ツチヤ暮らしっく 【蒼天・Party Room】神様、お願いっ!

神様、お願いっ!<2013梅雨だというのに花火大会小説>


「何見てんの?」

 そう言いながらカウンターの中に来て私の隣に少し離れて並ぶ。

「いや、浴衣の子がけっこういるなぁって」
「見てたの?」
「うん」
「お前も着てくの?」
「……さぁ? どうしようかなぁって思ってたとこ」

 一瞬、謎の沈黙。

「……着てけば? 彼氏的には嬉しいんじゃないの?」
「そうかな? 動きづらいから手伝いとかできなくなっちゃうかな、とか」
「手伝いとかすんの? よくわかんねーけど」
「私もわからん。でも浩一さんは商工会のテントの中だし、抜けられるのかよくわかんないし」
「ふぅ〜ん。そういうのは俺わかんねーわ。わかんねーけど、彼女がキレイにしてきてくれて喜ばねー男はいねぇんじゃね?」
「……そんな期待はされても困る」

 また謎の沈黙。

「まぁ、好きにしたら? でも俺は浴衣に1票」
「なんだそりゃ、あんたには関係ないじゃん。でもまぁ……気が向いたら着てくわ」

 その時、予定通りに定刻から花火大会を開始することを知らせる花火がどんどんっと鳴り響いた。
 店内がいきなり慌しくなってくる。席を立ち、レジの方へと移動するお客さんが2組。他にも帰り支度を始める人達がちょこちょこ見受けられる。場所取りとかすんのかな? まだ余裕でお茶してる人達もいるけど、立った人達は誰もちょっと急いでいるカンジ。

 気配を察したのか、バックヤードから出てきた祥太郎さんがありがとうございますの声と共にレジに入った。私と宮司は席を立った客のいたテーブルを片付け始める。
 窓の外がまた少し慌しさを増してきて、それを察してか店の客が1組、また1組と席を立ち始めた。
 宮司はカウンターの中に入り、シンクいっぱいになった食器を洗い始め、私はテーブルをまわって片付けをしながら閉店に向けての準備をする。最後の一組が店を出ていくと、店の中は静かに流れるBGMと片付けの音だけになった。
 静かな靴音と共に祥太郎さんが近付いてきて言った。

「帆波ちゃん、もう今日はこれでいいよ。あがって」
「え? でもまだ……」
「大丈夫、諒もいるし。あれ、諒! お前何か約束とかあるの?」
「あー……高校ん時のヤツらからメールが来てっかもしんねーけど。まだ見てねーから今んとこ何もねぇ」

 宮司の口ぶりに祥太郎さんが呆れたように溜息を吐く。

「じゃあメール来てないか見てきなさい。帆波ちゃん、いいよ」
「そうですか? じゃ、そうさせてもらいます。お疲れ様でした」
「はい、お疲れ様」

 私が軽く頭を下げると、祥太郎さんは常連のおばさん達の心を魅了して止まない笑顔で頷いた。
 うわー、少し早く上がらせてもらっちゃったな。時計をチラリと見てバックヤードの方へと向かう私を、何か言い忘れたことでもあったのか、不意に祥太郎さんが呼び止めた。

「帆波ちゃん!」
「……はい?」

 思わず足を止めて振り返った私に祥太郎さんがにっこり笑って言った。

「俺も、浴衣に1票ね」
「は?」

 間抜けな声。

「着ないの?」
「あー……、そんなら着ましょう、か? えっと……2票? 入ったし」
「うん、いいね。そうしなさい」

 何か企んでいるようにも見える笑顔でまっすぐにこっちを見られて、ちょっとだけ常連のおばさん達の気持ちが理解できてしまって一瞬怯む。それをごまかすようにもう一度頭を下げてから踵を返した。
 バックヤードを抜けて休憩室に入ると、宮司が椅子に腰掛けてケータイのメールをチェックしていた。姿勢悪〜い、腰痛くなりそう。

「あれ、スマホに変えたの?」
「んー、あぁ。変えた」

 話しながらロッカーから荷物を取り出す。ついでに私もメールをチェック。着信1件と留守電、それにメールが1件。全部浩一さんからだった。
 周りのいたずらで無理矢理かけさせられたらしい謎の留守電メッセージと、その通話について弁解する内容と、会場に着いたら連絡して欲しい旨を簡潔にまとめたメール。それと……珍しく追伸。なんだろう?

『浴衣とか、着てくるの?』

「あ……」

 思わず声が漏れた。宮司が不思議そうにこちらを窺う。私は首を振って何でもないと応えた。
 あー、これで3票か。しゃーない……着てくかな、浴衣。

「じゃ、お先にね。宮司」
「んーあぁ、お疲れ〜」

 休憩室を出ようとしてふと振り返る。宮司はまだ慣れないカンジでメールを打っていた。

「あんたも行くの?」
「……んー? あぁ、花火?」
「うん」
「たぶん行く。今、真咲が人集めてるっぽい」
「真咲って、北村……だっけ? 北村君」

 聞き返すと宮司がスマホの画面から目をはずして私の方を見た。

「真咲覚えてんの?」
「え? まぁ……一時期友達の彼氏だったし」
「そうだっけ? よく覚えてねーけど」
「そうだよ。なんかスゴくマメな人ってイメージだったけど、今もそう?」
「だなー、あいつは変わんねーよ。てか皆あいかわらず馬鹿だよ」

 何かを思い出したみたいに、笑い噛み殺した顔で楽しそうに宮司が言うから……こっちまで思わず顔が緩んでしまった。たぶん今、私、母の顔ってな面構えしてると思うよ。

「なんだよ?」

 一転、宮司が怪訝そうに言うので、私は慌てて真顔に戻って言った。

「ううん、何でもない。あっちで会えるかな、皆久しぶりかも……」
「……お前は彼氏と一緒だろうが。俺ら見つけてもこっち来んなよ?」
「そっか。まぁいいや、お疲れ様。お先!」
「おー」

 宮司はもうスマホの方を見ていて、こっちを見もしないで挨拶の代わりのつもりか、軽くこっちに向けて手を上げた。
 さて……浴衣を着るとなると髪の毛もどうにかしないとだわ。待ち合わせとかはしてないけど……花火が始まるまでには行かなくちゃ。

 外に出ると町の熱気がダイレクトに伝わってきて鼓動が少し高くなる。程よく湿気を含んだ風が、髪に、肌にまとわりついてきた。さて、急いで帰らなくちゃ。
 私は人の波を逆流するように、風を切り、アパートへの道を自転車ですっ飛ばした。

 それにしても……浴衣、一人で着られるようになっといて良かった!