「ずいぶん遅かったですねぇ」
寒そうに腕を組み、身を縮めたカロンが声をかけてきた。
笑みを浮かべて謝るユウヒの後ろで、ジンが思わず苦笑する。
その顔を見たカロンが、意外そうに言った。
「へぇ…そんな顔もするんですねぇ」
「…何がだよ」
ジンが気まずそうに返事をすると、カロンはいつもの笑みを浮かべてジンに言った。
「なんか…娘を嫁にやる父親、ってな顔をしてますよ」
「そうか?」
そう言ってジンはまた煙草に火を点けた。
「ん〜…まぁ、そんなんかもな…」
否定もせずにそう言ったジンを、カロンが驚いたように見る。
「ど、どうしちゃったんですか?」
「いや、別に…」
そう言って目を細めてユウヒを見るジンは、どこか寂しげにも見えた。
「何を話してるの? カロン、すごい顔してる」
ユウヒが笑いながらそう言うと、ジンが余計な事を言うなとでもいうようにカロンを睨みつけ、仕方なくカロンは何でもないと笑顔でそれをやり過ごした。
不思議そうな顔をしながらもユウヒは何も言おうとはせず、視線を移し、スマルとサクに向かって声をかけた。
「お待たせしました。足りないものがあったら取りに戻ったりするかもしれないけど…とりあえずは大丈夫です。もう行けますよ」
「そうですか…」
サクが答えて、他の四人の方を向いて言った。
「では、ユウヒさんをしばらくこちらでお預かりしますよ。宿はライジ・クジャの大通り沿いにある蒼月楼というところです。馬鹿みたいに覚えやすい名前ですから、大丈夫ですよね? いや、自分が忘れちゃうからなんだけど…」
ユウヒが蒼月である事を知るカロンが思わず苦笑して漏らす。
「確かに、わかりやすいですね…」
「まぁな…」
ジンも苦笑して、心配そうにユウヒを見つめた。
ユウヒはその視線には気付いたが、あえてジンの方は見ずにサクに向かって言った。
「その宿に、私とスマルで泊まればいいんですね?」
「はい、そうしてもらいます。連絡方法や何かは…確認できたと思っていいんですね?」
サクがジンの方に視線を移すと、ジンが黙って頷いた。
「わかりました。では、そのようにお願いします。ユウヒにはジンに断わりなしでこちらの用事で動いてもらう事もあるかもしれませんが、それもかまわないですよね?」
「あぁ、問題ない。どんどん使ってやってくれ」
ジンは思わずふき出しそうになるのをこらえながら言った。
ユウヒも頷くことでサクの言葉に応えた。
「ここで焦って出方を間違えては全てが台無しになりかねない。気持ちは急いてしまいがちですが、慎重にお願いしますよ」
「お前が、な。サク」
ジンがそう切り返すと、サクがハッとしたように言葉を切って、ジンを見て苦笑した。
「まったくだ…気を付けるよ」
「お前もだぞ、ユウヒ!」
サクの返事の直後に今度はユウヒにジンは声をかけた。
「俺から直接指示も出ねぇが、お前を制止する事もできねぇ。あんまり無茶すんなよ?」
少し茶化したような物言いのわりに、ジンの視線はまっすぐにユウヒに向けられていた。
ユウヒは耳に残るジンの鼓動の音を思い出し、思わず身体に震えが走った。
「うん、わかってる。大丈夫だよ」
ユウヒはそう言って笑みを浮かべた。
ジンは視線をスマルに移して声をかけた。
「おい、スマル。ユウヒをよろしくな」
「…はい」
ジンとユウヒの間に流れる空気がいつもと違うことに何となく気付いたスマルは、神妙な顔をしてジンに返事をした。
「スマル、どうかした?」
ユウヒに横から顔をのぞかれて、スマルが驚いたようにユウヒを見つめた。
「どうした?」
「いや…なんか、妙な感じで…」
「ふ〜ん…そっか。まぁ、よろしく頼むよ、スマル」
「おぅ。あんま無茶すんな」
「…わかってる。まったく、私の周りは心配性の男ばっかりだね」
ユウヒはそう言って、スマルと顔を見合わせて笑った。
それを見たジンは安心したようにカロンと共に頷き、サクに声をかけた。
「サク、そろそろ行け。こんなとこで話してて、誰かに聞かれてたらそれこそややこしくなる」
「聞かれてまずいような言い方はしてないよ、でも…そうね、そろそろ出発しましょうか」
そう言ってサクは確認するように皆の顔を見回し、それぞれが頷いたのを確認するとその場を離れ、物陰につないであった騎獣を2頭連れて戻ってきた。
「ユウヒは…スマルと一緒でいいですか?」
「いいよ。スマル、頼むね」
「あぁ…」
三人が騎乗すると、騎獣達は嬉しそうに唸り声を上げた。
「では、また何かあったら連絡します」
サクが言うと、それに続いてユウヒとスマルも口を開いた。
「じゃあね、いってくる」
「失礼します」
スマルが軽く頭を下げると、ジンが煙草を持ったままの手をひょいっと上げてそれに応えた。
「よし。じゃ、出発だ」
サクがそう言って騎獣の手綱をひき、その腹を足でぽんと蹴った。
騎獣は一声鳴いて地面を蹴り、宙にふわっと浮かび上がりそのまま駆け始めた。
身体に提げられたユウヒの荷物が邪魔なのか、時折後ろを振り返るような素振りを見せていた。
「じゃあね、ジン。カロン」
「あぁ。いいから早く行け」
ジンの言葉にユウヒが頷くと、スマルとユウヒを乗せた騎獣も地面を勢いよく蹴った。
心配そうに見つめるジンとカロンの視線を背に、ユウヒ達を乗せた騎獣は都に向けてまっすぐに宙を駆け始めた。
やがて二頭の騎獣は小さな点となり、夜の闇の中に溶け込み消えていった。
「行っちゃいましたね…」
二つの点が消えた空を見上げてカロンが小さくつぶやく。
ジンの吐き出した煙草の煙が、冷たい夜風にかき乱されて流れていく。
「おい、飯、食ったのか?」
ジンの言葉にカロンが思わず笑みを漏らす。
「いえ、まだです。何か作ってもらえるんですか?」
「…まぁな。外は冷えるな、早く中に入ろう…」
そう言って店の中に入るジンに続いて、カロンもすぐ店の中へと姿を消した。
音もなく店の入り口の扉がしまると、夜の静寂が再び舞い降りてきた。
雲一つない夜空に突き刺さった上弦の月からは、蒼白い冷たい光が黒い海に落とされ、その白い破片はただ静かに波間にゆらゆらと漂っていた。