その翌日。
昼前に出かけたユウヒが戻ってきたのは、夕方、店が忙しくなり始めるその少し前だった。
料理の仕込みも既に終わり、それを見計らったかのような客が、当たり前のように店の扉を開け、それぞれのいつのも席に腰を下ろしていく。
少しずつ増え始めた客の注文をジン自らが聞いて、めんどくさそうに調理場に歩いていく。
そしていくつかの注文を頭の中で反芻しながら、いつものように手際良く料理を仕上げ、焼きあがった肉を並べた皿に盛り付けていると、調理場にユウヒが顔を出した。
「ただいま、ジン」
薄笑いの男が銜え煙草のまま、菜箸を持った手を上げて応える。
ユウヒはあいかわらずのジンの様子に笑みを浮かべて言った。
「話があるんだけど…店手伝うの、先にした方がいい?」
全ての皿に盛り付けが終わったジンが、大鍋を置いて煙草を口から離す。
「まず剣を置いてこい。店はいい、話を先に聞こう」
出来上がったばかりの料理を盛った皿四枚を両手で器用に持つと、ジンは調理場を出た。
そしてふと思いついたように、部屋に向かうユウヒの背中に声をかける。
「で? 波風は立ちそうなのか?」
ユウヒは振り返って、おかしくてたまらないと言ったふうに、にやっと笑った。
「もちろん」
そう言って、ユウヒは自分の部屋の方へと歩き出した。
「やれやれ…」
ジンは呆れたようにつぶやいたが、内心なぜか愉快で仕方がなかった。
ユウヒとジンがお互いの正体を明かしたのは昨晩の事だ。
双方の目的はただ一つ。
――この国をあるべき姿に戻す事…―――
この国の行く末を大きく動かすであろう事実がはっきりとしたにも関わらず、ユウヒもジンもそんな事は億尾にも見せずに振舞っている。
交わす言葉の奥にあるものを考えると、総毛立つような高揚感を覚えるのだが、それをいつもの飄々とした酒場の店主の顔の奥に無理矢理押し込める。
この国の真の王、蒼月…―――
いつか現れるであろうその王の存在を信じて、これまでずっと無意味ではないかと思われる活動をずっと影で続けてきた。
その全てが無駄ではなかったと思える時がついに来た。
待ちに待った蒼月が、ついに自分達の前で名乗りをあげたのだ。
押さえ込んでも、それでもなお溢れてくる感覚に、思わず顔の筋肉が緩む。
ただこの男が薄笑いを浮かべているのは常日ごろからの事で、注文の料理を運んでくる銜え煙草のジンの表情を見たところで、何かに気付く客などいようはずがなかった。
「おい、ジン! 今日ユウヒはどうしたんだ!?」
常連の客から声がかかる。
ジンはひょいっと顔だけを声のした方向に向けて、めんどくさそうに返事をした。
「あぁ、ちょっと出かけてたからな。もうちょっとしたら出てくるよ」
「そうか! いや、今日の昼間、都でユウヒを見た気がしたんでな…」
「都? ライジ・クジャでか?」
少しその話に興味がわいたのか、料理をすべて注文した客の席に運び終わると、ジンはその客の方へと近付いていった。
「なんだ、聞いてないのか?」
不思議そうな顔で常連客がジンに訊ねる。
「いちいちそんなもん聞くかよ、めんどくせぇ」
「冷てぇなぁ、ジン」
そう言われてジンが苦笑する。
「…で? ユウヒをどこで見たって?」
「ぁあ? おぉ、ライジ・クジャのよぅ、市場から二本ほど裏の通りに入った…ありゃぁユウヒだったんじゃねぇのかなぁ?」
そう言って自信なさそうに首を傾げる客の横まで来ると、その席にある灰皿にジンは煙草の灰をとんとんと落とす。
「見間違いじゃねぇのか?」
ジンが言うと、その客は大げさに腕組みをしてうぅ〜んと唸りながら記憶を懸命に辿った。
「いや、あの腰に交差した剣はユウヒだったと思うぞ? あんな風に帯剣してる女なんて、そうはいねぇだろう?」
「…まぁ、そうだな」
すぐ側の柱にもたれかかって話を聞くジンに、常連客は首をさらに傾げながら言葉を続ける。
「あんまり奥に入っていくと物騒だろう? 声をかけようかと思ったんだが、何か探しているようでなぁ…手に持った紙を見ながら周りをきょろきょろしててな、目的の場所でも見つけたのかねぇ、どんどん行っちまって見失っちまったのよぅ」
照れくさそうに頭をばりばりと掻いて面目ないと力なく笑う客の肩を、気にするなという風にジンがぽんぽんと叩いた。
「ユウヒによぉ、あの辺は危ねぇぞって教えてやってくれよ、ジン」
「んー? あぁ、言っとくわ。面倒かけたな」
ジンは軽く手をあげてその客に礼を言うと、また調理場へと戻って行った。