神の遣い


「最初はね…」

 ユウヒがおもむろに話を始めた。

「最初はただ、その黄龍の涙が本当にスマルのものなのか知りたかったの。でもチコ婆の話からすると、それはもう間違いなさそうだよね。スマルが神の遣いってことになる。でね、皆に聞いたところだと、昔は神の遣いなんてもんはなかったらしいんだ。皆はチコ婆からの手紙で初めて知った言葉だって言ってるの」

 そこまで話を聞いたところで、スマルが郷塾の講師に質問する子どものように手を上げ、ユウヒの言葉を遮った。
「皆が…って、誰のことだ?」
「あぁ、四神の事だよ」
「…わかった。続けて」

 ユウヒは頷き、また口を開いた。

「神の遣いってのは知らないけど、黄龍の涙を所有する者が土使いっていうのは間違いないらしい。だから皆はそれを伝えようとしていたのが、いつの間にか歴史の中で神の遣いなんていう話にすり替わったんじゃないかって考えてる」

「あ、ちょっと。土使いってのはなんだ? さっきもそんな事言ってたな」
 スマルがまた手を上げてユウヒの言葉を止めて言った。

 ユウヒはまた頷き、そしてゆっくりと髪をかき上げながら何から説明しようかと言葉を探した。
「えっと…スマルは郷塾で習った五行っていう考え方、覚えてる?」
 いきなり話の内容が変わり、スマルは戸惑ったような表情を一瞬見せたが、すぐに思い直したように黙って頷いた。

 ユウヒは話を続けた。

「だったら話は早い。皆が言うには、この国もやっぱり五行が均衡を保って成り立っているんだそうだ。で、守護神である四神はそれぞれ、火、水、金、木を司ってる」
 スマルが何かに気付いたように顔を上げてユウヒを見た。
 ユウヒは頷いて言った。

「そう。五行には一つ足りない。この国のかたちである五行を成り立たせる最後の一つ、土を司る者、つまり土使い。それがお前だ、スマル。神の遣いって言われてる者は、そういう宿命を背負ってるらしい」

 ユウヒは少し苦しそうに顔を歪めてスマルを見つめた。
 スマルは呆気に取られたような顔でしばらくユウヒを見返していたが、その視線を自分の首から提がる勾玉に移すと、右手でそれを握り締め、何かをじっと考えていた。
 部屋の中の空気が緊張で張り詰めたように動かない。

 じっと緊張した様子で、ユウヒはスマルの言葉を待った。
 スマルは黙ったまま、ただ勾玉の感触を確かめているかのように握り締めた手を開いたり閉じたりして、手の中の勾玉を見つめている。
 そんなスマルを、ユウヒは静かに見守っていた。

「なぁ…」

 スマルが口を開いた。

「本当にそんな力が、俺にあると思うか?」

 ユウヒには応えられなかった。
 ただ首を横に振り、わからない、と小さな声で伝えた。

「そうか。俺にも正直、わからんな。これを渡された時にも力がどうとか言われたが、その時も今も、これを首から提げている以上の変化は俺にはない」
 スマルはそうは言いつつも、実は何かあったのではないかと念のため記憶を辿ったりもしてみたが、やはり何度思い返してもそれらしい事は何一つ浮かんでは来なかった。
「俺にそんな…四神と共に五行を成り立たせるような、そんな力があるなんて、到底思えねぇな」
 スマルの正直な気持ちだった。

 それを聞いて、ユウヒも苦笑して言った。
「私にも、正直なところわからない。でも黄龍の涙を持つものが土使いだっていうのは、どうも間違いないらしいんだよ」
「神の遣いってのが、それを伝えようとしてできた言葉ってのはまず間違いないだろうな。でもこれを持ったからと言って…俺は今も昔も何も変わらんぞ?」

 スマルは戸惑いを隠せないようだった。
 ユウヒも、これ以上どうしていいかわからなかった。

 黄龍の涙を手にした後もそれまでと何も変わらず、特別な力もなさそうだとスマルは言った。
 まだ伝えなくてはならない事は残っていた。
 だが、スマルの言葉にすがりたい気持ちがユウヒの中にあった。
 黄龍の涙の持ち主であっても、スマルが土使いというのは何かの間違いなのではないか?
 ユウヒは心のどこかでそう思いたかったのだ。

 ――土使いは、王や四神達と共に、他の人間とは別の時間を生きていく。

 スマルの人生を大きく変えるであろうその事実を、ユウヒは伝えられずにいた。