日も傾き始め、早めの夕飯を済ませたジンとユウヒの二人が他愛もない世間話に花を咲かせていると、店先で物音がして何者かが入ってくる気配がした。
「遅くなりました」
そう言いながら頭を下げ、近づいてきたのはカロンだった。
いつもの商人風の服装ではなく、その身なりはジンが身に着けているものによく似た武人風で、さらさらと指どおりの良さそうな黒い髪は後ろで一つに束ねてあり、顔にかかる後れ毛を鬱陶しそうにかき上げている。
「食事は済みましたか?」
そう声をかけてきたカロンを、ジンがにやにやしながら何か言いたげに見つめている。
「あれ? 何だか雰囲気がいつもと違いますね」
ユウヒがそう言うと、カロンが少し照れくさそうに頷き、横目でジンを見て皮肉っぽく言った。
「ちゃらちゃらした服装で来るなと言われましたからね」
「ちゃらちゃらって…」
ユウヒが呆れたと言わんばかりにジンを見ると、ジンは悪びれた様子もなくただにやっと笑ったが、珍しくすぐに真顔になって二人に声をかけた。
「すぐに出るぞ。日没前には守護の森に入るからな」
「え? もう?」
ユウヒが驚いたように言うと、ジンはこくりと頷いた。
「カロン、馬の手配は出来たんだろうな?」
「それが…女性がいると言ったら、騎獣を借りられたんですよ」
カロンがしてやったりとばかりに笑顔を見せると、ジンが負けずに言い返した。
「その人畜無害そうな笑顔で、どんな嘘を並べ立てたのか、ぜひとも聞きたかったな」
「おい、女がいるってのは嘘じゃないだろう、ジン!」
横からユウヒが割って入ると、ジンとカロンは顔を見合わせて笑った。
「まぁ、そうだな…で、ユウヒ。剣はちゃんと持ってんだろうな?」
「…持ってるよ」
はぐらかされたユウヒがムッとして答えたが、ジンはかまわずに話を続けた。
「ならいい。使うかどうかはわからんが行く場所が場所だ。念のため、な…よし。じゃ、行くとするか。ユウヒ、騎獣は大丈夫だよな?」
「そういうのは先に聞くもんじゃないの? 大丈夫だからいいけどさ」
ジンがいつもの薄笑いを浮かべて頷いた。
「遅れないようについて来いよ」
店の外に出ると、日はもう随分と傾いていた。
だが、騎獣で宙を駆けていくとなればおそらく半刻もしないうちに守護の森には到着できる。
ユウヒは二人の目的がいったい何なのかを必死に考えながら、用意された騎獣に乗り、その手綱を握り締めた。
虎に似た容姿のその妖獣は、よく知る白虎よりずいぶんと小さかった。
騎獣としての利用のために鞍などが備えてある分、思った以上に騎乗するのが容易かった。
先に宙を駆け出したジンとカロンの後を追うように、ユウヒの騎獣も勢いよく地面を蹴って空へと駆け上がる。
「大丈夫か?」
そう言って振り返るジンに、ユウヒは片手を上げて応えた。
前を行く二人は、明らかに騎獣に乗り慣れていた。
一介の商人や酒場の主人が、借りの姿だということは一目瞭然だった。
――もう正体がバレてもかまわないって事なのかな?
ユウヒは一人あれこれ思いを巡らせながら、二人の背中を追って行った。
海の向こう側に日が沈み始め、その光を反射した海面がきらきらと光って遠めにもまぶしい。
時々振り返りながら前を進んでいくジンとカロンは、別にその光景に目を奪われているわけではなく、ユウヒの様子を伺っているのだという事は後ろを行くユウヒ本人も気付いていた。
緊張のためか、手綱を握るユウヒの手が少しずつ汗ばんでくる。
――いったい何をする気なんだろう…
おそらく自分も、何かしら明らかにしなくてはならないのだろうと、ユウヒは覚悟を決めていた。
ただそうは思いながらも、何とはなしに騎獣に乗り慣れていない風を装っている自分の事が、ユウヒはおかしくてたまらなかった。
――まぁ、なるようになるか!
ユウヒは妖獣の腹を軽くトンと踵で蹴った。
「ごめんね。前の二人に追いつきたいんだ。もう少し急げるかな?」
そう話しかけると、言葉がわかることを不思議に思ったのだろう。
獣は驚いたようにユウヒの方を振り返り、そして言われた通りにぐんと速度を上げて前の二人に近付いていった。
「言葉がわかるんだね。騎獣として利用できる妖獣はとても頭が良いって聞いたことがあるけど…すごいね、お前はかしこいね」
傍目にはユウヒが独り言を言っているかのように見えたであろう。
騎獣の背にぶつぶつと話しかけているユウヒの内側に、青龍の声が響いた。
――あなたが蒼月だからですよ、ユウヒ。人間の言葉でありながらその思いを言の葉に乗せて伝えることができるのは、あなたが蒼月だからです。
それを聞いてユウヒは嬉しそうに微笑んだ。
「へぇ…そういう事だったのか」
そう言ってユウヒは身を前に乗り出して、冷たくなってきた風に撫で付けられた妖獣の毛並みを愛おしそうにゆっくりと撫でた。
「よろしくね。こんなんだけど、蒼月の名をもらった者なんだ、私。って、言ってもわかんないか…」
その時だった。
妖獣の思いなのだろう。
声として発せられたものではない何者かの思念が、ユウヒの心に伝わってきた。
それは、蒼月としてのユウヒを歓迎しているかのような、温かい思いの断片のようなものであったが、それを感じ取ったユウヒは自然に穏やかな笑みを浮かべた。
大きな運命に立ち向かおうとするユウヒにとって、蒼月である自分を受け入れてもらえるということはこの上なく嬉しい事で、自分の中で王である事への小さな自信にも繋がった。
「ありがとう」
ユウヒがそう言いながら妖獣の背を撫でていると、前方から声がかかった。
「ユウヒ! あれが見えるか?」
ジンが指差す方を見ると、森の木々が少し途切れている部分があった。
「あそこが目的地だ。俺とカロンは先に行く。お前はあとから来い!」
ジンが話している間にも、カロンは速度を上げてどんどん先へと駆けて行ってしまった。
そしてジンも言うだけ言うと、すっと前方を向き、そのままカロンのあとを追った。