「この火はどうするの?」
まだ当分は勢いの衰えそうにない炎を指してユウヒが訊ねると、やっと笑いのおさまったカロンがその問いに答えた。
「呪を施してありますから、燃え拡がることはありません。これくらいまで見届ければ、もうここから離れても大丈夫ですよ」
「そうなんだ。なんか二人とも、いろいろできるんだね」
ユウヒに感心したように言われてカロンが恐縮していると、ジンが横からカロンを小突いた。
「何を照れてんだ、馬鹿。おい、ユウヒ。お前これからどうすんだ?」
「え? どう、って…?」
ユウヒとカロンがジンの方を見ると、いつの間にか火をつけた煙草を銜え、呆れたように言った。
「ユウヒ。お前、これで店に帰って、またいつものように店で働くつもりか? 必要な情報は俺達が集めてやるし、お前が知りたい事は全部教えてやる。そのために俺んとこにいるんだろう?」
ジンの言葉にユウヒは頷き、視線を逸らしてあれこれと考え始めた。
その様子を見ながら、ジンはさらに言葉を続ける。
「あの店にいたら確かに情報は入ってくるだろうが、それだけじゃ何の波風も立たねぇぞ。次の一手だ、それをどうするかって聞いてんだよ」
「…私が決めるの?」
「他に誰が決めるんだよ、馬鹿」
「…馬鹿って言うな。う〜ん、次の一手ねぇ」
ユウヒは腕を組み、またいろいろと考えを巡らし始めたが、不意にひょいっと顔を上げた。
「ジン、ちょっと気になってんだけど…聞いていい?」
カロンとジンは顔を見合わせ、ユウヒの方を向いたジンが怪訝そうに答えた。
「かまわんよ…なんだ?」
「うん。あの、妖とかのことなんだけど…いい?」
「あぁ。どうした?」
ユウヒは一人つぶやいて自分の考えをまとめると、ジンの方を向いておもむろに聞いた。
「人外の種族っていうのかな、いるでしょ。そういう種族の人達って今はどうしてるの?」
「唐突だな」
「ごめん、でも気になっちゃって。時々町の中でも見かけるけど、虐げられてるんだったら普段はどうしてるんだろうって思って」
ユウヒは申し訳なさそうに言葉を付け加えた。
ジンは煙草の煙をふぅっと吐き出し、煙草を手にしたままでユウヒに説明し始めた。
「そうだな…今は生き難い町の中心部は避けて、自分達だけの部落のようなもんを作って暮らしていたり…森の中に入った者も多いな。どうにか生活しているようだけれど、中には悪いやつに捕まって、見世物小屋や何かで見世物になってる気の毒なのもいるって話だ」
「見世物小屋?」
「あぁ。妖達の中にもどうしようもないやつもいるもんでな、人間の同じような輩と組んで、そういう人身売買まがいの事をやったりしているのもいるって事だ。まぁそういう連中ってのは、人間とか妖とか関係なくどんなとこにもいるもんだ」
「そう…そうだね」
「あんまり気に病むなよ、ユウヒ。こればっかりは長い年月でそうなってしまったもんで、お前のせいってわけじゃない」
「わかってる…でも、やっぱりどうにかしたいって思うだろ? そういうために私はあるんだから」
「…そうか」
ジンは気のない返事をして、手にしていた煙草を少し勢いの衰えてきた炎の中に投げ込んだ。
「そろそろ、帰るか。話の続きは、道すがら聞かせてもらうとするよ…」
ジンのその言葉を聞いて、カロンが騎獣の方へと歩き出した。
大きな炎に驚く様子も見せずに、騎獣達はつながれた場所で静かに待っていた。
近付いてきたカロンに気付くと、三頭の騎獣達は嬉しそうな声をあげた。
そしてまるで甘えるようにカロンの身体に頭をすり寄せている。
カロンはそんな騎獣達を一頭一頭丁寧に撫でてやった後、周辺の木などに結びつけてあった手綱をほどき、三頭全てを連れて戻ってきた。
「さぁ、帰りましょう」
カロンはジンが言うところの人畜無害そうな笑みを浮かべると、手綱を二人に手渡し、自分は身を翻して軽々と妖獣に騎乗した。
