どれくらい話をしたのか……
気が付くと私はアパートの前の道で呆然と立ち尽くして、もう見慣れたその背中をただじっと見つめていた。
「……もういいのか?」
ゆっくりと振り返ったその人は、一歩、また一歩と私の方に近付いてきた。
「すごく、びっくりした……」
そう一言だけ搾り出すと、おっさんはただ黙って頷いた。
私はただ吐き出されるままに、取りとめのない言葉を連ねていた。
「何だかもっと言いたい事があったような気がするんだけど……いざ目の前にいるとさ、いろいろいっぱいになっちゃって。なんだか何をどう喋ったのか、もう全然覚えてないや。いや、覚えてるんだけど、言葉にならないっていうのかな。どうしていいのかわからないよ。てもさ、でもどういう事なの!? なんで?」
その質問には、少し間を空けてから返事が返ってきた。
「これはあの二人の願いだ。子ども達にもう一度会いたい。大きくなった子ども達に会って声を聞いてみたい。あの着物、あれだってお前のためじゃないって言ったろ? あれは……お前のおふくろさんのためのもんだよ。それと昔よく焼いてやった、何とかケーキ? それ、焼いてやりたいとも言ってたかな」
「何よ……無理って言ったじゃない」
「無理だよ、生き返らせるのは無理だ。でも、会わせてやるくらいなら俺にもできる。名乗るつもりはなかったようだけどな、あれは俺がいきなりつけたオプションだな。サプラ〜イズってな、みんなびびってたなぁ、ありゃ。すぐに別れることになるから、気付かれる前に去りたいとか言われてたんだけどな、俺」
「そう……」
「あぁしてやりたかった、もっとこうしてやりたかった。思い残した事があまりにも多かったんだろうな。死んでも死に切れないってヤツだ。二人してふらふらしてたところを俺が拾っちまったんだよ」
私はおっさんの言葉に耳を傾けるのが精一杯だった。おっさんもそれがわかるのか、私の返事があろうとなかろうとそのまま話を続けてくれている。
「お前はお前でずっと親を思い続けてるし、お互いのその強い思いが繋がっちまったんだろうなぁ。どっちに行くことも出来ずにいてな、二人とも。で、これはもうこいつらの願いを少しでいいから叶えてやるかな……的なことになって。それで初詣がどうこういう話になった時に今回のこのいろいろを利用することにしたんだよ」
そう言って、あちこちのポケットを探ってる。どうやら煙草を探しているみたいだけど、もう一本も残ってなかったみたい。おっさんは溜息を吐いて言った。
「帆波ぃ、おじさんに煙草買ってくんない? さっきの、アレ最後だったみたい」
まったく……何かいい話してるっぽかったのに、このおっさんは……まったく!
「ゴールド持ってんじゃない。アレで買えば?」
そう言って睨みつけたら、おっさん、目ぇ見開いて呆然としてる。あぁ、あれだ。ハトが豆鉄砲くらったような顔って、きっとこういう顔の事言うんだわ。あぁ、笑っちゃいそうなホドに、間抜けな顔だわ。
「バーカ、お前。知らねぇの? コンビニで煙草買うくらいでゴールド使うなんてありえねぇんだってよ? うるっせぇ女が言ってたぞ?」
あ、また笑った。いや、笑ってないんだけど、優しい気持ちがわかる。まぁ、いいか……煙草くらい。
「あ……」
「何? どうしたの?」
おっさんがまた困った顔をして頭をぼりぼり掻いてる。あぁ、もう! せっかくいいカッコしてても、そんな仕草じゃやっぱりただのおっさんじゃない! でも……なんか、いいかもね。どんな恰好してようが、おっさんはやっぱりおっさんなんだわ。
「ダメだわ、帆波。タイムリミットってヤツだ」
「どういう事?」
「……お前にもわかんだろ? 心残りが解消されたら、死んだ人間はどうなるよ!?」
「ん? えっと……ぁ」
「……そういうこった。早ぇとこ連れて帰んねぇと……いいか? 話はできたか、帆波」
「え? 私? だって、今回のはあの二人のためにやったことでしょう? 私よりもあっちに聞いた方が」
「はぁ……だからさぁ、帆波ちゃん。俺がさっき言ったコトもう忘れちゃった? しっかり溺れろって言ってんだよ、あがけって、そう言ってんだよ。わかんねぇかな」
まただ。笑顔だけど、おっさんまた怒ってる。それも……さっきとは比べものにならないくらい、ものすごく怒ってる……気がする。
「どっちが望んだとか関係ねぇだろう。会いたかったのはお前も一緒なはずだ。どうしてこんなところにいる? 航みたいに泣いて来いよ、離れたくないって言ってやれよ」
「……できるわけないでしょ。そんな事したら、またお母さん達どこにも行けなくなっちゃうじゃない」
「バーカ。お前、ほんっとに馬鹿だな。離れたくねぇなんて当たり前だろう、帰って欲しくねぇのも当然じゃぁねぇか。だいたい親なんてのぁ、子どもが元気でも幸せでも何でもかんでも心配で心配で仕方がねぇ生き物なんだよ。どうやったってそういう風にできてんだよ。だったら心配させてやれよ。かっこつけて、無理して作った笑顔なんか見せたって、そんなもん親にはバレバレなんだよ。そんなもん見たくはねぇんだよ」
……また腹が立ってきた。どうしてこのおっさんはこういちいちいちいち私の癇に障るコトばっかり! あ、でもそれだけ私の事わかってるってコト、なのかな。頭に来るってことは図星突かれてるってことだもんね。それはそうなんだけどさ。そんないきなり変われるわけ、ないじゃない。
「どうしろって言うのよ。私に何を言えっていうの?」
「いいからそういう事を何も考えねぇで、父ちゃんと母ちゃんの前に行ってこい! いっぱい泣いて、みっともなく縋って、何でもいいからその時思ったこと全部ぶちかましてこい!!」
そう言ったおっさんに引きずられる様にしてアパートの中に連れて行かれた私は、どうしていいかわからないままで両親の前に放り出された。