なんだろう……航達のところから戻ってからこっち、宮司の機嫌がやたら悪い。っつってもまぁ、店出ればあいかわらずの接客っぷりなんだけど、でもやっぱりどっかおかしいような気がするんだよね。
「なんだぁ、ありゃ?」
「わぁ!」
「あ、驚かせちゃった? ごめんね、帆波ちゃん」
そう言って私の横にひょいっと現れたおじさんは、訝しげな顔で宮司を見てる。だよね、やっぱり変だと思うよね、宮司……。でもまぁ、だからってどうってわけでもないんだけどさ。
「帆波ちゃん、何があったか知ってる?」
「んー……よくわかんないけど、休憩時間に航達のテーブルに行って……戻ってきてからずっとあんなカンジかな」
「そっか。何か言われたのかな」
「わかんないですよ。私ここにいましたし」
「そっかそっか。まぁ、そうだよね。ごめんね」
「おじさんが謝ることじゃないですよ」
「そうだね……あと祥太郎さんね」
「しょ、祥太郎さん……」
おじさんはちょっと複雑そうな笑みを浮べて、またバックヤードに戻って行った。あれ、なんか用事があったんじゃなかったのかな……まぁ、何かあったら言うか。とりあえず、そろそろ片付けられるとこは片付け始めないと……もうすぐオーダーストップの時間になるもんね。
この店は場所柄やはり買い物のついでだったり、家事の合い間のティータイムだったりの客が多い。飲食可能な時間帯もそれに合わせ、夕方にはもうオーダーストップとなる。それ以降、客層はがらりと変わり、帰宅途中の会社員や学生などがメインとなる。ショーケースに並ぶ商品も、客層に合わせて入れ替わり、売れ残ることはまずないというからすごい。
満席でにぎやかだった店内も、航達が出て行ったのを機にひと組、またひと組と席を立ち始め、気が付くといつもより少し早め、オーダーストップを待たずに店内の客は誰もいなくなった。最後の客の食器類をトレイに乗せ、宮司がカウンターに戻ってきた。
「お疲れ〜」
「んー」
何とも気の抜けた返事をしながら、宮司がトレイをカウンターの上に乗せた。
「今日はなんか早ぇな、客足引くの」
「そりゃそうでしょ。バレンタインなんだし……おばちゃん達はいつも通り夕飯作りに帰ってるんだろうけど、やっぱカップルさん達はこれからってコトじゃないの?」
「あぁ、そっか」
宮司は首の後ろをかったるそうに撫でながら言った。テーブルを拭く為のダスターをいくつか宮司に手渡して、私は各テーブルに置かれてる紙ナプキンその他を引き上げるため、トレイを持ってカウンターから出た。
そういえば今日はずっとカウンターの中にいたなぁ。店長であるおじさんの指示だからそうしたけど、宮司、交代なしで接客なんて疲れたんじゃないのかしら? そんな事を思いながら宮司の方へ。私がテーブルの上のあれこれをトレイに乗せると、宮司がそのテーブルを丁寧に拭き、仕上げに乾いたダスターでその水分をきれいに取り去る。疲れているのか、話題がないのか、この時間はいつも静かで、変な緊張感の中でゆっくりと時間が流れていく。それが常だったんだけど、今日は宮司が口を開いた。
「お前……カミサマに何やらせてんの」
「え?」
おっさん、宮司にいったい何を言った? なんだこの残念なものを見る視線は?
「リベンジに来てるんだろ、あのおっさん」
「え、あぁ。おっさんから聞いたの?」
「まぁな」
作業する手を止めることなく会話は続く。私はいっぱいになってもう載せられなくなったトレイをカウンターに置き、新しいトレイを持って、また宮司のところに戻った。
「大変だったんじゃない、ずっと接客」
「んー……まぁ足はだるいわな」
「え、そんなもん?」
「そんなもんだろ。他になんかある?」
「いや……接客嫌がってたからさ」
そう言うと、なんかちょっと言いたげな顔して、その後またすぐ違う表情になった。あれ、なんだ!?