それに続いてジンとユウヒも次々に騎乗すると、三頭の騎獣は勢いよく守護の森の空へと駆け上がり始めた。
あいかわらず何かを考え続けているユウヒは、眼下に広がる暗い森にも、そこから立ち上る煙にさえ目もくれずに、ぼんやりと前を行くジンとカロンの背を見るともなしに眺めていた。
心配そうに振り返るカロンに、ジンは放っておけと鼻で笑った。
「続きを話すと言ってましたよねぇ?」
カロンがジンに問いかけると、ジンは顎をしゃくってユウヒを指して言った。
「見てみろ。また何か考えてやがる…今は何言ったって聞きたい答えは何一つ返ってこねぇよ」
それでもやはりジンもユウヒの答えを待っているのだろう。
森に向かう時に比べると、ジンはかなりゆっくりとした速さで騎獣を操っていた。
カロンの騎獣もジンの騎獣の横に並び、同じようにゆっくりと宙を駆けていた。
「あっ!」
突然背後のユウヒが大きな声を上げた。
何ごとかとジンとカロンが振り返ると、ユウヒは騎獣の速度を上げて二人に追いつき、そのまま二人の間に割って入った。
「ジン、カロン。思い付いたよ、次の一手!」
ユウヒは嬉しそうに二人の顔を交互に覗き込んでいる。
その笑顔を見たジンは、呆れたような顔でユウヒに言った。
「その顔からして、ロクでもねぇ思いつきみてぇだな。どれ、言ってみろよ」
ジンに促されユウヒは口を開きかけたが、さっと顔を逸らし、また少し後方へ騎獣を退かせた。
「やっぱりな…何を思い付いたんだ、ユウヒ」
ジンが再度促すと、ユウヒはにやにやしながら口を開いた。
「要は波風立てりゃいいんでしょう? ねぇ、ジン。何日かに1回、店の手伝いができなくなってもかまわない?」
「はぁあ!? お前いったい何をやらかす気だ?」
「いいからいいから。何かあったら助けてくれるんだろ?」
「時と場合による! おい、言え! 何をしでかす気だ、ユウヒ!」
「ユウヒ、あまり危ない真似は…」
カロンまで口をはさんできたが、ユウヒは詳しい事を話そうとはせず、ただ楽しそうににやにやと笑みを浮かべるだけだった。
「店を空けるのはかまわん。もともと俺が一人でやってた店だ。でもお前…」
「そっか! ありがと、ジン。じゃー私、先に帰って風呂入って寝るからね。お先ぃ〜っ!!」
ユウヒは騎獣の頭を優しく撫でながら、速度をあげてくれるようにお願いすると、合図を送るように騎獣の腹を踵で軽くとんっと打った。
騎獣は嬉しそうに一声鳴くと、そのまま速度をどんどんあげ、ジンとカロンを置いて見る見るうちに小さな点に変わってしまった。
「行っちゃいましたね、ユウヒ…」
カロンが呆気にとられてぼそっとつぶやくと、ジンがくくっと声を出して笑った。
「とんでもねぇ、王様だぞ、あいつは。なぁ、カロン。面白くなってきやがったな!」
「はい」
カロンは嬉しそうに返事をすると、ジンと一緒になって笑い始めた。
「何をやらかすつもりかしれねぇが、こっからだな、カロン。忙しくなるぞ! さて、俺達も急ぐとするか!」
「はいっ!」
ジンとカロンがほぼ同時に騎獣の腹を蹴ると、二人の騎獣は競い合うように夜の空を駆け抜けていった。
背後に広がる暗い森から立ち上る細い煙は、その勢いも小さく弱いものになっていた。
炎に照らし出されほんのり明るくなっていた木々も、今ではもうすっかり周りの黒に溶けて拡がり、天まで届かずに散らばっていく煙は、やがて夜の闇へとぐんぐん引き込まれ、そのまま呑まれて消えてしまった。
静けさを取り戻した守護の森は、蒼い夜空高く輝く真っ白な月の下で、ただ静かにその姿を夜の闇の中に横たえている。
人間達が気付こうともしない様々な叫びや想いも、たくさんの弱く儚い命の輝きも、この国の闇、そのすべてを優しくその内に抱きかかえた森は、暗い重たい夜空の下で、光輝く朝が来るのをただ静かに待ち続けていた。