「お一人ですか? お嬢さん」
……無視。無視よ、ここは。ひたすら無視!
「こんなキレイな浴衣の女性を一人にするなんて……そんな野郎はやめっ」
「やめないし。てか、何やってんのあんた」
「お嬢さん。言葉遣いがなってませんね。目上の男に対する態度ですか、それが」
はぁ……何? 何プレイですか? 何がしたいの、こいつは!?
「すみませんね、礼儀を知らなくって。そういう自分はどうなんですか? まぁこの世にあんたより目上の人間はいるとは思えませんけどねっ!」
「おやおや。そんなのわからないじゃないですか。ほら、沖縄県の何とか長寿村とかー? 皆さんお元気でいらっしゃいますよー。自分なんぞ、まだまだ若輩……」
「見た目いじれるだけじゃない! だいたい人間の寿命じゃあんたにはどうやったって敵わないでしょ」
「寿命が違うんだからさ〜、年齢を単に比べたって意味がないとおじさんは思うのよぉ。だからほら、なんだ。相対的? そうそう、相対的に見たらね、まだまだ自分なんぞ、若輩の中の若輩の中の……」
「だから何がしたいの、おっさん!」
あぁぁぁぁぁああああ、見ちゃった。見ちゃったじゃない、もう! てか何? 何だってこの人まで浴衣着てるわけ? 夏はアロハのちょい悪系で勝負だったんじゃないの!?
「あ? 気が付いたぁ? どうよどうよぉ? お前の母ちゃんが俺にも見立ててくれてぇ」
「ちょっ、うちの親に何やらせてんの? てかあんたここで何してんのよ!?」
「えー? 浴衣でー、花火を観に? あとは縁日〜」
「どっか余所で見なさいよ!」
「帆波冷たーい! ひどい! 似合うよーとか、何か言ってくれたっていーだろー?」
「お前は初デートの彼女か何かか! 乙女ってんじゃないわよ!!」
……あぁ、拗ねた。また拗ねたよ、このおっさん!
まぁ何て言うか髪を一つに結んで、何やらまたいつものように素材がよさげな、すごく高そうな浴衣をお召しになってらっしゃいますが! 確かに似合っていますけれどもっ! ムカつくけどカッコイイかもとか思っちゃったりしたんだけれどもっ! だ、誰が言ってやるか!!
「何だよもう……おじさん、悲しい」
「あー、はいはい。で? 何なの?」
一応話は聞いてやるよって思って、花火を見上げながらもおっさんの話を聞く体勢をとる。
おっさんも手すりに組んだ腕をついて空を見上げたままで言った。
「酒屋の兄ちゃんは? お前一人?」
「すぐ来るわよ。あ、あとさっき宮司に会った」
「ふ〜ん……そりゃまた奇遇なこった」
おっさんはそう気のない返事をして、袂に手を突っ込んだ。
「ダメよ。この橋の上、禁煙」
「えっ? マジか!?」
おっさんは滑稽な程に項垂れて、そのまま橋の手すりに頭をゴンゴンやっている。金属性のそれは中空になっているのか、おっさんのヘッドアタックは妙な振動となって私の腕にも響いてきた。
「それやめなさい。迷惑!」
「……ふぇ〜い」
おっさんはぶつけていた額を痛そうにこすりながら、また大きな音を立てて上がった花火をゆっくりと見上げた。
「綺麗だ……」
「……うん」
「日本の夏、ってヤツだな」
「……うん」
花火の打ちあがる音がするたびに小さく歓声が上がる。薄暗い橋の上で映画か何かの1シーンみたいに、空には幻想的な世界が広がる。ぼんやりと見上げていると、何だか夢でも見ているような気分になってくる。
そのせいだろうか。寂しさとも違う、妙な不安みたいなものが湧き上がってきて、思わず花火から目を逸らしてしまった。
「ん?」
私の様子が変わったのに気が付いたんだろうか。おっさんも視線を落として私の方を向いた。
「どうかしたか?」
うーん。何て言ったらいいんだろう、この気分。
「別に……どうもしないけど。何か変?」
「いや、別に……」
おっさんはそう言ったきり黙ってしまった。えー、黙っちゃうんだ。またいつもみたいに答え探しみたいののヒントくれたらいいのに。
そんな期待も込めておっさんの方を見てみたんだけど、おっさんは煙草を吸いたそうに落ち着かない様子。いや、そこは本業の方を頑張れよ、おっさん。あんたの前の子羊は今、迷いまくってぐるぐるなんだってば!
「お、そろそろ行くかな」
「え? 行くの?」
しまった。また図に乗らせてしまうような事を私は……。
「おぉ。深刻なニコチン不足によりおじさんは撤退だ。帆波は……大丈夫か?」
大丈夫かって……いや、どうだろう? 大丈夫だけどぐるぐるしてますっていうか……。
そんな気分が顔に出てたのか、おっさんは小さく笑ってから言った。
「お前はホント……」
そう言ってくしゃっと顔を歪める。え? え? ホント、何? なんでそんな顔してこっちを見る!?
「じゃ、俺行くわ」
「え? あぁ……うん」
肩透かしっていうか何ていうか。何だかすごく置いてきぼりなカンジ。
おっさんは手をひらひらと振りながら、下駄を鳴らして縁日の方へと消えて行った。やっぱり相変わらずの存在感で、擦れ違う人達がみんなおっさんの方を見ていた。
ぽつんと……橋の上に一人――――。
また大きな音と共に夜空に大輪の花が咲き始める。だけど私は何でかそれを見上げる気にはなれず、おっさんが歩いて行った方とは逆方向、芝生広場に向かってゆっくりと歩き始めた。
「はぁ……」
溜息というよりは、かたちを成さない自分の気持ちをどうにかしたくて声にして吐き出したような。困ったな、どうしたらいいのかわからない。足が、止まった。
人酔いしたわけでもない。帯が苦しくって気分が悪いわけでもない。
でも何だろう……ドキドキする。人がたくさんいるのに、何だかポツンとたった一人で……。