蒼月楼にて


 部屋に一人残ったユウヒはいきなり様子がおかしくなったスマルを気にしながらも、泣くだけ泣いたせいかすっきりとした気分で窓辺で風に当たっていた。

「あ〜あ、また派手に泣いちゃったなぁ…」
 ユウヒは握った両手を勢いよく上に上げて、大きな伸びを一つした。
「はぁ…うん、良し。もう大丈夫」
 そうわざわざ口に出して言うことで、自分の気持ちを確認する。

 ユウヒは鼻歌まじりに寝台のある部屋の方へと歩いていくと、壁にいくつか備え付けられている洒落た細工を施した灯に火を燈した。

「うわぁ…綺麗だなぁ、これ…って、あれ? えっ…何よ、これ。ぅげっ! なんで寝台が二つ? スマルと同じ部屋で寝ろってかぃ!」

 ユウヒは頭を抱えてしまったが、部屋はもう満室だと宿の主人が言っていたのを思い出し、部屋を替えるように頼む事は早々に諦めた。
 自分の荷物を窓際の寝台まで運び、窓の下の方に置くと、寝室にあった鏡台の前にユウヒはスッと立った。

「あちゃぁ、こりゃひどい顔だわ…明日までに戻るかな? たぶん浮腫んじゃうな」

 そうぶつぶつと言いながら、スマルが乾かしてくれた髪の毛に、丁寧に櫛を通した。
 鏡に映った自分を見つめて、改めて気を引き締める。
 時間は限られているが、考える事、やるべき事は余りにも多い。
 そしてユウヒは、今一番自分がしなくてはならない事は何かと思いを馳せた。

「スマルの、力の解放か…」

 ユウヒの表情がきりりと引き締まり、その目の奥に決意の火が小さく灯る。

「…気合い入れてもこんな顔じゃ今一つ、か。締まらないな、私…ちょい泣き過ぎた」

 鏡の中の自分を見つめて独りつぶやき苦笑すると、櫛を鏡台の引き出しに戻し、ユウヒは目を閉じて、自分の内側へと声をかけた。

 ――みんな、聞こえる?

 呼びかけたのは、常にユウヒと共にあるこの国の四神達にだった。

 ――はい、聞こえております。

 ――どうしたぁ、ユウヒぃ?

 朱雀と白虎がすぐに返事を返してきた。
 ユウヒはすぐさま言葉を続ける。

 ――相談があるんだけど、いいかな?

 ――かまいませんよ、何ですか?

 次に答えてきたのは青龍だった。

 ――うん…スマルの力の解放だっけ? どうしようかと思ってね。

 その言葉に、少し間が空いて青龍がまた返事をした。

 ――私達はいつでもかまいませんから。わからない事がありましたら教えますし。

 ――そっか、ありがとう。じゃ、スマルが戻ってきたら話してみる。ひょっとしたら皆を呼ぶかも。

 ――わかりました。

 玄武から返事が返ってくるとほぼ同時に、居間の方で物音がした。
 どうやらスマルが部屋に戻ってきたらしい。
 姿の見えないユウヒを探して、名前を呼びかけるスマルの声が寝室にまで聞こえてきた。

「…こっち! 寝室にいるよ」

 ユウヒはそう答えて、スマルのいる居間に戻った。
 少し前のユウヒと同じように、頭から布をかけて濡れた髪を拭きながら立っているスマルは、ユウヒの顔を見て安心したように笑みを浮かべた。

「なんだ…そっちにいたのか」
「なんだじゃないよ。何これ? 寝室は別だと思ったら…見た?」
「えぇっ!?」

 スマルが慌てて寝室の方へ足を運び、中を覗いて絶句する。

「ちょっ…」
「知らなかったの?」

 後ろから声をかけるユウヒの方を振り返ることなく、寝室を覗き込んだままでスマルが答える。

「知るわけねぇだろ! サクさんが宿とってた時、確かに俺も一緒にいたけどさ、まさか俺とお前で泊まるだなんて考えもしなかったし…」
「…だよねぇ。まったく、何考えてんだか、あの人」

 宿に泊まれと言ったサクの顔を思い浮かべ、ユウヒは呆れたように力なく笑うと、部屋を再度覗き込んで固まっているスマルの背中に目をやった。
 ユウヒがホムラの郷を出た時から比べると随分と髪が伸びていた。
 背にかかる長い髪はまだ濡れたままで、スマルの衣服の背を濡らして浸みを作っている。
 冷たくはないのだろうかと、スマルの様子をユウヒが窺っていると、スマルは不意に顔を向けてユウヒに声をかけた。

「俺、こっちの長椅子で寝るか?」

 昔は考える必要もなかったような配慮をする幼馴染みの言葉に、ユウヒは思わず苦笑する。

「かまわないから寝台使いなよ。いざとなったら四神の皆を壁にするから」
「何だよ、それ?」
「いや。あんたが何か気にしてるからさ」
「…そりゃぁ……なぁ…」

 困り果てた顔で耳の後ろをぽりぽりと掻いているスマルを見て、ユウヒはくすぐったいような寂しいような複雑な思いがこみ上げてきたが、そこは悟られないように笑みを浮かべてごまかした。

「ねぇ、背中冷たくないの? 髪、まだ濡れてるから、服まで浸みちゃってるよ?」
「え? …うわ、冷てっ!!」

 背中を見ようとして反り返ったスマルの背中に、濡れた衣服がはりついて、スマルは思わず声をあげた。

「馬鹿だなぁ。ほら、こっち来なよ」

 ユウヒが居間の円卓に備え付けてある椅子に腰掛けるようにとスマルを促した。
 スマルは戸惑いながらもユウヒの示した椅子に座る。
 肩越しに髪を拭く布をユウヒに渡したスマルは、円卓に置いてあった煙草に手を伸ばし、ゆっくりとした動作でそれに火を点けた。
 スマルが煙草を手に持ったのを確認して、ユウヒはスマルの髪の毛を拭き始めたが、その手はすぐにスマルに止められた。

「いい。やっぱ自分でやる」

 他人の髪の毛を触るのが好きなユウヒが、不機嫌そうにその手を突っぱねる。

「なんでよ? いいじゃん、別に…」
「お前のが力弱いだろ? いつまでかかるかわかりゃしねぇ…いいから、お前はどっかに座ってろ」

 そう言われては反論できず、ユウヒは黙って円卓の反対側に周り、スマルと向き合って座った。
 いかにもつまらなそうに頬杖をついてユウヒがスマルを睨んでいると、ふと思い出したようにスマルが口を開いた。