「いやいや、本当に助かってるんですよ」
そう言ってなぜか照れて頭を掻いているのは宮司のお父さんの祥太郎さん。
私に『おじさん』でも『店長』でも『オーナー』でもなく『祥太郎さん』と呼ばせている謎は商工会の会長、佐藤さんの話でわかった。佐藤さんは駅前にある「スーパー ミヤサト」の店長さんだ。
「悦っちゃんにそっくりだもんなぁ、帆波ちゃんはなぁ!」
嬉しそうにそう言った佐藤さんの言葉に、祥太郎さんはたじたじだった。
悦っちゃんというのは私の母のこと。望月悦子。旧姓は深山、深山悦子だった。お父さんとお母さんが祥太郎さん、つまり宮司のおじさんと仲が良かったっていうのは知ってたけど……どうやらこの3人、お母さんを巡ってゴタゴタあったみたい。ちょっと詳しく聞きたい気もしたんだけど、そんな私の好奇心を察したのか、祥太郎さんに『いらん事聞いちゃダメだぞ、帆波ちゃん』と先に釘を刺されてしまった。
私のうっすらとした記憶では、お母さんは宮司のお父さんの事を祥ちゃんって呼んでいたと思う。まぁ娘と言っていいような年齢の、しかもバイトで雇ってる店員なのに「祥ちゃん」はさすがにないと思うから、おじさん的には譲りに譲って「祥太郎さん」なんだろうなって思ったりした。
今日は宮里の駅前商店街の人達と、いや、宮里駅前商工会っていうのかな? そう、それのお花見になぜか私も参加している。場所は人工池だっていう新池周辺に作られたけっこう大きな公共の公園、新池公園。池を囲むように植えられた桜はどれも立派で、この季節は毎年お花見の客で賑わっている。
屋台も出て明るく賑やかな一画もあるが、商工会の「いつもの場所」はそこから少し離れた静かな場所。まさに夜桜の下で気の合う仲間と一緒に酒を酌み交わすのにはもってこいの場所……なのだと佐藤さんが力説していた。
「帆波ちゃん、せっかくの週末にこんなおじさん達の相手させちゃって悪いねぇ」
赤い顔をしてそう言うのは酒屋の丸山さん。皆には丸さんと呼ばれている。
「どうせこいつが無理言ったんだろう? 本当に申し訳ないね」
そう言って、ちょっと薄くなって来た頭を撫でる。その横で心外だと言いたげな顔で丸さんを見つめるのは酒屋の長男、浩一さんだ。
「ちょ……親父、人聞きの悪い事言うなよな。それじゃ俺が帆波ちゃん無理矢理ここに連れてきたみたいだろ?」
「何だよ、違うのか?」
「違うって! ちょっと、帆波ちゃんからも何か言ってやってよ」
そんな風にいきなりこっちに話が振られてしまった。え、私? いや、無理矢理なんかじゃないんだけどな。っていうか、このやり取りもう何回目?
「ごめん……親父もう相当酔ってるっぽい。気にしないで」
「大丈夫ですよ、気にしてないし」
「そう? でもホント、ごめんね」
そう言って片手をあげてニカッと笑う。思わず笑い返す私をうらめしそうに見ているのは祥太郎さんだ。どうやら私が浩一さんに誘われて花見に来たのがちょっと気に入らないらしい。そうは言ってもなぁ……宮司も誘ったけど行かないっていうし。いや、それはちょっとわからなくもないんだけど。
私のバイト先で、宮司の実家である店にお酒を届けに来る酒屋の浩一さんとは、以前から品物の受け取りの合い間にあれこれ話は普通にしていた。最初は挨拶程度、時々天気の話。それがそのうちいろいろな話をするようになって、メールのやりとりなんかもするようになった。特に何って考えた事はなかったけど、自然な流れだったように思う。
それがある時、バイトの帰りに偶然出会って……それから時々、夜道に女の独り歩きは危ないから、とか何とか言ってバイトが終わる時間に現れて、私を家まで送ってくれるようになった。まぁそんなカンジだったかな。それから時々一緒に出かけたりするようになって……とまぁそんなこんなで、うん。
浩一さんは私よりも7つ年上の27歳。マルショウの長男で、下には弟と妹が一人ずついる。一番下の妹は確か私と同じ年だったと思う。そのせいか、7つ歳が離れているとはいえ、話を合わせるのがとてもうまい。何より人柄のせいなのか、とても話やすいんだよね。どんな話でもふんふんって聞いてくれるし、だからこっちもついついいろんな事を話しちゃう。
居心地がいい、っていうのかな? 安心するっていうか……あぁ! うまく言えないんだけど!!
「どした?」
不意に目の前にひょいっと私をのぞき込む顔が現れ、思わず驚いて目を見開いて飛び退く。
「わぁ!」
「あぁ、ごめんごめん。脅かすつもりはなかったんだけど……何かぼんやりしてたからさ、どうしたのかなっと思って。何? 酔っちゃった?」
酔うほど飲んでもいない。20歳を過ぎて飲めるようになったばかりで、さすがにちょっと、ねぇ?
