「さ、行って下さい。私はここを片付けなくてはならないので」
「あの、片付けなら私もお手伝いしますから……」
「かまいませんから。どうか、行って下さい」
なぜか強くそう言われてしまって、私は返す言葉を失ってしまった。
「じゃ、あの、すみませんけど」
「えぇ。ここは大丈夫ですから」
そう言って女の人は顔をあげた。
「帆波さん」
「はい?」
「気を付けて、いってらっしゃい」
サングラスは相変わらずはずさなかったけど、それでもその人はキレイに優しく、そしてなぜか幸せそうに笑った。
そしたら何だかわかんないけど、こっちまで嬉しくなってきちゃって……柄にもなく満面の笑みを浮かべてその言葉に応えてしまったのよね、私。
「はい。いってきます!」
でもちょっと嬉しくて、顔がにやけそうになるのを必死に抑えて部屋から出たら、ちょうど同じタイミングで航も部屋から出てきた……って、え? 何、スーツ!?
「あ、姉ちゃんもやっぱりやられたんだ」
そう言う航の顔もやっぱり私みたいにいろいろ抑えつけてる表情だった。まるで遅れてきた七五三みたいになって、気恥ずかしさがこみ上げてくるんだけど! 何となく目を逸らしながら廊下で突っ立ってたら、なんかヤバそげなおじさんが顔を出した。
「お、何とかにも衣装ってヤツだな、二人とも。でもまぁ、いいんじゃねぇのぉ!?」
その声は間違いなくおっさん。え? おっさんですって? まぁ確かにあのわかめな髪がおっさんだけど……ひげがキレイ。もっさりから整った顎鬚に変わってる!? さっきのサングラスの人みたいないわゆる「黒服」で、首にはもう一目でモノが良いってわかる落ち着いたボルドーのマフラーをかけて、これまた絶対に五桁はカタいぞってな高そうな黒のロングコートを羽織ってる。羽織るって何っ? 袖! 腕を通しなさいよ!!
まるで別人のように変貌したおっさんは、おっさんというよりはおじ様とでもいった風情で、神様というよりはもっと黒い……そうね、しいていうならば、死神? みたいな風だった。でも驚いたことに板についてるっていうか、着こなしてる。私や航みたいに、服に着られてない。それは私にだってわかる。
横を見たらどうやら航も同じコト、思ってたみたい。ピューッと口笛を吹いておっさんに声をかけた。
「すげぇさ、おっさん! やっべぇな、マジ神様ってカンジじゃね?」
「おぉぉぉうよ、航ぅ。おじさんがちょっと本気出せば、ざっとこんなもんよぉ!」
「あぁ、びびったびびった。で、どうよ? 俺らも何だかすげぇんじゃね? っつーかコレ、高いんじゃねぇの?」
「あ? そりゃ俺の金じゃねぇからわかんねぇな。いやしかしよく似合ってんぞ、航……帆波も。こうやってみたら、イイ女じゃねぇの!」
いきなり慣れない恰好させられて、いきなりそれを褒められて、いったい私はどうすりゃいいのよ!?
「……あ、ありがとっ」
そう小さくお礼をいうので精一杯だった。私はただ初詣に行きたかっただけなのに、なんでこんなコトになってるんだろう?
何をどう言ったらいいかわかんないでいたら、おっさんが玄関に向かって歩き始めた。
「ほれ、二人とも。行くぞ、初詣!」
「あ。待てよ、おっさん」
航がすぐに後を追って、私はさらにその後を追う。
慣れない着物だけど、それでも何だかすごく嬉しい。草履を履こうとしたら、さっきの女の人がバタバタと出てきて手をとってくれて、そしてまた手伝ってくれた。
その後ろにはもう一人、黒服の男がいる。あら……こっち、見てる? 何となく微笑みかけちゃったりとかしたら、なんか照れくさそうに笑顔で返してくれた。
「じゃ、行ってくる。お前ら、留守番頼んだぞ」
「はい、マスター」
「わかりました」
「え? 一緒に出かけるんじゃないんですか?」
私は思わずそう女の黒服に向かって言っていた。女の人は困ったように顔を歪めてから、今度は寂しそうな笑みを浮かべて言った。
「私達は留守番でけっこうです。どうぞ、楽しんできて下さいませ」
誘いを断わられ、少し寂しくて男の黒服を見たんだけど、やっぱり困ったような顔で首を振って、同じように拒否されてしまった。
玄関に立つおっさんを避けるようにして航が外に出て、私が続いて外に出ようとドアノブに手をかけた時、すぐ後ろでおっさんがさっきの二人に声をかけた。
「もういいのか、お前達」
え? 何の話? 思わず聞き耳を立ててしまったせいで何となく外に出そこなっちゃって、どうしていいかわからずにドアノブを握る手に力を込める。うぅ、込み入った話だったらどうしよう。
「はい、ありがとうございました」
「もう十分ですよ、本当に……」
何? 何でそんな声……黒服さん達、何でそんなに寂しそうな声を出すの? あの女の人、あんなに幸せそうな顔で微笑んでくれたのに! いったい、どんな顔をして今話しているんだろう……って思ったら、背中に視線。こ、この気配は……おっさん?
