「あ、あとさ、ジン」
「ぁん?」
部屋を出て行こうとしたユウヒから、荷物を奪い取ったジンが顔を上げた。
「あっちではスマルが一緒だ。場所を確保できれば…あいつの力を解放しようと思ってる」
ジンは不意を突かれたような素振りを見せたが、すぐにいつもの薄笑いに戻って返事をした。
「その辺は…お前にまかせるよ。ほら、そっちの荷物も貸せ」
「持ってくれるの?」
「店の外までな」
「ありがと…あと、ジン。あの、本当に世話になった、ありがとう」
言われた通りに荷物を渡すと、いきなり向きを変え、深々と頭を下げるユウヒに、ジンはうろたえたように一歩下がり、持ってやるからと受け取った荷物をその場にぼとぼとと落とした。
「お、おい…」
ユウヒは頭を下げたままで言葉を続けた。
「なんかもう機会を逸しちゃって言い損ねてたんだけど…ありがとう。ジンには、もうどう言っていいのかわかんないくらい感謝してる。本当に、どうもありがとう」
ジンはそのユウヒの姿をじっと見つめていたが、やがて思い出したようににやりと笑みを浮かべると荷物をその場におろし、目の前にあるユウヒの頭を平手でばしっと音を立てて叩いた。
「いったぁ〜いっ!!」
いきなり叩かれ、体勢を崩したユウヒがよろよろとよろめいてジンの腕をつかんだ。
「何これぇ、仕返し?」
頭をさすりながらユウヒが顔を上げると、ジンがユウヒを馬鹿にしたように見下ろしていた。
ジンはにやにやと笑いながら何か言いかけたが、ふっと寂しげな笑みを浮かべると、ユウヒにつかまれた腕をすっと引き、よろけるように近付いてきたユウヒの肩をそのままぐっと抱き寄せた。
「…ジン?」
ジンの胸に顔を埋めたままでユウヒが声をかけると、ジンは大事なものに触れるように、ユウヒの髪を指でそっと撫でながら静かに言った。
「いいか、ユウヒ。都でお前が目にするもんは、お前にとっちゃ相当酷なもんだと思う。絶えろとは言わねぇ…ただ黙って見ていろとも言わねぇ…ただ何か行動を起こすつもりなら、よく考えろ。一時の感情に流されるなよ、ユウヒ。俺達はお前の味方だ、それを絶対に忘れるな…」
肩を抱いたジンの手に力が籠もる。
ユウヒは胸から響いてくるジンの声を、黙ったまま、目を瞑って聞いていた。
「何もかんも一人で抱えようとすんな。俺達がいる、スマルもいる。どうにもならなくなったら遠慮なく俺達を呼べ…いいな?」
ユウヒは頷くと、ジンの背中に両手を回した。
「ジン、さっきと言ってることが逆だよ?」
ユウヒがぼそっとこぼすと、ジンはふっと溜息のような息を漏らし、ユウヒの肩に顔を埋めて小さな声で言った。
「本音と建前だ。どっちがどっちなのかはお前が考えろ…」
「そっか…。ありがとう、ジン」
ジンの背中に回した手に力を籠め、ユウヒは聞こえてくるジンの鼓動にじっと耳を傾けていた。
肝心な事となると極端に言葉の少ないこの二人にとって、抱きしめることでしか伝えられない何かは本人達が思う以上に多い。
音のないその一瞬が、なぜかとても長い時間に思えた時、ユウヒの髪に指を絡めながら頭を撫でていたジンの手がぴたりと止まった。
「…じゃ…行くか」
どちらからとなくその身を引いて、離れていく指が名残り惜しそうにゆっくりと下ろされていく。
ユウヒは何かを思い切るように顔を上げた。
「うん。行こう」
そう言ってくるりと踵を返し、前を歩き出すユウヒの後姿に、迷いなどは一切感じられなかった。
頼もしくも危うい、王と呼ぶには余りにも小さな背中を見つめがら、ジンは撫でていた髪の感触が残るその指をぎゅっと強く握り締める。
そうしてまるで何もなかったかのように、床に置かれた荷物を持って、ユウヒの後を追った。
誰もいない店の中を暗さ以上に重たく冷え切っていた。
絡み付いてくる静寂を跳ね除けるように店の外に出ると、潮の香りをまとった夜風が、頬をなでてするりと通り過ぎていった。