訪問者


「あれ? 何の話ですか? スマル、はい、これ」

 スマルが差し出された料理を受け取って机に並べる。

「これ、全部ジンから。サク、あいつは絶対俺の事忘れてるって、ジンが嘆いてましたよ」
 ユウヒが笑いながらそう言うと、サクはばつが悪そうに頭を掻きながら笑って言った。
「あぁ、やっぱりバレていましたか。いや、まったくその通りで…」
 そう答えながらも、視線はすでに目の前に置かれた料理に注がれていた。

「どうぞ、食べて!」

 ユウヒが言うと、サクもスマルも待ってましたとばかりに我先にとジンの料理を食べ始めた。
 その様子を嬉しそうに眺めながら、ユウヒがまた調理場へ戻ろうとすると、慌てて口の中のものを飲み込んだサクがユウヒを呼び止めた。

「待って!」

「え?」

 ユウヒが振り返ると、咽て咳き込んだサクが伸ばした手を振ってユウヒの事を呼んでいた。
 もう一方の手は苦しそうに喉元を押さえている。
 笑い出しそうになるのをこらえてユウヒが近付くと、サクは茶碗に残っていた酒を一気に飲み干して呼吸を整えた。

「あの…大丈夫ですか? それにそんな飲み方をしたら…」
「へ、平気です。ちょっ、ちょっと…口の中のものを慌てて飲み込んだから…」

 そう言って、サクはまた派手にごほごほと咳き込んだ。
 慌てて酒の残っていたスマルの茶碗に手を伸ばすと、了解を得るかのようにぺこっと小さく頭を下げ、またその中身を一気に喉の奥へ流し込む。
 とんと音を立てて茶碗を置くと、サクはゆっくりと深呼吸をして、やっとのことで落ち着いた。

「はぁ…あぁ苦しかった。あ、酒の方もね、これくらいで酔ったりしませんよ」

 呆れたようにスマルに視線をやると、サクの言葉を肯定するようにスマルはこくりと頷いた。
 ユウヒは二人の机にあった酒の瓶から、サクの茶碗に酒を注ぐと、あらためてサクに訊ねた。

「なんですか? 今、呼び止めましたよね、私の事」
「はい。あの、今日って剣舞は…その、やらないんですか?」

 サクはおもむろに訊いた。

「え? あぁ、ジンからも聞いてます。剣舞、見たいですか?」
 ユウヒがそう切り返すと、サクは迷いもせずに頷いた。
「はい、見たいです。それにお願いしたいこともちょっとあって、話がしたいんですが…」
「私と?」
「そうです」
 ユウヒは少し考えてから答えた。
「いいですよ、でもそういうの、全部ジンに相談してみないと…」
 ユウヒが言うと、サクはまた頷いた。

「では、そうして下さい。よろしくお願いします」

 そう言ったサクは申し訳程度に一礼すると、茶碗の酒を美味そうに音をたてて飲み込んだ。
 スマルは戸惑っているようなユウヒを見て、サクの代わりに声をかけた。

「そういうことだ。ユウヒ、ジンさんに頼んでみてくれるか?」
「…うん、わかったよ」

 ユウヒはそう言うとその場を離れ、ジンのいる調理場へと向かった。

「ジ〜ン〜!」

 ユウヒが呼ぶと、ジンは呆れたような顔をして振り返った。

「なんだよ、どうした?」
「うん。やっぱり剣舞を見せて欲しいって言われたよ、どうする?」
「んー、そうだな…その後の事を考えると、客が帰った後の方が話はしやすいよな」
「まぁそうだろうね」

 ユウヒが頷く。
 ジンは少し考え込んで、また口を開いた。

「よし。剣舞を見せたら今日はもう店を閉めよう。お前が疲れてるからとか何とか、その辺はどうとでもできる」
「うん」
「あいつ以外にもお前の剣舞を見たがってるヤツは多い。都じゃ金をとられるが、ここじゃタダだからな。もう少し店が落ち着いたら、お前は剣を取ってきて準備をしろ。客達には俺から話をする」
「わかった。じゃ、サクにもそう言っておけばいい?」
「頼む」
「わかった」

 そうしてまたお互いに自分の仕事を始めようとした時、その手を止めてジンが遠慮がちな声で言った。

「なぁ…ユウヒ」

「んー? どうした?」

 ジンらしからぬ声色に、ユウヒも店に行こうとしていた足を止めた。

「いや、何つぅか…」
「…? 何?」
 ユウヒがそう言って促すと、ジンは仕方がないと言ったふうに口を開いた。
「なんか、俺の方が指示出してる、よな? お前動かしてるよなぁ…」

 その言葉から、ユウヒはジンの言おうとしている事を察知した。
 王であるユウヒを、漆黒の翼の筆頭でしかないジンが動かしているという事実を、今さらのように気にしているのだ。

 ユウヒは呆れたようなにジンに向かって言った。

「あのさ、お互い行きたい方向は同じなの。だったら慣れてる方が道を示した方が楽でしょう? 何かあったら私だって遠慮なく言ってるんだし、だいたいこの店の主は誰よ! もっと堂々としてりゃいいじゃない!」
 ジンが苦笑しながらユウヒの言葉に耳を傾けている。
 ユウヒはそのまま話を続けた。
「いつか、私があるべき場所に立ったとしても、いいよ、ジンはそれで。だから今はなおさら、私は全然かまわない。何を今さら気にしてるの? 今度またそんなつまんない事言い出したら、次は蹴り飛ばすからね」

 ジンは守護の森でユウヒに思い切り叩かれたことを思い出し、思わず顔を歪めた。
 どうやら自分の言いたい事をジンが理解したらしいのを見届けると、ユウヒは静かに笑って言った。

「わかってはいるんだろうけどね。大丈夫だよ、私の思ってることは、おそらくあんたの想像してるのとほとんど変わりゃしない。そう思ってくれていいから」

 短い沈黙が流れた。
 それだけあれば、お互いの思いを確認するには十分だった。
 店に戻ろうとするユウヒに、ジンが出来上がったばかりの料理の皿を無言で押し付け、持っていけと手で合図をする。
 そしてジンは、今の会話などなかったかのようにそのまま次の料理の準備に入り、ユウヒは渡された料理を持って店に戻った。

 ユウヒが手にしている料理を目にして、手を上げて呼ぶ客のところにそれを運ぶ。
 他愛もない会話を少しだけすると、その客に挨拶をして席を離れ、ユウヒはサクとスマルの座る席へと足を運んだ。