部屋の中は異様なほど静かだった。
時折、長い手紙を手繰る音がするだけで、店内の喧騒すら何かに跳ね返されているかのように二人の耳には届いてこなかった。
「…読んだぞ」
沈黙をやぶるスマルの声が低く部屋に響いた。
だがそれに対するユウヒの返事はなく、部屋に再び静寂が戻ってくる。
スマルが手紙を巻き直している音が、シュルル、シュルルとやけに耳についた。
巻き終わった手紙をまた元のように紐で結んで机の上に静かに置くと、スマルは手酌で酒を茶碗に注ぎ、それを一息に飲み干した。
ユウヒはそんなスマルの方に視線を向けてはいるが、その眼に力はなく、ただぼんやりとしているだけのように見えた。
「おい…」
スマルが声をかけたが、やはりユウヒからの返事はない。
「おい!」
「えっ!?」
驚いたように声を上げて、ユウヒがビクッと体を強張らせた。
「あぁ、何?」
「何、じゃねぇだろ。手紙を読み終わったって、そう言ったんだよ」
「あ、そっか。そうだ、そうだった…」
動揺しているのか、言葉を探しているのか、ユウヒの様子が明らかにおかしい。
かと言って今のスマルには、その様子を見守りながらもユウヒに問い返すしかなかった。
「で? この手紙の…」
スマルが机に置いた手紙をとんとんと指で突いた。
「お前が生まれる前の年に生まれた『神の遣い』ってのが俺なんだな?」
ユウヒはスマルの方を見つめ、そして黙ってこくりと頷いた。
「そうか…お前は神の遣いっての、知ってたのか?」
ふぅっと一息つくと、徐々にユウヒの眼に力が戻ってきた。
「…いや、知らなかった。その手紙で初めて聞いた言葉だよ」
今度はユウヒの言葉にスマルが黙って頷いた。
やっと口を開いたユウヒだったが、いくら待っても次の言葉が出てくる気配はない。
スマルは少し考えて、話しても意味のない事かもしれないと承知の上で、まず自分の知っている事を先に伝えてユウヒが落ち着くのを待つことにした。
「俺も神の遣いなんてものはチコ婆に言われるまで知らなかった。キトは知っていたようだけど詳しい事までは知らんらしい」
ユウヒは黙ってスマルの言葉に耳を傾けていた。
スマルはユウヒの茶碗と自分の茶碗に酒を注ぐと、首に提げていた勾玉の首飾りを外してユウヒの前に置き、また話を続けた。
「そいつは郷を出る日にチコ婆から渡されたもんだ。これから先、肌身離さず持っていろとその時言われた」
ユウヒの手が首飾りの方に伸び、勾玉に指が触れた。
その冷たい感触に一瞬戸惑うような動きを見せたが、大切そうに手のひらの上に置くと、今度はじぃっとそれを見つめている。
スマルはそんなユウヒを心配そうに見つめながらも、酒で喉を潤し、そのまま話の先を続けた。
「そこについてる勾玉は、俺が母親の腹の中から出てきた時に握り締めてたものらしい。そういう赤ん坊を神の遣いと言ってるようだが、その辺は詳しく聞かされていない。ただ…この石を手にする事で、俺は俺の中に眠っているある力を呼び起こすことができるんだそうだ」
スマルのその言葉に、ユウヒはハッとしたように顔を上げてスマルを見つめた。
「まぁそう聞いてはいるが、実際これまで身に付けていても、その力とやらが何なのか俺には全くわからん。それともう一つ。俺はチコ婆にお前を探せと、自分が何者かを知ったお前に会えと言われた」
まっすぐに向けられた視線から逃げるように、ユウヒは目を逸らして勾玉を握り締めた。
スマルは一瞬迷ったが、最後の言葉を付け加えた。
「ユウヒに会って、それでどうなるんだと聞いたら、会えばわかると言われた。今のお前には俺の力が必要だからってな」
言い終えたスマルは、酒の入った茶碗をゆっくり口に運び、それをじっくりと味わいながら、ユウヒの反応を見ていた。
「俺が知っているのはこれで全部だ」
お互いに気を使うような仲でもない二人の間に、妙な緊張感が漂っていた。
ユウヒは依然として口を開こうともせずに黙ったまま、手のひらの上で転がしている勾玉をぼんやりと見つめ、何か物思いにふけっている。
ゆっくりと味わっていた茶碗の酒がなくなり、スマルが空になった茶碗を机にトンと音を立てて置くと、ユウヒがスマルの方にすうっと手を伸ばして勾玉をよこしてきた。
スマルはそれを受け取り、また元のように首から提げた。
その一連のスマルの動きを見つめるユウヒは、なぜか苦しげに顔を歪ませ、泣きそうなのを必死にこらえているようだった。
どうしたのかとスマルが訊ねようとしたと同時に、ユウヒがやっと重い口を開いた。
「その石は…『黄龍の涙』って、言うんだそうだ」
「黄龍…の、涙?」
確認するように問い返すスマルの言葉にユウヒは黙って頷いた。