出てろって言われるのかと思ってドアを開けようとしたら、私の手の上におっさんの手が重なった。え? 何なのよ、いったい!
「予定変更だ。お前達、俺が帰ってくるまでここで待ってろ。で……おい」
会話の内容は半分くらいわかんないけど、でもなんか顔を上げちゃいけない雰囲気なのは何となくわかる。でも逃げようにもおっさんの手が! おっさんに抑えられてて私、どうする事もできないじゃない!!
「……はい」
おい、というその言葉に返事をしたのは女の人の方だった。何だろう、すごく戸惑ってる声、だよね? おっさんも、どんな顔で今喋ってるの?
「お前、他にもう一つ、何か言ってたよな。あれ……いいぞ。タイムリミットは俺が戻るまで」
「え……っ?」
「どれくらいかかるんだ、時間」
「え、あの……よろしいんですか。マスター」
「いいから言ってる。どれくらいだ?」
「……余裕をみても二時間あれば」
「二時間だな。わかった」
「あの……っ」
女の人が何かを言いかけた時、私の手の上のおっさんの手に力が籠もって、ドアが開いた。そのまま押し出されるみたいに外に出て、結局何だったのかわからないままに歩き出してしまった。
航とおっさんはあいかわらず馬鹿丸出しトークを炸裂させていて、私はそれに加わったり笑ったりしながら歩いていたんだけど、頭の中ではずっとさっきの会話がぐるぐると回ってた。どういう意味だったんだろう。
ずっと考え事をしていたら、突然目の前でパンッと手を叩かれて、私は驚いて我に返った。
「上の空ってカンジだな、姉ちゃん。着いたぞ、神社」
「え……あ、いつの間に?」
「おいおい姉ちゃん、しっかりしてくれよ! 人ゴミ、突っ込むぞ?」
「あぁ。う、うん」
歩いている間にどうやら年は明けたらしい。縁日の屋台が並ぶ参道は参拝客で溢れかえっていて、その吐く息が白くほわほわと上がっている。何よりすごい熱気だ。
慣れない着物に履物まで慣れないづくしの私は、あっという間に人の波にのまれてしまった。あぁ、ちょっと……待ちなさいよ、馬鹿弟! あんた彼女のエスコートとかしたことねぇのかよ! って、高校生にそれ求めるのは酷ってもんか。
「帆波!」
急に前方から手が伸びてきた。差し出されたその手は……。
「お、おっさん……」
「大丈夫か? 足、靴擦れとかないか?」
「……うん、平気と思う。でもちょっとまだ慣れなくて」
「無理すんな。足、痛かったら言えよ?」
そう言ったおっさんは、問答無用で私の手を取ると、自分の腕に掴まらせて歩き出した。あ、ゆっくりだ……これくらいなら、着物の私でもついていける……ってぇっ!! な、何おっさん相手にほわっとかなってんのよ、私! しっかりしなさい帆波! 目を覚ましなさいよ、望月帆波っ!!
「な……っ!?」
「な、何よ?」
こっちを向いたおっさんが、なんか笑いを堪えてる。何? どっかおかしい?
「お前ぇ……なんつーこえぇ顔してんだよ。せっかくキレイな恰好してんだからさ、おじさんにもいい夢見せてくれよ、帆波」
「いっ、いい夢って何よっ! おぉぉおおおおおおおっさんのために着たんじゃないわよ!!」
「あぁ。知ってる。そんなんじゃねぇよ、その着物は」
あれ? 何だろう……馬鹿にするでもないし、見た事ない笑い方だわ、今の。
「ん? おぉ、航からメールだ。帆波ぃ。あいつ学校のヤツに出会って一緒にいるらしいぞ。どうする?」
「え? あぁ、え〜っと、そうね。二時間後にアパートに戻れ。時間厳守、遅刻者には制裁を、って送ってくれる?」
「……了解。二時間、ね。お前さっきちゃっかり聞いてたな」
そう言われて笑顔でごまかす。そしてメールを送り終えて私達はまた歩き出した。おっさんはあいかわらず私に合わせてゆっくり歩いてくれてるんだけど……なんかちょっと、様子がおかしい……気がする。
ちょっと元気がないような、なんだろう……変なカンジ。
「おっさん?」
返事はなかったけど、そう声をかけてから少し経った時、目に見えてフラフラとし始めたおっさんは、急に苦しそうに顔を歪めて口を手で抑えると、蒼い顔をしてその場にうずくまってしまった。