「あの、私何か変でした? ぼんやり?」
「え? あ、うん。ぼんやりしてた。疲れちゃった?」
「まさか! すごく楽しいし……商店街のおじさん達の、隠れた一面を見てしまったというか」
それを聞いて浩一さんは、あははと声を出して笑った。そして私の肩をぽんと叩いて、そっか、と言ってまたニカッと安心したように笑った。周りにいたおじさん達がそんな浩一さんの事を盛大に冷やかす。
あ、あれ……そういえば私、浩一さんの……か、彼女、なのかな? なんかそんなカンジの流れになってるよね、これ。ここまで自然にふらふらと来たから、ちゃんと考えた事はなかったかも。まぁ嫌ではないけど。むしろ嬉しいけれど。
私の脳内のぐるぐるをヨソに、商工会の花見の宴席はどんどん盛り上がっていく。赤い顔をしてみんなにからかわれているのは、和菓子の老舗『志乃田』の篠田さんだ。
「それ言うならなぁ、憲ちゃんは出世頭だよなぁ!」
そう言って篠田さんにもたれかかってるのは、いつも行くコンビニの店長の渡部さん。ずっと続いていた酒屋をたたんでコンビニにした時はかなりもめたんだと、酔いが回ってからはずっと繰り返している。
憲ちゃんっていうのは篠田さんのこと。篠田憲次さんって言うらしい。『志乃田』の和菓子職人さんだったんだけど、先代の娘、今の女将との大恋愛の末に婿入りを決意したなんていう話はここに来てから知った。っていうか、渡部さんいろいろ喋りすぎ!
いつも使ってる駅前商店街のおじさん達にも若い頃があって、それぞれにそういう時代を過ごしてきたっていうのは当たり前の事なんだけど、酒の席の話とはいえ、それをいろいろ聞いてしまうと、何ていうか……お買い物の時に店長さん達を見るたびにその話を思い出してにやにやしちゃいそう。うちの両親と祥太郎さんの話もそうだけど、みんな青春してたんだねぇ、なんて。
「憲ちゃんズルいよなぁ。俺達のアイドル佳代ちゃんをなぁ」
「そうそう。俺達は婿に入れないから、みんな暗黙の了解みたいに佳代ちゃんへの不可侵条約を守ってきたってぇのによぉ」
「まさかあの憲ちゃんが佳代ちゃん掻っ攫っていくなんて、思いもしなかったよなぁ!」
「まったくだ!」
あっちこっちからそう言われて、憲ちゃん、いや、篠田さんがちっちゃくなって困ってる。
「だからもうその話は……ね?」
「ね、じゃないだろう!? 酒飲んだらとりあえず言ってやらないと」
「そうそう。俺達の気がすまねぇ」
「そんな……」
そう言って、篠田さんは本当に困った顔をしている。
それをおろおろと見ている私に、浩一さんがそっと耳打ちした。
「大丈夫だから見てなよ。この話はいつも最後は同じなんだ」
「どういう事?」
「いいからいいから」
浩一さんは楽しげにそう言って、手にしているお茶のペットボトルを半分ほど一気に飲んだ。
「浩一さんは飲まないんですか?」
「あぁ、俺? 俺はいいの。毎年片付け要員で荷物の運搬係だから」
「そうなんですか?」
「っそ。親父が運転してきた軽トラが駐車場に止まってんの。それに荷物載っけて運転してくからさ。俺はいつもコレ」
たくさんのソフトドリンクの入った箱を浩一さんが指差した。何か飲むかと聞かれたので、私はその箱の中の紅茶のペットボトルを一本もらった。
「あ、ほらほら。そろそろだよ」
ちょんちょんっと浩一さんに突かれ、促されるままに篠田さんの方を見る。篠田さんはあいかわらず、商工会のみんなにいじられていた。
「そんなに言うなら憲ちゃんさ、佳代ちゃんを俺達に返してよ」
「そうだよ、憲ちゃん。お前だけの佳代ちゃんを、またみんなの佳代ちゃんに戻してくれれば俺達だって、ちゃ〜んとおとなしくするって。なぁ!」
「そうだそうだー!」
「佳代ちゃんを返せー!」
そう言いながら、心なしか皆もニヤニヤと笑っている。え? 何!?
「来るぞ」
浩一さんがそう言って笑う。
それと同時に、篠田さんが手に持っていた缶ビールを一気に飲み干して言い放った。
「佳代子は誰にも渡しませんっ!!」
その途端にどっと笑いが起こる。浩一さんも笑ってる。
若干、置いてけぼりを食った感のある私だったが、それでも何だか勢いに飲まれて一緒に大笑いしてしまった。だって和菓子屋のおじさんのあんな顔、見た事なかったし!
笑ってると本当に楽しくなってくるもので、そんな私に商工会のおじさん達も気さくに話しかけてくれた。時々間違えて「悦っちゃん」と呼ばれることもあったりで、どうやらお母さんも若い頃にはこのおじさん達と交流があったらしいことを思わせた。
何というわけでもないいろいろな話や、客の立場である私が聞いてもいいのかなっていうような困ったお客さんのエピソード。宴会らしい宴会は、酔いが進むにつれて話があっちこっちに飛び回ったり同じ場所を回ったりで、それでも本当に楽しいものだった。
そんな中、やはりというか……店の「代替わり」の事が話題に上がる。まぁこう言っちゃなんだけど、イマドキなカンジの商店街ってわけでもないし、跡取り問題ってのはおじさん達の頭を悩ませているところでもあるらしい。
それでもまだうちの商店街はマシな方だと言った佐藤さんの言葉に、その場にいる誰もが深く頷いた。あら、今度は親父たちの熱い語りの時間に突入なのかしら。
そう思った時、もう店はたたんでしまった元・駄菓子屋のおばちゃん、近所でも有名な「世話好き」の西田さんが口を開いた。