ランドセル 7.訪問者

訪問者


「どうでしたか?」

 ユウヒが口を開くよりも前にサクの方から声がかかった。

「大丈夫だそうですよ。今はまだちょっと店がこんなだから無理だけど…もう少し落ち着いたらお見せできると思います」
「そうですか! ありがとうございます」

 サクはホッとしたようにそう言って、小さく頭を下げた。

「じゃ、ゆっくりしてって下さい。あとでまたジンから話があると思うんで…」

 ユウヒはそう言って、また仕事に戻った。
 休みの前日ともなるとなかなか帰ろうとしない客達も、この日はさすがに翌日にそなえ、程ほどで切り上げる客が多かった。
 そんな中で、いつまでも酒を追加しては飲み続けているのはサクとスマルだ。
 空いた席を片付けたり、他の客の相手をしつつも、ユウヒはその二人の席の横を通るたびに呆れたように一声かけた。

「ちょっと! 大丈夫? もうずいぶん飲んでいるようだけど…」
「え!? あぁ、自分なら大丈夫。スマルさんは?」
「俺も問題ない」

 そう言ってまた酒の追加を頼む二人に、ユウヒは溜息混じりに返事をした。

「はい、お酒追加ね。あんまり酔わないで下さいよ? 剣がすっぽ抜けて飛んでった時に避けられないと死にますからね…」

 ユウヒはその他の空いた皿も手早く片付けて、その席をあとにする。
 その姿を目で追っていたサクが、スマルの方に向き直って言った。

「死ぬって? 本当に噂どおり、真剣なんですか?」

 唐突に聞かれて、スマルはさっきの会話を振り返る。
 そして、その疑問に納得したように口を開いた。

「そうですよ、あいつの剣は剣舞用の剣じゃない、実戦用です。本来、ホムラの舞い用の剣はその刀身が若干反り返っていて、彫り物などの装飾を施してある。何より軽いのが特徴なんです、舞い手がほとんど女だから…軽くしないと使い物にならない。だがあいつのは…俺達男が持つ物と同じなんです。刀身がまっすぐに伸びていて、形だけじゃなくその刃も、実戦で使えるように手入れされたものです」
「そう、なんですか。そりゃますます楽しみですね」
 サクはそう言って、茶碗に残っていた酒を一気に飲み干した。

 そんなやり取りからから半刻ほど経った頃、ジンがふらりと店内に顔を出した。
 そろそろ店も閉める頃かと、客達がざわつきながら身支度を始めると、ジンはそのままでいいとでも言うように手をあげてそれを制止して、苦笑しながら首を振った。
 なにごとかと窺う客達の視線を集めながら、ジンが向かったのはサクとスマルのいる席だった。
 サクが申し訳程度に頭を下げると、ジンはそれに手を上げて応え、そのままスマルの横に軽く腰掛けた。

「そろそろユウヒの準備もできそうなんだが…どうする? 本当に見ていくのか?」

 腕を組み、机に乗り出すような体勢で訊ねるジンに、サクは飲んでいた酒の茶碗を少しだけ口から離して答えた。

「もちろん。そのために来たんですから…」
 ジンが静かに頷く。
「そうか、わかった」
 そして真横のいるスマルの方をちらりと窺った。

「…ん? 何すか?」

 スマルが不思議そうに聞くと、ジンは親指で背後をちょいっと指して言った。

「ユウヒから頼まれた、あいつの剣を見てやって欲しい。お前の細工なんだろう? 手首がどうとか…何か言ってたぞ」
「なんだ? どっか壊れでも…あぁ、はい、わかりました」
 ジンが横にずれてスマルが席をはずした。
 残された二人でそのスマルの背を何となく目で追っていたが、先に視線を戻したジンが小さな声でサクに問いかけた。

「で、宮仕えのお前が直々に出向くとは、いったいどういう事だ? ただ噂の剣舞が見たいだけってわけじゃないんだろう?」

 一瞬、サクはハッとした様な素振りを見せたが、すぐにそんな気配も消し去り、ジンの言葉に答えを返した。

「何か知っているような言い方ですね…まぁ、詳しい事はあとでお話します」
「ユウヒの剣舞が終わったら、すぐに店を閉める。奥に部屋があるから、客が引けたらそっちに来てくれ」
「…わかりました」

 サクがそう言うと、ジンはおもむろに立ち上がり、パンパンッと二度、手を打って言った。

「今日はこれで店も終いだ! だがその前に…こちらのお客さんの希望で、ユウヒがこれから剣舞をやることになった! 良かったら見てってくれ!」

 ジンがそう言うと、わぁっという歓声が上がり、立ち上がった客が慣れた様子で机や椅子を壁際の方へ運び始めた。

「ほら、お前も手伝え」
 ジンに促されてサクも立ち上がりそれに加わる。
 程なく、店の中央に大きな空間が出来上がった。

 ジンが空いた皿や茶碗などを片付けるのを、他の客達が手伝い、調理場へと運んでいく。
 飲みかけの酒や食べ残した料理を手に、客達はそれぞれ自分の居場所を確保している。
 サクもそれに倣って、壁際の椅子に酒を手に腰を下ろした。
「ちょっといいか?」
 ジンは周りの客を気遣いながらも手早く床を拭き、食器の欠片などが落ちていない事を確認すると、そのまま調理場の方へと姿を消した。

 すると、今度はそれと同じ方向から、鈴の音が漏れ聞こえてきた。
 客達の間から、先ほど以上の歓声が沸きあがり、手を叩き、床を踏み鳴らして主役の出てくるのを今か今かと待ち構えている。

 何か話しているような声がした後、ついにユウヒが姿を表した。
 客達の歓声が波のようにうねり、熱気が狭い店内に渦を巻く。
 陽気に客達と言葉を交わしていたさきほどまでとは、まるで別人のような顔をしたユウヒが、鈴の音を足下に小さく響かせながらすぅっと店の中央まで進み、その場で小さく屈んだ。
 その途端、それまでのどよめきが嘘のように静まり、店の中は空気すらも動きを止めて静寂に包まれた。

 息を呑む音すらも響いてしまいそうな緊張の中、ユウヒが手を交差して剣の柄を握り締める。

「はいぃっ!!」

 掛け声と共に立ち上がり、右腕が伸び、剣が鞘から引き抜かれる。
 前方に伸ばしたその手が開き、掴んでいた剣が勢いに乗って飛んでいく。
 怯んだ目の前の客が思わず目をつぶるが、剣はその客に届くことはなく、その柄につけられた紐によって引き戻され、吸い寄せられるようにユウヒの右手に納まり、それと同時に左腕が伸び、逆側の客の方へと剣が飛ぶ。
「ひぃっ!」
 初めて剣舞を目にするのだろう。
 向かってくる切っ先に思わず声をあげ、頭を抱えてしゃがみ込む。

「大丈夫! 大丈夫!」

 ユウヒは笑いながらそう言って、くいっと左手を返して剣を自分の手に引き戻す。
 剣を両手にその場でくるりと回ると、ユウヒはにぃっと笑顔を見せた。
 それを合図に客達から、いっそう大きな声でどよめきが起こる。

「いいぞー、ユウヒ!」

「待ってました!!」

 その声に応えるかのようにユウヒは頷くと、客の手拍子に合わせて舞い始めた。
 剣を振り、足を踏み込む度、喧騒の中に鈴の音が軽やかに響く。
 酔いが回り、赤い顔をして手を叩きながら大声で騒ぐ男達の中で、サクだけが、一人ただ静かにユウヒの舞を見つめていた。