「何か、問題でも?」
気まずそうに顔を背けるカロンに向かってサクが訊ねると、それにはジンが応えた。
「すまない。もう一度言ってくれ、サク」
サクは頷き、それまでの言葉を繰り返した。
「ですから、王の命により、ユウヒさんに宮の方へ上がってもらい、国外からの賓客をもてなす際などに剣舞を披露していただきたく…」
あいかわらずのその淡々とした口調は、サクの真意を推し量ろうとする面々の思いをことごとく跳ね除ける。
その場に緊張が走り、重苦しい空気が広がっていく。
ジンは苛立ちを隠そうともせず、話を続けた。
「それはいったいどういう事だ? 何がどうなっているのか、説明してくれ」
「説明してどうなるのですか? 言葉の通りです。何をそう苛立っておられるのか、そちらの意図の方がよほどわからない。何を説明しろというんです?」
サクの言うことは尤もだった。
王の命により宮に上がり、噂では夢だと聞いている宮での剣舞が実現する機会を得る事ができ、さらには待遇もそれなりに良いらしいとくれば、通常であれば喜んでその話に飛びつくことはあっても断ろうなどとは誰も思わない。
ましてやその申し出について、どういう事だか説明を求めるなど、あり得ないことだった。
重たい空気の中、誰も口を開こうとはせず、お互いに相手の腹の内を探り合っている。
誰もが次の言葉を探して、途方に暮れたように黙り込んだ。
そんな中、その沈黙をやぶったのはジンの溜息まじりのつぶやきだった。
「サクヤ…」
「……っ!」
身構えるようにサクが身体を震わせる。
ジンは机の上にあった煙草に手を伸ばして火をつけると、目の前のサクにも一本どうだとすすめた。
丁寧に断わりを入れているサクを横目に見ながら、ユウヒは書棚の方に置いてあった灰皿を持ってくると、机の上を滑らせるようにしてジンの方へそれをよこした。
そしてまた元のように椅子に座ると、不思議そうにジンに訊いた。
「サクヤ? サクじゃないの?」
ジンはどうやら腹をくくったようで、苦笑しながらユウヒの問いに答える。
「いんや…表向きこいつはサクって名前で仕事をしているが、本当の名はサクヤだ。ヒヅ文字で新月の夜を表す「朔夜」と書く」
そう言ってジンが宙に「朔夜」の二文字を書いて示す。
ユウヒがそれを見て頷くと、ジンは背中越しに意味ありげな視線をユウヒに送った。
「なんで、その名前を知っているんですか?」
下を向き、搾り出すように話すサクに、ジンは事も無げに返事をする。
「そりゃ知ってるだろ。お前がその名前を名乗るようになった時、俺達は一緒にいたんだしな」
はじけるように顔を上げ、サクは驚きの表情のままでジンの顔を見つめている。
「宮に入って、それなりの位置まで駆け上がっていくには、生粋のクジャ人であるとした方が何かと楽そうだと、お前が言い出したんだよな」
ジンの顔に薄笑いが戻ってきたのが、背後のユウヒにもわかった。
カロンもジンの考えを理解したらしく、三人のまとった空気から緊張感が薄れていく。
だが机をはさんだその向かい側にいるサク本人はというと、握った手が汗ばんでいる事にサク自体が驚くほどに動揺していた。
「このクジャではわが子の立身出世を望む親達が、自分の息子にこぞってサクという名前をつける。蒼月の片腕、朔にあやかっての事だが、その謂れを知っている者はほとんどいねぇ。だがこのクジャでサクと言ったら、男の名前の中でも一番一般的な名だ。だがサクヤともなると少し違う。ヒヅの言葉を知っている者であれば、そこから新月の夜という意味の朔夜を思い浮かべる人間も少なくない。お前はあの日、この国をあるべきかたちにと誓ったあの日に…」
「何故そんな話まで…あ、あなた方はいったい何者なんだ!?」
戸惑いで声の震えるサクが、得体の知れない何かを見るようにジンを見据える。
ジンは銜え煙草のままで腕を組み、首を傾げて苦笑した。
「なんでここまで言ってもわかんねぇんだよ、サクヤ…」
「…えっ?」
呆然としているサクに、今度はカロンが笑みを浮かべて声をかける。
「笑っちゃうほど鈍いですね、自分自身の事となると…本当にまだわからないんですか?」
「えぇ…?」
戸惑った顔でジンとカロンの顔を交互に眺めているサクを、ジンが呆れ果てたように鼻で嗤う。
「ぅーわ、態度悪ぃ…」
ユウヒが小声でつぶやくのを視線で一蹴して、ジンはあらためてサクの方に向き直った。
「仕方がねぇな。できれば黙っておきたかったんだが…これ以上隠してちゃ話が先へ進まねぇ。サクヤ、俺達はお前が使ってる翼だよ」