歪み


 調理場の方から水音に混じって、何やらがちゃがちゃという物音が聞こえる。
 すでに店に出るように支度を済ませたユウヒが、洗い場でにぎやかな音をたてながらたまった皿を洗っていた。

「もうちょっと丁寧に洗え。割れるだろうが…」

 そう言ってユウヒに背後から近付くと、ジンは笑いながら頭を軽く小突いた。

「いてっ、大丈夫だよ。皿割るようなヘマしないから」

 お返しだとばかりに手についた水滴を掃うようにしてジンの方へ飛ばしたユウヒは、笑いながらまた皿を洗う手許に視線を戻した。
 ジンはそのユウヒの横に立ち、ふぅっと大きく息を吐いた。

「ライジ・クジャに行ったそうだな」

 ジンが言うと、ユウヒが皿を洗う手をピタリと止め、驚いたように顔を上げた。

「情報が早いねぇ。これも例のアレなの?」

 冷やかすような口調は、何もふざけているわけではない。
 誰かに聞かれても、他愛のない普通の会話にしか聞こえないようにという配慮からだった。
 それに気付いて、ジンも思わず顔が歪む。

「そうじゃねぇよ、さっき客から聞いたんだ。お前を昼間ライジ・クジャで見かけたんだそうだ」
「なんだ、そういう事か。で、そのお客さん、なんだって?」
「いや別に…物騒な界隈に入ってったから、あの辺は危ねぇってお前に伝えとけってよ」
 そう言って、ジンはユウヒの反応を待った。
「それだけ?」
 嬉しそうに聞いてくるユウヒに、ジンは怪訝そうな顔をしてこくりと頷く。

「それだけだ」

 ジンはそう言って煙草を銜え、その煙をゆっくりと肺の奥まで流し込んだ。
 吸い込まれた空気に触れて、焼ける紙煙草の葉がじりじりと音を立てる。
 横にいるユウヒを避けて、その反対側に顔を背けてジンは煙を細く長く吐き出した。

「で? 話は…ここで大丈夫なのか?」

 探るように問いかけるジンに、ユウヒは頷いて応えた。
 そして皿の入った桶の水をいったん全部流して新しい水に入れ替えると、がちゃがちゃと皿を濯いではジンの寄りかかっている調理台の上に、丁寧に重ねていった。

「今日私が都まで行ったのは、見世物小屋に私の剣舞を売り込みに行くためだったんだよ」

「はぁあっ!?」

 思ってもいないユウヒの言葉に、ジンが裏返ったような妙に甲高い声を出した。
 ジンの反応を見てユウヒは笑いをこらえながら、また口を開いた。

「ほら、店のお客さんが都でも私の剣舞が噂になってるって言ってたから。最初はね、その噂がどんなもんだろうって確かめるつもりだったの。そしたらまぁ、都に入ったらけっこう皆知ってる噂でね、それでこりゃ売り込めるんじゃないかって思ってさ」

 すべての皿を濯ぎ終えて、ユウヒは前掛けで濡れた手を軽く拭き、ジンの方を向いた。
 ユウヒが皿を洗い終えたのを見ると、ジンは煙草を銜え、使い終わっている鍋の類を重ねて洗い場に持ってきた。
 無言で桶の中に突っ込んだのは、有無を言わさず洗えということだ。
 ユウヒは苦笑して、また小さなたわしを手にすると、油のついた大鍋から洗い始めた。

「なるほどな…」

 苦虫をつぶしたような顔でジンが口を開いた。

「それであの界隈にいたってわけか。で、見世物小屋は見つかったのか?」

 ジンの視線が鍋を洗うユウヒの方に落とされる。
 ユウヒはその視線を感じて、洗い物をする手を止めて顔を上げた。

「見つかったよ。いや、驚いたよ。あの噂の剣舞の舞い手だって名乗りを上げるやつ、多いらしくてさ。偽者じゃないかってまずは疑われてね、追い返されそうになっちゃった」
「ほぉ…それで?」
「うん…」

 ユウヒは気まずそうにジンから目を逸らして、また鍋を洗い始めた。

「何かあったのか?」

 ジンが興味深そうにユウヒの顔をのぞき込む。
 ユウヒはジンの方をチラッと見て、すぐに視線を鍋に戻すとばつが悪そうに言った。

「ちょっと…脅してみた…剣で…」

「ハッ!」

 思わず噴出したジンが、店の方に聞こえないように声を殺し、腹を押さえて笑う。
 声を出せず、続きを話せと手にした煙草でひょいひょいと合図する。
 ユウヒは困ったような顔で、鍋を洗いながら話を続けた。

「いや、嘗められちゃ終わりだってのもあったんだけど…こっちの優位で話を進めたかったしね。噂の金蔓がわざわざ出向いてきてやったのにって、ちょっとね…そしたら、とりあえず剣舞を見せろって言うからさ、まぁちゃちゃっと舞って見せたんだよ。真剣使ってるから舞台の幕が切れちゃったりとかいろいろあったんだけど、それが逆にあちらさんにやたら受けてね。すぐに使ってもらえることになったよ。本物だって、わかってくれたみたい」

 ユウヒは一番大きな鍋を洗い終わると、水でサッと流してジンにどんと押し付けた。
 ジンはまだ笑いが残った歪んだ表情で鍋を受け取ると、側にかけてあった布巾でその鍋を丁寧に拭いて元あった場所に片付けた。

 ユウヒはその背中を見ながら、また口を開いた。

「見世物小屋って初めて入ったけど…なんか、言葉を失っちゃった。見世物って言ったって…」

 檻の中にいたのは、自分が治めるはずの国の民達、人間ではない種族の民だった。
 そういう者達は、確かに人間にはない能力を持つ者が多いというのは事実だが、実際にそれを見世物とし、下等な生き物として扱っている様を目にした時、ユウヒは自分が同じ人間という種族である事に吐き気すらを覚えるほど嫌悪した。

「あれが、この国の現実なんだね。なんて言ったらいいかわからないけど…私を雇う代わりに何人か解放してもらおうかとも考えたんだけど、あれで生計立ててる者もいるって聞いてたし…ひどいとは思ったけど、結局どうする事もできなかったよ」