか、思ったんだべ?」
「だべ、じゃなくて! え、じゃあ何、どういう事? 高校生が夏休みいきなりパーマかけたり茶髪にしたりする、アレみたいなこと言ってんじゃないでしょうねぇ」
「いやぁぁぁ、あっははははは。俺も若かったからねぇ、あぁいうのがかっこいいっとか思っちゃってたんかなぁ。実際さ、金髪のサラッサラヘアーにカラコン使って目の色まで変えちゃったりで、でもみんなチヤホヤしてくれちゃって、いやーん、もうカッコイー! 俺サイコー!!っとか、思っちゃってたんだよねぇ。いや。青かったね、さすがに」
「……やめてよ、それ。キモい」
思わず頭を抱えてテーブルに肘をついた。あぁ、頭が痛い、痛くなってくる。髪染めてカラコンしてた怪しい人物を神様の理想像として私は憧れていたの? 何よこれ、詐欺じゃない!
自分で自分に嫌気が差してたら、顔に出てたのか、やっと視線を戻してきたおっさんがぼそぼそと文句垂れ始めたの。あぁ、またこれがウザいのよ。でも何でだろう? 席を立とうとまでは、思えないから不思議。
「あー、そういやなんだ。お前ひどくね? わかめっぽいパーマって何だよ。イケてるくせっ毛じゃねぇかよ。帆波てめぇ、くせっ毛なめんなよ? それに澱んで力ねぇ目って、そりゃー雨に打たれて置き去りにされかけたんだぜ? 凹むっつの、落ちるっつーの」
「あぁもう、わかったわよ! あのイケメン兄さんがあんたなのね。はいはい、わかったわ! でも神様ってのは認められないわ。何よ、それ。だったらあの時、どうして私の願いを聞いてくれなかったのよ!」
「だからさ、無理なもんは無理なんだって。神様だって万能じゃねぇんだよ。わかれよ、いいかげん。それに俺はあの頃見習いだったんだぜ? 今と比べりゃ、蟻のうんこくれぇの力しかなかったんだっつーの!」
「あっそう! あぁぁぁっそう!? じゃー今はアリクイのうんこくらいにはなれたのかしらね、一人前の神様ぁ?」
「何だよ、失礼な! っつかうんこから離れろよ! 比べ物になんねーっつの。そ、それに、だな。俺がお前んとこに降りてきたのだって、偶然じゃねぇんだぞ?」
そう言ってまた目を逸らして、おっさん、煙草を吸ってる。あぁもう! 煙を鼻から出すな、鼻からぁっ! これだからおっさんは……って、あ、あれ? なんかおっさん、照れて……る? 空になったマグカップをテーブルに置いておっさんをまっすぐに見つめる。おっさんはやっぱり照れてるっぽい。え? 何? その答えは無理をしなくてもおっさんの方からあっけなく暴露してきた。
「だからさ、そのーーー、なんだ。アレだよ。俺なりのリベンジっての? 願い叶えてやれなかったの、あれだけなんだよ。立派な神になった俺様が、いっちょやったるかー、みたいなね。どうよ?」
「どうよって言われたって……それにまだ神様って信じたわけじゃないし」
「ねぇのかよ、馬鹿」
「え、だって……へっ!?」
「まぁいいわ。そんなわけでしばらくまとわりついてやるからそのつもりでいろよ?」
「ありがた迷惑だわよ。それに願いなら毎年毎年……」
そうよ、毎年この時期、願ってる。なんで私ばっかりこんなんなのって。救い上げてよ、幸せにしてよってずっと思ってる。あらためてお願いしなくたって、ずっとずっと、私はそう思ってるわよ。
それを何をいきなり……そんなのほいほい信じられない程度には、腹の中真っ黒で澱んでぐるぐるしてんだわよ。ずっと放置しておいて、何を今さらそんな事! 信じろって言われたって、もう期待するのも疲れたわよ。
腹が立ってきたのを紛らわしたいと感じつつ、私はおっさんをあらためてまじまじと見つめた。おっさんは首の後ろに手をやって、どうにもこうにもだるくてたまらないって顔して大あくびをしていた。
そんな時に突然、玄関のチャイム。誰か来る予定なんて、あったっけ? えっと、あぁそうだ。私が呼んだんだった。
「あ? あーそうだ、航! きっとコレ、航だわ……」
慌てて立ち上がり、インターホンのボタンを押す。
モニタ画面に映し出されたのは、やはり弟、航の顔だった。