「だって、めんどくせぇじゃん。話しかけられたり、いろいろ」
「そう? でもけっこう楽しげにやってたじゃない」
「楽しくはねぇだろ」
「ふ〜ん」
会話が変なカンジに途切れ、それと同時に全部のテーブルが片付け終わる。私と宮司はそれぞれカウンターに戻った。宮司は使ったダスターをきれいに洗って、それを洗浄液に浸している。私はというと引き上げてきた食器を全部洗ったりっていう作業。洗い終わった後は破損したものがないかをチェックしながら丁寧に水分を拭き取り棚に片付けていく。
いつもはここらあたりでおじさんがバックヤードから出てきて交替してくれるんだけど。何かやってんのかな、なかなか顔を出してくれない。ダスターの方が終わった宮司が私の方の作業と手伝ってくれて、もうそろそろ終わりにできそうという頃になってやっとおじさんがバックヤードから出てきた。
「二人とも、お疲れさん。いやぁ、年に何回もないんだけどね、バレンタインはうちにしちゃー毎年忙しい日になるからね。本当に助かったよ、来てくれてありがとう」
「いえいえ。今は決まったアルバイトもしてないから、臨時収入で大助かりなくらいです」
そう言いながらはずしたエプロンをたたんでカウンタの上に置く。
「え? そうだったの? なんだ……言ってくれたら良かったのに。どう? このままここで働かない? 即戦力だし、こっちとしても新しい人を探すより帆波ちゃんが来てくれた方がいいんだけど」
「おい親父。調子こいてあれこれ頼んでんじゃねぇよ」
宮司が不機嫌そうにおじさんに言ったけど、まぁおじさんがそれくらい折れるわけもなく。
「どう?」
んー、どうするかな。まぁ悪い話じゃないけど、ってかむしろこっちも助かるんだけど。そうね、そうさせてもらっちゃおうかな?
「じゃー……はい。よろしくお願いします」
「ほ、本当にいいの?」
「お前、無理ならそう言えよ? 親父も何調子こいて頼んでんの」
「大丈夫だよ、宮司。バイト探す手間も省けるし、仕事の内容ももうわかってるし。うちからも近いし……なかなかいい条件だと思うけど?」
それでも何だか怒ったような顔の宮司は、勝手にしろと言って溜息を吐いた。おじさんはそんな宮司を見て父親の顔で笑うと、思い出したように私達二人をカウンター席に座らせた。
「何ですか?」
「二人とも頑張ってくれたからね。疲れただろ? 俺が店番やるから、まぁゆっくりしてから帰りなよ」
「いや、そんな気を使わなくても……バイト代だってもらってるんだし」
そう言ったんだけどおじさんは有無を言わさぬ笑顔で、そのまま行ってしまった。いや、ホントに気を使わなくってもいいのに。呆気にとられておじさんの方を見てたら、すぐ隣から舌打ちが聞こえた。振り返ると、今日1日のうちで最凶最悪に不機嫌な宮司がそこにいた。な……っ、何っ!?
「ど、どしたの?」
思わず聞いちゃったけど、宮司は溜息を吐いて立ち上がるとそのままカウンターに入り、先ほど片付けたばかりの食器を棚から出して飲み物の準備を始めた。
「あ、手伝う手伝う」
そう言って立ち上がったところに手をバシッと伸ばして制されて、何も言えずにすごすごと座る。
「いいよ。1日立ち仕事やってたんだし。そこ座ってろ」
「1日立ち仕事はそっちもでしょ」
「俺は当たり前だろ? だってここ、親父の店なんだし……何飲む?」
「あ。じゃぁカフェォ」
「『れ』……だよな。了解」
ムッカつくーっ! ほら、何あの顔!! っつーか、わかってんだったら聞くな!!
テーブルをばしばし叩いてたら、お客さんの相手してたおじさんが何事かとこっちを見た。やばっ、失敗。めいっぱいの愛想笑いを浮べておじさんに頭を下げる。お客さんは常連さんだったみたいで、何を話しているのかおじさんと二人こっちを見ながら何やら楽しそうに笑っている。クスクスと笑いながら両手にカップを持ってカウンターから出てきた宮司が、隣のイスに腰をおろしてそのカップをこっちに差し出す。私は礼を言ってそれを受け取り、まずは一口。ほんの少しだけ。